徳永圀典の徒然草口語訳」3.平成15年11月

1日 第四拾五段 

公世の二位のせうとに

公世の二位の兄に、良覚僧正と呼ぶ方は大変短気な人であった。住房の傍に大きな榎があり人は「榎木僧正」と名づけた。この名前は嫌いだと言って僧正は榎木を伐採してしまった。木の根は残っていたので人は「きりくいの僧正」と言った。益々僧正は怒り切り株を掘り捨てた。処がその跡が大きい掘のようで人は「掘池僧正」と呼ぶのであった。

2日 第四十六段

柳原のほとりに

柳原のあたりに、強盗法印と号する僧がいた。度々強盗にあったのでこの名をつけたという。

3日 第四十七段

ある人、清水へ参りけるに

清水へある人がお参りした時に、道連れとなった老尼が、「くさめくさめ」と唱え続けて歩くので「尼さん、なぜそのように言われるのか」と尋ねても返事をしないで、なお唱え続ける。何度も聞かれて遂に怒って「ええやかましい、くしゃみをした時にこのお呪いをしないと死ぬという。今は比叡山に稚児となっているわが若君が、たった今にもくしゃみをなさるのではと心配するので、こうお呪いを唱えているのです。」と言う。世にも希な真心であろう。

4日 第四十八段

光親卿、院の最勝講奉行して

光親卿が院の最勝講の奉行をしていたところ、ある時、院の御前に呼ばれて食膳を頂くこととなった。彼は無造作に食べた食器をのせた台を御簾の中にさし入れて退出してしまった。女房たちは「まあ汚い。誰に片付けさせるつもりだろう」などと口々に言っていると、院は「故実にかなった振る舞いはさてこそ」と繰り返し感嘆されたという。

5日 第四十九段 老い来たりて、始めて道を行ぜん

老年になってから仏道を修行しようなどとしてはいけない。古い墓の多くは年少で死んだ人たちである。思いもかけぬ病となり、この世を去らねばならぬ時、自分の過去の誤りを悟るという。誤りとは他のことではない。早急になすべき事を後回しにし、後でいいことを先にしている中に一生が過ぎてしまったことが悔しいのだ。その時に悔いてもどうにもならぬ。人はただ死が迫りつつあることを意識し、つかの間もそれを忘れてはならない。そうすればこの世への執着も消え仏道に専心する心が増進するであろう。

6日

「昔のある聖は、来客があって互いの用件を語ると「今、差し迫ったことがある。最早目前だ」と答えて、耳を塞ぎ、念仏を唱え、ついに往生を遂げたという」と、永観の「往生十因」にある。また心戒という聖は、この世の余りの無常を思って、落ち着いて膝を降ろすことさえ出来ず、常にうずくまっていたらしい。

7日 第五十段 応長のころ、伊勢国より 応長の頃、伊勢の国から鬼となった女を連れて上京したという事があった。その頃二十日ばかり京・白河の人達が鬼見物といって大騒ぎしていた。「昨日は西園寺に参上した。今日は御所の筈だ。今はどこそこにいるらしい」などと噂をしていた。実際には「この目で見た」と言う人はない、そうかと言って、この噂は嘘だという人もいない。身分の上下に関係なくこの噂でもちきりであった。
8日

その頃、私はある日、東山から安居院の辺りに出かけた。四条通りから北にいる人々がみな北に向かって走っていた。人々は「一条室町に鬼がいる」と口々に騒いでいる。今出川あたりから様子を見ると、院の御用に設けられた御桟敷の周辺に通行できない程に人が集まっている。噂は本当であったかと思い現場に人をやって見させたが鬼を見た者など全くいなかった。日没までこのように騒ぎ立てて、挙句の果てには喧嘩が起こるという馬鹿げたことがあった。

9日

その頃、都の人々が一様にニ日か三日病気になる人が多かったが「あの鬼を巡る根も葉もない噂はこの流行り病の前兆だったのか」と言う人もいた。

10日 第五十一段

亀山殿の御池に

亀山殿のお池に大井川の水を引き入れようとして、大井の里の住民に命じ水車を作らせたことがある。大金を与えたら彼らは数日かけて水車を取り付けた。処が全く回らない。色々修理したが結局回らずじまいで虚しく水車が立っているだけとなった。そこで宇治の里人を呼び出して水車作りをさせると易々と組みたてた。今度の水車は思うように回り水が邸内に思うように入る様は見事であった。万事その道に通じたものは大したものだ。

