徳永圀典の徒然草口語訳10. 平成16年6月

1日 壱百五拾八段 盃の底を捨つる事は 「盃の底に残した酒を捨てることを、どう思うか」とある人が尋ねた。私は「その作法を凝当と言っておるのは、底にたまっている酒を捨てるからですか」というと「そうではない、凝当ではなく魚道だ。杯に酒の雫を残し自分の口のついた所をそれですすぐのだ」と言われた。
2日 壱百五拾九段 みな結びというは

「みな結びと言うのは、糸を結び重ねた様子が、蜷―みなーという貝に似ているのでその名がある」とある高貴な方が言われた。この蜷「にな」と言うのは誤りである。

3日 壱百六拾段 門に額を懸けるのを

門に額を懸けるのを「打つ」と言うのはよくないのであろうか。勘解由小路二品禅門―かでのこうじにほんぜんもんーは「額かくる」と言われた。「見物の桟敷打つ」もよくないのであろうか。「平張打つ」などと言う言い方は普通である。「桟敷かまふる」などと言うべきであろう。

4日 「護摩たく」というのもよくない。「修する」「護摩する」などというのである。「行法という言葉も、法の字を清んでいうのはよくない。濁って言うのだ」と清閑寺僧正が言われた。ふだん口にする言葉に、このような不適切な言い方が実に多い。
5日 壱百六拾壱段

花の盛りは

桜の花の盛りの時期は、冬至から百五十日目とも、時正の七日後とも言われるが、立春から七十五日目といえば大体間違いではない。
6日 壱百六拾弐段

遍照寺の承仕法師

遍照寺の承仕法師が、池の鳥を日頃から飼いならしておいて、堂の中まで餌を撒いて、入り口の戸を一つ開けておいた。そして、鳥が数え切れないほど入り込んでから、自分も中に入り、戸を閉めて鳥を捕らえては殺していた様子が騒がしく聞こえた。それを草刈り童が聞いて人に告げた。村の男たちが大挙して中に入った。見ると大きな雁たちがばたばた騒いでいる中に法師がおり、雁を下に押し付けて首を捻って殺していた。そこで一同はこの法師を捕らえて、その土地から検非違使庁に突き出したのであった。殺した鳥を頸にかけさせて牢に入れた。基俊大納言が検非違使庁の長官をしていたときの話である。
7日 壱百六拾弐段  遍照寺の承仕法師

遍照寺の承仕法師が、池の鳥を日頃から飼いならしておいて、堂の中まで餌を撒いて、入り口の戸を一つ開けておいた。そして、鳥が数え切れないほど入り込んでから、自分も中に入り、戸を閉めて鳥を捕らえては殺していた様子が騒がしく聞こえた。それを草刈り童が聞いて人に告げた。村の男たちが大挙して中に入った。見ると大きな雁たちがばたばた騒いでいる中に法師がおり、雁を下に押し付けて首を捻って殺していた。そこで一同はこの法師を捕らえて、その土地から検非違使庁に突き出したのであった。殺した鳥を頸にかけさせて牢に入れた。基俊大納言が検非違使庁の長官をしていたときの話である。

8日 壱百六拾参段

太衝の太の字

「太衝」の太の字は「太」と点を打つか、「大」と点を打たないかということを、陰陽道に携わる人々が論争したことがあったと言う。それに関して、もりちか入道が言われるには「吉平の自筆の占文の裏に書かれた御記が、近衛関白殿のところにある」ということであった。

9日 壱百六拾四段 世の人あひ会う時

世間の人が互いに顔を合わせたとき、僅かでも黙っているということはない。必ず何か喋っているものだ。その内容は多くは無益なものである。世間のいい加減な噂話や他人の批判はお互いの為に損になることが多くて得るものは少ない。しかし、この種のことを語る時は互いの心の中で、それは無益ということにきづかない。

10日 壱百六拾五段 あづまの人の都の人に交わり

関東の人が上京して都の人と交際したり、都の人が関東に行きて出世したり、また本寺・本山を離れた各宗派の僧侶など、すべて自分本来の習俗を離れて人と交わる様子は見苦しいものだ。

11日 壱百六拾六段 

人間の営み合えるわざを

人間がそれぞれ営む仕事を見ると、春の日に雪仏を作って金銀珠玉の飾りを施したり、御堂を建てようとするのに似ている。そうした用意が出来るのを待ってから仏様を安置することができようか。人の命があると思って見ている間に、その命が目に見えないところから消えつつあるという点は雪のように儚いのに、その間の人の営みや期待が多すぎるのだ。

12日 壱百六拾七段 

一道に携はる人

専門家が専門外の場で「自分の専門のことであれば、こうして虚しく傍観しないのになあ」と言ったり、心に思うことはよくあることだ。しかしこれは実にみっともないことである。知らない道が羨ましいのなら「ああ、実に羨ましい、どうしてこれを習わなかったのか」というがいいのだ。自分のさかしらさを持ち出して人に挑むのは角のある動物が相手に角を向け、牙のある動物が牙をむきだすのと同類である。

