徳永圀典の徒然草口語訳」4.平成15年12月

12月1日 第六十段 真乗院に盛親僧都とて 仁和寺の真乗院に盛親僧都という高僧がいた。いもがしらと言うものが好きで沢山食べる人であった。法話談義の最中でも、大きな鉢にうず高く盛り膝元に置き、これを食いながら書物を読むのであつた。病気中に七日間か十四日間などと区切って療治と言って坊に籠り続け思う存分上等ないもがしらを選び、格別沢山食べてどんな病気も治した。
12月2日

他人には食わせないで自分独りで食べていた。僧都は極めて貧しいのだが師の僧が死に際に銭二百貫と坊一つを譲った。処がその坊を百貫で売り計三百貫をいもがしら用の金と決め、都の知人に預け、十貫ずつ取り寄せていもがしらを不自由なく食べている中に、他の費用にも使用することもなくその銭を使い果たした。「三百貫ほどのものを、貧しい身で手に入れてこのように始末してしまったのは、誠に希に見る道心深い者だ」と評判であった。

12月3日 この僧都はある法師を見て「しろうるり」とあだ名をつけた。「それはどんなものですか」と人が聞くと「そんな物は私も知らぬ。もしあるとしたらこの僧と似ているだろう」と言った。
12月4日 この僧都は容貌も勝れ力もあり大食で、字もうまく学問もある雄弁家の抜群に有能な人でこの宗派の代表的名僧なので寺内でも尊敬されていたが常識を無視した変わり者で万事気ままに振舞い少しも人に従わない。法事をつとめて後の饗応の席でも全員の前に膳が並び終わるのを待たないで自分の前にご馳走が並ぶと直ぐに独りで食い始めたり帰りたくなったら一人で立ち上がって去った。
12月5日

午前午後の食事でも他の人と一緒に定時に食べず、自分の食いたい時に、夜中であろうが暁であろうが食い、眠ければ昼も室内に閉じこもり、どんな大事があっても、人のいう事を聞かないで、目が覚めてしまうと幾晩も寝ないで雑念を去って詩歌を吟じて歩き回るなど独特な生き方をした人であった。しかし、人に嫌われもせず、万事皆に一目置かれていた。この人は徳を極めていたのであろうか。

12月6日 第六十一段

御産の時、甑落す事は

身分の高いお方がご出産される時に、御殿の棟から甑を落とす習慣があるが常にするものでもない。後産が長引く場合の呪いである。恙無ければ行われない。庶民から起きたもので根拠は大したことはない。用いる甑は大原の里のを取り寄せられる。古い宝蔵で見た絵に、庶民の出産の折に甑を落とす場面が書いてあった。

12月7日 第六十二段 

延政門院いときなく

延政門院がご幼少の時に、院に参上する人に伝言を頼んで申し上げられたという歌がある。
ふたつ文字牛の角文字すぐな文字ゆがみ文字とぞ君は覚ゆる
この歌は院のことを恋しく思い申し上げるという内容。

12月8日 第六十三段 

後七日の阿闍梨

後七日の修法の阿闍梨が警護の武士を集める習慣がある。いつのことであったか、修法の折に盗人に襲われたことがあり、以後宿直人と称してこのように大げさになったのだそうだ。一年の吉凶は、この修法の様子に現れるとされるから武士を用いるのは穏当ではない。

12月9日 第六十四段

車の五緒は

五緒とは、必ずしも身分の如何によらず、家格により極官・極位に達したら乗るものだ、とある人が言われた。

12月10日 第六十五段

このごろの冠は

最近の冠は昔に比べて、丈が遥かに高い。昔ながらの冠桶を所有している人は今では、桶の縁を継ぎ足して用いている。

12月11日 第六十六段

岡本関白殿

岡本関白殿が満開の紅梅の枝に一つがいの雉を添えられて、この枝に雉をつけて差し出すようにと、鷹飼いの下毛野武勝に命じられたが武勝は「花に鳥をつける方法は存じません。まして一枝に二羽つけるのは承知しておりません」と申し上げた。それで関白は料理人に尋ね、心当たりある人々に聞かれて、再び武勝に「それでは、お前の思うようにつけて出せ」と仰せになった。彼は花のない梅の枝に一羽捧げて差し上げた。