11日 第五十二段

仁和寺に、ある法師

仁和寺の某法師が、年寄りになるまで石清水を拝んだことがないのを残念に思い、ある時思い立ちただ一人で歩いて参詣した。ところが彼は極楽寺や高良社などを拝みこれで願いがかなったと思い込み帰ってしまった。
そして仲間に向かい「長年の思いを漸く果たした。評判以上に尊いお宮でした。その時参拝した人達はみな山に登ったが山上で何があったのか、気にはしたが神へ参るのが目的と思い私は山の上まで見物しなかった」と言ったらしい。少しのことでも案内者はあったほうがいい。

12日 第五十三段 

これも仁和寺の坊主

また仁和寺の坊主の話題だ。ある稚児が坊主になるのでその別れの宴に関係者一同が余興に芸をした。一人の法師が酔いにまかせて傍にあった脚のある鼎を取り頭にかぶったがつかえて入り難いので鼻を押さえ顔にかぶった。満座の人々は夢中になり面白がった。

13日 暫くひとしきり舞い鼎を抜こうとしたがどおしても抜けない。酒宴は白けて皆どおしたものかと途方に暮れた。あれこれ試している中に首周りの皮膚が剥けて血が流れひどく腫れて息が詰まってきた。鼎を割ろうとしたが簡単でない。その音が響いて耐えがたいもので割れないし手の施しようもない。鼎の三本の脚が角のようになった頭部に帷子をかけ手を引き杖をつかせて都の医者へ連れて行った。
14日

その途中人々は呆れかえって見ていた。医師の所で坊主が向かい合っている様はどれほど奇妙なものであったことか。ものを言おうとしても声が中にこもってはっきりしない。「こんな事は医書にもないし治療法もない」と医師が言うのでやむなく又仁和寺に戻り、親しい者や老母が床についた坊主の枕もとに寄り添って泣き悲しむが本人にその声が届いているとも思われない。

15日

そうこうしている中に、ある者のいう、「例え耳や鼻が切れてしまっても命はあろう。ただ力を立てて引きなさい」と藁の芯を回りにさし入れて、かねを隔てて、首も千切れるほどに引いたら、耳鼻もぎ取られたものの兎に角抜けた。命は危うくとりとめたがこの傷は長く治らなかったという。

16日 第五十四段

御室に、いみじき児の

三室に優秀な美少年の稚児がいた。この子を何とか誘い出して遊ぼうとした坊主どもがいた。芸達者な遊び好きな坊主を仲間にして、洒落た破子のような物を丹念に作りそれを箱形の容器にしまい、双ヶ岡のしかるべき場所に埋めた。その上に紅葉を散らして何気ない様にして稚児がいる御室の御所に参上し巧みに誘い出したのであった。

17日

しめたと思った坊主達は嬉しさに夢中となり、あちこち遊び歩いて物を置いた苔むした場所に並んで座った。「酷く草臥れた、ああ紅葉を焚いて酒など温めてくれる人がいればよいのになあ。霊験あらたかな僧達よ、祈祷をして何か祈りだしてください」など言い合って破子を埋めた木の根元に向かって数珠をおしすり、尤もらしく印を結んだりの大げさな演技をして木の葉を掻き退けたが何も見当たらない。

18日

実は彼らが埋めたのを見た人がいて、みんなが御所に参上している間に盗んでいたのだ。坊主どもは巧く言いつくろえず、口汚く言い争って立腹しつつ帰ってしまった。事をあまりに面白くしようとすると必ずつまらない結果で終わるものだ。

19日 第五十五段

家の作りやうは

家を作る時は夏の住み易さを考えるべきだ。冬はどんな所でも住めるが暑い時分に住み難い家は堪えがたい。遣り水が深いと涼感が欠けるから浅くてしかも流れている遣り水だと遥かに涼しい。小さいものを見るのに遣り戸のある部屋は蔀の部屋より明るくて都合がいい。天井が高いと冬が寒く灯火が暗い。家の造作は特に必要のない所を造るのが、見た目もいいし色々と役立って宜しいものだと皆で共感したことがある。