13日 壱百六拾八段

年老いたる人の

年をとった人が一つの事に長けていて「この人が亡くなられたら誰に尋ねたらいいだろう」などと言われておれば、その人は老人にとって心強い人で生きているのも虚しくはない。然し、その人も全く衰えたところがないなら、一生この事だけで終わってしまった人なんだとつまらなく思える。老いたら「もう忘れてしまった」と言ってるほうがいい。
14日 一般に例え知っていても、むやみに言い散らすと、それ程の才能ではないと思われるし、また自然と失敗もあるものだ。「はっきりとは判断がつきかねます」などと言うのは、やはり噂の通りその道の大家だと思われるに違いない。まして、知らないことを、したり顔でいい年をした、誰もが反発しにくいような人が自論を述べるのを「そうでもない」と思いながら聞いているのは実にやりきれない。
15日 壱百六拾九段 

事の式という事は

「何々の式ということは、後嵯峨院の御代までは言わなかったのに、近年言うようになった言い方である」と或る人が言ったが、建礼門院右京太夫は、後鳥羽院即位後、再び女官として宮仕えしたことに触れて「世の式も変わったことはなにもないのに」と書いている。
16日 壱百七拾段 さしたる事なくて

他人の家にたいした用事もないのに行くことはよくない。用があれば、それが終わればさっさと帰るべきである。長居は実に煩わしい。他人と向かい合っていると口数も多くなり体も疲れて心も落ち着かない。そのように万事に支障をきたして時を過ごすのはお互いの為に益のないことである。いかにも不愉快そうに話すのはよくないことである。気乗りのしないことがある時は、いっそのことその理由をはっきりと言うほうがよい。

17日

心が通い合っている気分で向かい合っていたいと思う人が、退屈して「もう少しいて下さい。今日はゆっくり語りましょう」などと言う様な場合は、この限りではない。阮籍が好もしい相手に向けたという青眼は、誰にもありそうなことである。これと言った用事もないのに人が来て、のんびり話をして帰って行ったのは実によい。また、手紙の場合は「ご無沙汰しておりましたので」などということだけ書いて寄こしたのは、とても嬉しいものだ。

18日 壱百七拾壱段 

貝をあほふ人の

貝隗おおい遊びをする人は、自分の前の貝をさしおいて、他所を見渡し、人の袖の陰とか膝下にまで眼配りする間に、自分の前にある貝を覆うものだ。巧く覆う人は無理に他所の貝まで取るとは思えず近いのばかりを覆うようだが、結果的には多く覆っている。碁盤の隅に石を立てて弾く時に、向かい側の石をめがけてはじくやり方は当たらない。自分の手元をよく見て、その前の井目を真っ直ぐに弾くと立てた石に必ず命中する。

19日

万事自分の外に向かって求めてはならぬ。ただ身近なところを正しくすべしである。清献公の言葉に、「現在、よいことを行うべきであって、遠い未来を問題にしてはならない」とある。世を治める道もその通りであろう。内政に配慮せず、軽々しく気ままで無方針であると、遠い国が必ず反乱を起こしその時に初めて対策を練ることになる。

20日 「風に当たり、湿気の多い所に病臥して、治癒を神に祈るのは愚かな人だ」と医書に書いてあるのと同じである。目の前の人の不満を無くし、恩恵を与え、政治の道を正しくすれば、その感化が遠くに及ぶという事を知らないのだ。禹が遠征して三苗を破った効果も軍団を帰して徳性を敷いた効果には及ばなかったのである。
21日 壱百七拾弐段 若き時は、血気うちにあまり 若いと血気に溢れて心は何かにつけて動揺し情欲が盛んである。自分自ら危険にさらして破滅しやすいのは珠を早く転がすのと似ている。美しいものを好み宝を使い果たしたり、それを捨てて黒衣に身をやつしたり、衝動的で人と争い、内心で恥じたり羨んだり、その心の動きは日々変動する。情事に耽って恋に夢中となり、行動はいさぎよくて、将来ある身を虚しくして、人の死にように心引かれるが身の安全や長生きを思わない。一つの事に打ち込み過ぎて、世間で長く噂になる。我が身を誤るのは若い時の行動である。
22日 年よりは、精神も衰え、物事に淡白かつ大まかで動揺することもない。自然と心が落ち着くから無益なこともしない。自分の身をいたわり、不満もなく人に迷惑をかけないようにする。老いてその知恵が若い時に勝るのは、若い時に容姿が老人より勝るのと同じである。
23日 壱百七拾参段

小野小町がこと

小野小町の事績は極めて不明確である。老衰した模様は「玉造」という文章に書いてある。これは清行が書いたという説があるが、高野大師の御作の目録にある。大師は承和の初めにお亡くなりになった。しかし小野の女盛りは、その後のことではないか。やはり、小町に関してははっきりしない。
24日 壱百七拾四段 小鷹によき犬