12月12日

武勝の話は次のような内容である。柴の枝や梅の枝には、まだ蕾の頃から花が散った後につける、五葉の松などにもつける、枝の長さを七尺か六尺に切り、切り口は返し刀で五分の長さ。その枝の中程に鳥をつける。雉をつける枝と、足を置かせる枝がある。

12月13日 しじら藤のツルを裂いていないものを使い二箇所に結びつけなくてはならぬ。その藤の先は、ひうち羽の長さに合わせて切って、牛の角のような形にたわめておかねばならぬ。初霜のある朝、枝を肩にかけて中門から威儀を整えて参上する。そして、大砌の石を伝わって歩き、雪に足跡をつけぬようにして、雉のあまおおいの毛を少しむしりとって、二棟の御所の高欄にその枝を立てかける。
12月14日

ご祝儀の衣をだされたら肩にかけては拝礼して退出する。初雪と言っても沓の先が隠れぬ程度の雪なら参上しない。あまおおいの毛を散らすのは鷹が獲物の鳥の弱腰をつかむものなので、恰もお飼いになっている鷹がその鳥を捕らえたかのようにするためであろう。

12月15日 第六十七段

加茂の岩本・橋本は

賀茂神社の末社の岩本・橋本の祭神は業平と実方である。二社の祭神がよく混同されるので、ある年参拝した時に、通りかかった年配の神主を呼び止めて、このことを尋ねたら「実方を祭ったのは、御手洗にその面影が映った所ということなので橋本でしょう。このほうが岩本よりみ水辺にあるのでそのように思う。
12月16日

吉水の和尚が
月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はここにありはら
と詠まれた場所は岩本だと聞いていますが、私どもは寧ろ、あなたのようなお方かがよくご存じのことでございましょう」と実に謙虚に話してくれたのには感心した。

12月17日 今出川院近衛という名で、選集の類に多くの歌が採られている人がいる。この人は若い時によく百首歌を詠んで、この二つの社の御前の水でそれを清書し、神様に供えたという。大変な名声を得た方で人々に愛唱される歌が多い。作文・詩序なども立派なものである。
12月18日 第六十八段

筑紫に、なにがしの押領使

筑紫に何某という押領使のような職にいる者がいた。彼は大根を万能薬と心得て長年にわたり毎朝二本づつ焼いて食べていた。ある時、館の中に誰も居ない隙を狙って敵が来襲し包囲し攻撃した処、館の中に兵が二人現れて命を惜しまず戦い敵を追い返してしまった。

12月19日

大変不思議に思い「日頃お見かけしない方々なのにこのように奮戦されるのは一体どなたですか」と問うと「長年あなたが頼りにして毎朝食べられた大根です」と言って姿が消えた。深く信じていたのでこんなご利益があったのだろう。

12月20日 第六十九段 書写の上人は

書写の上人は「法華経」を多年にわたり読誦した功徳により、六根清浄の境地に達した方であった。ある時、旅先で小屋に泊まった折、豆殻を燃やして豆を煮る音がぐつぐつするのを聞いていると、その音は「身内のお前達が、私を煮て酷いめにあわせているのは、実に恨めしい」と言っているのであった。燃やされる豆殻がパチパチと鳴るのは「こんなことを、好き好んでする筈があるわけはない。私が焼かれているのは、この上なく辛いんだが、どうしようもない。そんなに羨まないでくれ。」と言うように聞こえたらしい。

12月21日 第七十段

元応の清暑堂の御遊に

元応元年清暑堂で行われた御遊の時、玄上が行方不明となっていたので、菊邸の大臣は牧場を弾奏されたのだが、着座して琵琶の柱の調子を見ておられた。するとその一つが落ちてしまった。大臣は懐に用意していたので飯糊で柱を取り付けられた。神様への供物を捧げるまでによく乾いて何の差し障りもなかった。どんな遺恨があるのか、見物していた衣かずきの女が、牧場に近づいて柱を外しもとのように置いたものらしい。