20日 第五十六段

久しくへだたりて逢いたる人の

長い間離れていて久しぶりに会った人が自分のことをあれこれすべて語り続けるのは不愉快だ。どんな親しい相手でも、暫くたってから再会する時には、なんとなく遠慮したほうがいい。品格の劣る人はちょっとよそに出かけて帰ってから今日の事だと立て板に水を流すように夢中になる
21日 教養ある人の態度は、例え人がどれほどいても、その中の一人に向かって言うのを自然と他の人も耳を傾けるものだ。下品な人は誰に対するともなく大勢の人に向かって、今起きているように話を面白おかしく喋るので、みなは一斉に騒ぐ。これは実に騒々しい。面白い話でもそれ程面白がらないか、或いは面白くないことを云ってもよく笑うか、その違いにより人の品格が分かるものだ。
22日

人の見かけの良し悪しとか、教養ある人の場合は人の教養の事を論評し合う時に、自分自身を引き合いにして意見を言うのは、酷く聞き苦しいものだ。

23日 第五十七段

人の語り出でたる歌物語の

和歌をめぐって話題がある場合、肝心の歌が良くないと誠に興醒めだ。少しでも歌道の心得があればそんなに感心して話題とするまい。すべて、余り理解していない分野の話は傍で聞いていて片腹痛く聞きづらいものだ。

24日 第五十八段

道心あらば

「道心を持っておればどこに住んでもいいだろう。家にいて世間と交わってもいいし、仏道に後世を託し励むのもなんの差し支えはない。」と言う人は後世を願うということを少しも理解していない人の云うことだ。この世の儚さを思い、悟りを得たいとすれば、何が面白くて朝夕主君に仕えたり、家に心を煩わす筈はない。心はご縁に導かれて変化するものなので、閑かさの中にいなくては仏道の修行は難しいからである。

25日

現代人は器量が昔の人に及ばないし山林に入っても、飢えをしのぎ強風を防ぐ工夫なしには生きていけないのだから、偶々世俗的欲望にとらわれたように見えてしまうことも、場合によりある筈だ。さればと云って「それでは遁世した意味がない。そんなことするなら、なぜ世捨て人となったか」などと批評するのは論外であろう。

26日

仮にも一旦仏道に入り世を捨てようとする程の人は例え欲望があっても、世を時めく人の強欲とは似て非なるものがある。紙の夜具、麻の衣、わずか一鉢の食べ物、あかざの吸い物などなら、物乞いをしても、人に大した負担はかけまい。容易に求められるし、得られたらすぐに心は満ち足りよう。

27日

遁世者として自分の姿を意識し身を慎むこともあるのだから、僅かな欲望を持つことがあっても、悪から遠ざかり、善に近づくことが多いのだ。人として生まれたからには、その印として、万難を排して世を捨てるのが望ましい。ひたすら欲望にとらわれて悟りの道を志さないのは、様々な畜生と何らの違いもないのではあるまいか。

28日 第五十九段

大事を思ひ立たん人は

出家を決断したら、避けては通れない気懸りなことがあっても打ち捨てねばならない。「少し延期しよう、この事が終わってからだ」「どうせ世を捨てるんだから、あの事を始末してからにしよう」「これこれの事実をそのままにしておいては、人に嘲られるだろうか。

29日

後で人に非難されないようにきちんと処理してからにしよう」「ずーと延ばしてきたのだから、その事を待ったとしても大して時間はかかるまい。慌てて決行すまい」などと思っていては、どうしようもない用事が重なって、しなくてはならぬ事がいつまでも無くならない。

30日

だいたい、世間の様子を見ていると、少し分別ある人は、みなこのように思っているだけで一生が過ぎてしまうようだ。近所の火事などは「暫くしてから立ち去ろう」とするだろうか。我が身を助けたければ、恥も外聞も無く財産を持って逃げる。寿命は人の都合を待たない。死の訪れは、水や火が襲いかかるよりも速やかで逃れ難いものだ。その時には、老いた親、いとけない子、主君の恩、他人の情なども、捨て難いからと言って捨てないではおられない。