小鷹狩に適した犬を大鷹狩りに使うと、小鷹狩りに使えなくなるという。大きなものにかかわり小さなものを捨てる事となる道理は尤もなことだ。人間のする事は多いが、中で仏道に専心して充実を覚えるほど味わい深いものはない。これが真に大事である。一旦仏道に触れて、これに志すなら、その人はそれまでにしていた事を全てやめるであろう。彼が仏道以外の何に励むだろうか。愚かな人であったとしても、賢い犬の心に劣っているはずはないのだ。

25日 壱百七拾五段 世には心得ぬ事多し

分けのわからないことが世の中に多いものだ。なにかにつけて、先ず酒を人にすすめて、無理に飲ませるのを面白がるのは、なぜなのか理解できない。無理強いされて飲む人が、実に辛そうな顔をして眉をひそめ、人目を忍んで杯の酒を捨てようとしたり、また飲まされまいと逃げようとするのを酒飲みがとらえて、座に引き戻し、無闇に飲ませてしまうと、いつもはきちんとした人が、忽ち狂人のようになって馬鹿げた振る舞いをし、元気な人も、みるみる内に重病人のようになり、前後も分らずに横たわってしまう。

26日

祝い事のある日などは実に興ざめであろう。翌朝まで頭痛がし、食事もできない、呻きながら、まるで生まれ変わったような気分で昨日のことを覚えてもいない。公私両面の用事をし損ない問題を引き起こす。こんなに酷い目にあわせることは、無慈悲であり、礼儀にも叛く。こんなに酷い目にあった人は、いまいましいし悔しいと思わぬ筈はない。外国にこんな風習があるらしいと、わが国にはない余所事として、伝聞したならば、酒の席に関して奇怪で不思議なものとして感じるに違いない。酔態は他人事だと見ているのさえ、不愉快なものだ。奥床しいし思慮深いと思っていた人が分別を失い馬鹿笑いして口数が多くなり、烏帽子は曲がり、紐は解けはずれ裾はまくれて脛をむき出して人目を憚らない有様はいつもの人と思われない。

27日

女の場合は、額髪を掻き分けて顔を露出し、恥じらいもなく顔を上に向けて大笑いし杯を持つ人の手に取り付き、下品な人は肴を手にして人の口に押し付け、自分も食べている。その様子はみっともない。大声を張り上げて、各自が歌ったり舞ったりし、老いた坊主が呼ばれて、悪くきたない身体なのにもろ肌脱いで、目を背けたくなる程ぶざまに身をよじって演ずるのは、それを見て面白がる人までがうとましく、憎くなる思いである。或は、自慢話を、聞きにくい程沢山人に聞かせ、又ある人は酔い泣きし、下賎な者は、罵り合い喧嘩する、浅ましく恐ろしい。恥さらしで不愉快なことばかりして、挙句の果ては取ってはならない物を強引に奪い取り縁から落ちたり、馬や牛車から落ちて怪我をする。乗物に乗れない身分の者は、大路をよろめきながら歩いて土塀や門の下などに向いて、口にもできない酷いことをやたらにする、老いて袈裟をかけた坊主がお供の少年の肩を押さえて、分けの分らぬ事を言いながよろよろ歩くのは実に見るに堪えない。

28日

このような事をして、この世でも来世でも、何かの利益があるなら仕方ないが、現実には酒ゆえの過ちが多く、財産を失ったり病気になったりする。百薬の長などと言うが酒は万病の元でもある。酒で憂いを忘れるというが、酔った人は過去の憂さを思い出して泣くのである。人の知恵を奪い、善行の功徳を火が物を焼失させるように失わせ、悪行を積んであらゆる戒律を破り、死んでからは酒飲みは地獄に落ちるであろう。「酒を手にして人に飲ませた人は、以後5百年は手の無い者として転生を続ける」と仏様はお説きになっているそうだ。

29日 酒というものは、このように疎ましいと思うが、時には意義もあるに違いない。名月の夜、雪の朝、桜花の下などで、のんびりと語り合い盃のやりとりするのは、様々な感興を添えるものであろう。退屈な日に不意に友達が訪ねてきて、酒盛りするなどは心を慰めてくれるものだ。はばかり多い高貴な方の御簾の中から肴と酒などを、いかにも典雅な様子で差し出されるなども実にいいものだ。火でなにかを煎ったりして気の置けない者同士が差し向かいで存分に飲むのも大変楽しい。旅の仮の宿や野山などで、「何か肴が欲しい」などと言って,芝の上で飲むのも面白い。酒をとても迷惑がる人が、人に強いられて少し飲むのも実にいいものだ。名士が自分に対して「もう一杯いかがですか、杯が空になりそうだ」など゛仰ってくれるのも嬉しい。近づきになりたかった人が、上戸で酒ですっかり打ち解けてしまうのもまた嬉しいものである。
30日 なんと言っても上戸は面白い。無邪気なものだ。酔いつぶれて朝寝している処をその家の主人が部屋の戸を開けると、慌てて寝ぼけ顔のままで、細い髻―もとどりーを剥き出しにして、着る物も着終わらずに小脇に抱えて引きずったまま逃げる。その裾を抓みあげた後姿や、毛の生えている痩せた脛の様などは、可笑しくていかにも酔いつぶれらしい。