徳永の書き流し世界史 その38 忘れてはならぬロシアの悪逆を精細に記載する! プーチン以上に悪逆なロシヤのスターリン首相は大東亜戦争開始半年前の 昭和16年4月13日、日本と日ソ不可侵条約を結び、「これで日本は北からの ソ連の脅威は無いのだから安心して米英と戦いなさい」と騙したのだ。 この条約の有効期限は5年、昭和21年4月まで有効。 愚かな日本は信用して昭和20年2月のヤルタ会談やカイロ宣言などの 米英連合軍の対日降伏要求を断る。そしてロシアに米英との和平交渉の仲介を 依頼した。甘い日本だ! スターリンは二枚舌、二足草鞋で日本を操っていたのだ。 日本敗戦半年前の昭和20年4月、クリミヤ半島のヤルタで米英ソ連の密約で スターリンは日本に対して 1. 樺太、千島列島の引き渡し、 2. 大連や旅順の租借権の回復 など日露戦争で失った権利回復を条件として対日戦争に参戦を約束していた。 スターリンは日本からの和平交渉を依頼する申うし出で日本が戦意喪失を知る と逆に対日参戦の機を狙っていたのだ。情けなくなる! そして昭和20年8月6日の広島原爆で日本が完全に降伏すると見て、 2日後に日ソ不可侵条約を無視して日本に宣戦布告したのだ。 敗戦した無抵抗の日本国民に対し満州、樺太、千島列島を侵略し、 略奪、強姦、強盗の限りを尽くしたのだ。 そして満州から 日本の軍人、軍属一般男子の100万人をシベリヤに拉致し、 長い人で11年間も抑留し過酷な労働をさせた、死者は六万人を超えた。 30万人は帰国を果たせずシベリヤの荒野で果てたのだ!!! また樺太からの引揚船を潜水艦で攻撃するなど、最後まで日本との通信を 死守して自殺した樺太の電話交換嬢など痛ましい! ロシアの火事場泥棒的、残虐性非道な行為は日本有史以来の地獄体験である! このロシアの天人共に許しがたい非道を 日本人は語り継ぎ、言い継ぎ残しておかねばならぬ!