日本海新聞 潮流寄稿 平成15年12月1日

東京裁判

子供達は東京裁判、正式には極東国際軍事裁判だが、言ってももう分からないだろうね。A級戦犯と関係がある裁判だね。

その前にね、明治時代に世界の陸軍大国ロシアと日本が戦争して勝ったことがあったね。黄色人種は白人に劣るとされていた時代だから、世界中は大ショックと大喜びでもあったのだよ。戦争は中国東北部、勝った日本の陸軍大将は乃木希典、敗軍のロシアの大将ステッセルが降参して対面した時に、乃木大将はこう言った、「昨日の敵は今日の友」だとね。

勝者や強い者は傲慢であってはならないのだよ、横綱の朝勝龍みたいではないね。これが日本のサムライ精神であり世界に冠たる武士道だね。
日本が昭和
20年に米国との戦争に負けたね、勝った国が裁判をして日本を裁いたのだよ。事後法で裁くなんて中世的暗黒裁判の国際法無視でね。負けた日本の大将たちは武士道的に慫慂として言い訳しなかったね。

裁判官は戦勝国の米国・英国・フランス・オランダ・中国とソ連ほかだ。中国は分離して考えると分かり易い。

日本とソ連は不可侵中立条約があったのだけどソ連は戦争が終わってから突如日本を侵略してきて日本人を数十万人拉致しシベリヤに連行したし千島列島を強奪した。だから私は泥棒が裁判官になったような感じをソ連に抱くよ。そして戦勝国は日本の将軍達を裁いて死刑を言い渡したのだ。これがA級戦犯だよ。

武士道は名誉を重んずる、いい訳しない、だから黙って絞首台の露と消えられたのは、敗戦して申し訳なかったと日本国民へのお詫びだね、外国へではないよ。

インドの裁判官、パール判事は国際法の権威なのだが、この時こう発言したのだよ。「この裁判は国際法に違反しているのみか、法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯し、罪刑法定主義を踏みにじった復讐裁判にすぎない。従って全員無罪である」とね。

フランスのベルナール判事はね、「この裁判は法の適用及びその手続きにおいても誤りがある」と裁判の不当性を指摘した上に、
11人の裁判官が一堂に集まって協議した事は一度も無い」と内部告発さえしたのだよ。

当時の日本人は開国以来始めての敗戦で占領軍は剣と銃で国内をウロウロしているし食料は無く茫然自失だったのだよ。
戦争犯罪とは、捕虜の虐待、民間人の殺戮、放火、略奪などを言うんだよ。

米国の広島原爆など民間人大量殺人だね。残虐な事は日本も戦争だから無かったわけではないが、「平和とか人道に対する罪」など国際法には存在していない。

東京裁判は、このように文明社会では裁くことが許されない事後法でしかも死刑にされたのだよ。裁判長やソ連の判事も不適格だった論外な裁判だったんだ。更に判決は裁判の前から決まっていた。

パール判事のご子息プロサント氏は父の言として聞いている。「裁判所が判事団に指令して、あらかじめ決めている多数意見と称する判決内容への同意を迫った。さらにそのような事実があったことを極秘にする為に誓約書への署名を強要された」と語り残しているんだ。

これが極東国際軍事裁判の実態だよ。いい加減なものだね、どうしてこんな裁判の判決を日本人は後生大事にして戦犯とされて処刑された人達の名誉の回復に政府も国民も立ち上がらないのかね。

しかも、
12月がくるといつも思いだすのだけどね、処刑されたのは、現天皇陛下、当時は皇太子であられたが、その誕生日の日に処刑したのだよ。未来の国民の象徴になられるお方の誕生日にだよ。この嫌がらせは、とても忘れてはならない民族の屈辱だと思うよ。負けたが故の罪悪ということには組することはできないよ。だからこの裁判はデタラメそのものなんだよ。

それを今なお信じて名誉を晴らそうとしないとは実に残念ではないかなあ。この裁判は国際的にも評判が悪いんだ、知らないのは日本人だけ。日本だけが後生大事に守る必要なんかサラサラないと思うよ。

当時の絶対権力者マッカーサーさえ、トルーマン大統領と昭和
251015日、ウエーキ島で会見した時、東京裁判は誤りだったとの趣旨の告白をしていたのだよ。鳥取木鶏クラブ代表世話人 徳永圀典