津風呂湖経由の帰途ー奈良県吉野郡吉野町河原屋


吉野山の桜を堪能した我々は、川上村に宿泊して、眺望の素晴らしい露天風呂を満喫した。帰途、私が津風呂湖を知らないというと、友は津風呂湖から宇陀町の又兵衛桜万葉公園を見て帰ろうという。いずれも素晴らしいものであった。特に私の好きな万葉集の柿本人麻呂の歌碑のある公園は大変気に入った。万葉的な雰囲気のあるもので静かな中に素朴さもあり新緑が映えていた。
ひんがしの野にかぎろひのたつ見えて かえりみすれば月かたぶきぬ

万葉公園

津風呂湖
1962(昭和37)年に生活用水を確保するため、津風呂川をせき止めて造られた人工湖。周囲32km、面積150ha、水深45mもの規模を。

かぎろいの丘公園 大宇陀町迫間 
大宇陀町は、奈良県北東部を占める大和高原の南端部に位置し、宇陀川上流の小盆地に発展した歴史の古い個性豊かな町。
この「阿騎野・人麻呂公園」は、大宇陀町のほぼ中央部、宇陀川支流の本後川と黒木川に挟まれた微高地上の丘陵端部に位置している。この地からは東方“かぎろひ”たつ高見山をはじめとして宇陀の連山、近くに古城山、北は万葉公園、西は西山岳、南は吉野の峰峰を望むことができる。
平成7年(1995年)の発掘調査によって、この地が古代の狩り場(薬猟)であった「阿騎野」の重要施設であることが判明、中之庄遺跡の遺構を復元保存し、故中山正實画伯の壁画「阿騎野の朝」をもとにした万葉歌人柿本人麻呂の石像を建立し、「阿騎野・人麻呂公園」として保存・整備した。
文武天皇となる軽皇子のお伴でこの地を訪れた柿本人麻呂が、“ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかえりみすれば月かたぶきぬ”と万葉集に名歌を残したゆかりの地です。現在この公園には昭和15年に立てられた万葉歌碑が立ち、その碑面に佐々木信綱の筆による人麻呂の歌が刻まれている。毎年、大陰暦の11月17日には「かぎろいをみる会」が行われる。

又兵衛桜 (後藤又兵衛ゆかり)
当地の字道辺寺にある薬師寺の境内に大阪冬の陣、大阪夏の陣で活躍した豪傑後藤又兵衛の墓がある。周囲に玉垣がめぐらされ、石碑には「法泉院量嶽安寿居士」と彫られている。1615年(元和元年)5月8日大阪夏の陣で豊臣方は敗退したが、又兵衛は再挙兵の希望を捨て難く、城中より逃れ落ちた。紀州を廻って知人を頼り大宇陀の当地へ来て、本郷の鉱泉で傷を癒し豊臣家の再興を待ったが、世は徳川の天下となったので、又兵衛は僧になり「後藤」の姓を一時「水貝」と改めて生活していたと伝えられている。
当地には後藤の姓を名乗る家が数件あり、この又兵衛ゆかりの枝垂れ桜が残っている場所も後藤家の屋敷跡である。