12月22日 第七十一段 名を聞くより、やがて面影は

人の名前を聞くとすぐに面影を描けるような気がするが、実際にその方を見ると、予て思い描いた通りの顔をしている人はいないものだ。昔の話を聞く時も、今のあの家の、あの辺りで起きたことなのだろうかと考えたり、登場人物も、今見ている人の中に当てはめて思いがちであるが、誰でもこのように思うものであろうか。

12月23日

また、どうかした折に、現在人が言うことも、眼に見えるものも、自分の気持ちも、こんなことがいつかあったと思い、それがいつだったかは思い出せないが、確か以前に経験したような気がすることがある。私だけがこんな風に思うのであろうか。

12月24日 第七十二段 いやしげなる物

下品なもの、居る場所の周りに道具類の多いさま、硯に筆が多いさま、持仏堂に仏像が多い様子、庭に石や草木の多いこと、家の中に子や孫が多いこと、対面すする相手の口数の多さ、願文に自分の善行を沢山列挙するなど、多くて見苦しく無いのは、文車に乗せた書物と塵を捨てる場所にある塵くらいなものである。

12月25日 第七十三段 

世に語り伝ふる事

本当の話は面白くないからであろうか、世間から伝えられるものは殆ど全く嘘ばかりだ。事実以上に大げさに人々は話すものだが、その上に歳月が経過し現場から離れた場所で話すとなると思いっきり話を面白くする。その話が記録されてしまうと事実として残るものだ。名人のその道その道の非凡なことなど、教養が無くその道に疎いものは神様を語るように言うが有識者は信じないであろう。評判と実際とは万事異なるものだ。

12月26日

すぐばれるのに出まかせに喋りまくる嘘は、根も葉もないと分かる。本人も信じていないのに、人の言った通りに鼻のあたりをぴくぴくさせながらの嘘は他人の嘘である。もっともらしく所々をぼかして、良くは知らない振りをして、そのくせ辻褄を合わせて語る嘘は本当らしく聞こえるだけに恐ろしい。自分の名誉になるような嘘は人はそれほど否定しない。みんなが面白がる嘘は、一人だけ「そうでもなかったのに」と言っても致し方ないので聞いている中に、黙認したばかりか証人にまでさせられて、愈々嘘が事実として定着してしまいがちである。

12月27日 兎に角、嘘の多い世の中である。物事はただありふれて珍しくもないと心得ておれば万事間違いはない。下品な人の話は、聞いて吃驚することが多い。立派な人は妙なことは語らないものだ。
12月28日 とは言うものの、神仏をめぐる奇跡譚とか、仏菩薩の化身のような人の伝記は一概に疑うべきではない。それらの話に入り混じる世俗的な嘘を本気にするのも馬鹿らしいが、「まさかそんなことはあるまい」などと言っても仕方ないので概ね本当の事としておき、一途に信じ込んではならぬ。また疑ったりバカにしてはならない。
12月29日 第七十四段 蟻のごとくに集まりて

蟻のように群れて四方八方に走る。人の中には身分の高い人もあれば低い人もいる。老人も若いのもいる。みんな夫々行く所や帰る家を持つ。日が暮れれば寝る、朝には起きる。

12月30日 この生の営みは何事であろうか。長生きを願い、利益を求めて止まることはない。我が身を大切にして何事を待つのであろうか。
12月31日

待っているのは、ただ老いと死のみである。それが来るのは速やかでそれまでの過程は一瞬と雖も止まることは無い。これを待つまでの間に何の楽しみがあろうか。迷いの中にある者は老いや死を恐れない。また愚かな者はそれを悲しむ。徒に我が身の変わらぬことを願い万物は変化するという理を知らない。

ご愛読ありがとうございました。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。徳永圀典