日光東照宮

陽明門


日光東照宮は、元和3年 (1617)徳川家康公を奉祀し創建され神社。二代将軍秀忠公により造営された創建当初の社殿は、20年後の寛永13年(1636)三代将軍 家光公により建て替えられ、今日の絢爛豪華な社殿群となる。これを、「寛永の大造替」と言う。
 現在の国指定文化財(国宝、重文)の建造物は、その時建立された木殿や陽明門など35棟を中心にその前後に建立されたものや、大名の奉納による五重塔や石鳥居など55棟。(指定では国宝8、重文34)。これらの建造物は、何れも江戸初期 寛永文化の優れた絵師、名工達、技術集団によって生み出された我が国を代表する宗教建築す。
 さらに、平成11年 (1999)には、人類のかけがえのない宝として、ユネスコの世界遺産条約に基づき『世界遺産』に登録された。

東照宮という神号は、徳川初代将軍家康の死去後、後水尾天皇から、正保2年(1645年)11月に贈られたもの。それ以前は東照社と呼ばれていた。

家康の死後、遺言に従って家康の息子2代将軍秀忠ひでただは、日光に廟をつくる。
廟は元和3年(1617年)に完成し、家康の尊骸は4月に日光に改葬された。しかし廟の規模が小さかったため家康の孫の3代将軍家光いえみつは、寛永元年(1636年)大規模なものに再建した。

この再建のため、多くの大工、画家、彫刻家、などの美術家が日光に集まる。狩野探幽かのうたんゆう左甚五郎ひだりじんごろうの名が良く知られていますが、ほとんどは不出世の名工。
当時の金で56万8千両、銀100貫、米1000石(現在の価格で160億円)、工期1年5ヶ月延べ454万人の大工事だったとのこと。

東照宮には徳川家康のほか、源頼朝、豊臣秀吉の三公が祭られている。国宝8件、重要文化財55件の指定。