徳永圀典の徒然草口語訳」5. 平成16年1月

1日 第七十五段 

つれづれわぶる人は

所作もなく境遇を苦にする人は、どのような気持ちなのか。心を迷わすこともなく、ただひとりいるのが一番だと思う。世間に順応して生きると心は下界の刺激により迷い易い。人と交わると、口にすることも、他人を意識して自分の心を偽ってしまう。人と戯れたり争うと、恨んだり、喜んだりする。とても安心した心とならない。様々な思いがやたらと起きて、損得ばかり絶えず気にする。迷いの上に、酔いしれているようなものだ。更に夢を見ているようなものだと思う。あくせくして、せわしなく生き、自己を失っているのは皆同じである。

2日

まだ仏の道を悟っていなくても、俗縁を離れて身を閑静な処に置き、世事に拘わらないで、心の安定を得ると一時的にせよ、心が満たされると云える。「生計・社交・習い事・学問など、迷いのもととなるものを止めよ」と「摩訶止観」の中にある。

3日 第七十六段 世の覚え花やかなるあたりに

羽振りのいい人のもとに、不幸や慶びごとがあり多くの人が出入りする場所に、世捨て人が混じって取り次ぎを頼み待機している風景、そんな事をしなくてもよいと思う。それなりの理由があるにしても、坊さんは世間の人と疎遠なのが望ましいと思う。

4日 第七十七段

世の中に、そのころ人の

世間で評判になっている話題で、無関係の筈の人が消息に通じていて人に話したり、問うたりするのは実に釈然としないものだ。ことに片田舎に住む世捨て人が、世間の人について、自分のことのように熱心に尋ね、なせそんなに詳しいのか不審に思うほど喋り散らすようだ。
5日 第七十八段 今様の事どもの珍しきを

最新の話題を言いふらしまわるのは感じの悪いことだ。世間で云い古されるまで知らないでいる人こそ奥ゆかしい。初めてその場所に来た人がいる場合、自分たちの間でよく出る物事や名前など心得ている者同士が思わせぶりに、その一部だけ言い合い、目配せして笑ったりして、何のことか分からない人に怪訝な思いをさせることがある。こういうのは洗練されていない教養の欠けた人がよくやるものだ。

6日 第七十九段 何事も入りたたぬさましたる

何事も深く立ち入らない様をしているのが良いと思う。立派な人は例え知っていることでも、知ったかぶりはしない。片田舎から出てきたばかりの人が、あらゆることに通じているかのように受け答えするものだ。仮に敬服する点があるにせよ、本人自身が大したものだと思っている態度が見苦しい。

7日 第八十段 

人ごとに、我が身にうとき事

誰もが自分と関係の薄いことばかりを望んでいる。坊主が武芸に身を入れ、逆に東国武士が弓の引き方を知らず仏法をわきまえた様子をしたり、連歌をしたり、音楽をたしなんだりする。然し彼らは自分のいい加減な専門よりも、生齧りの余技により愈々人から軽蔑されるであろう。

8日

坊主ばかりではない、上達部・殿上人といった上流の人まで一様に武芸を好む人が多い。例え百戦百勝しても彼らに勇気があるとはいえない。なぜなら、時運により敵を破る時は誰でも勇者と言えるからだ。刀剣を失い、矢を射尽くして最後まで敵に降参せず、平然と死んでから、初めて名声が現れるのがこの道なのだ。生きている間は武勇を誇ってはならない。第一、武芸などは人の道に遠く、禽獣の振る舞いに似て、武士の家に生まれたものでなければ好んでも無駄なことである。

9日 第八十一段 屏風・障子などの絵も文字も

絵や文字が下手な筆使いで書いてある屏風・障子などは見苦しいというよりもその家の主人のレベルが分かろうというものだ。大体は持っている道具類により持ち主に幻滅を感じるのはよくあることだ。とは言うものの必ずしも立派な物を持つべきだと云うのではない。損じない為に下品でみっともない様に作ったり、珍しく見せようとして無用な飾りをつけて煩わしい趣向をこらすのを問題にしているのだ。古風で大げさでなく費用も大してかからなくて品のよいものが最高である。

10日 第八十二段 うすものの表紙は 「薄い織物を使用した表紙は、すぐに傷むのが困る。」と或る人が言ったら、頓阿が「うすものの表紙は上と下の部分がほっつれてからが、螺鈿の軸は貝がとれてから後が、味わいが出るものだ」と。その意見に実に感心した。
11日

又、何冊かで一部となっている草子などは、各冊の体裁が揃っていなければ見苦しいというのが普通だが、弘融僧都が「物を必ず完全に揃えようとするのは、つまらない者のすることだ。不揃いなのが良いと云った。それにも感心させられた。

12日

「すべて何でもそうだが、物事が整然としているのはよくないことだ。し残したのをそのままにしておくのがかえって面白く心が休まるものがある。内裏が造られる時も必ず未完成な所を残すことだ」と或る人が言った。そういえば昔の賢人が書いた内典・下典の類いにも、章段のない例が実に多い。

13日 第八十三段

竹林院入道左大臣殿

竹林院の左大臣殿は、太政大臣に昇進されるのに何らの支障もないお方であったが「そんな位など当たり前で少しも珍しくない。私は左大臣でやめにする」といわれて出家してしまわれた。桐院の左大臣は大変この事に感心されて太政大臣への望みを持たれなかった。「亢龍の悔あり」とかいう。月は満ちれば欠け、物事は盛りを極めると衰える。万事、極限に達したものは破滅に近いのが物の道理だ。

14日 第八十四段

法顕三蔵の、天竺に渡りて

法顕三蔵が天竺に渡り故郷の扇を見て悲しみ、病に臥せると中国の食べ物を欲しがったという逸話がある。それを聞いて「あれ程の人が大変に気の弱い様子を異国で見せたものだ」と或る人が言った。弘融僧都が「なんと優しく人間味のあるお方であろう」と云った。出家者の意見らしくもなく、それが奥床しく思われた。

15日 第八十五段

人の心すなほならねば

人の心と言うものは真直ぐなものではない。だから世の中に偽りが無いわけではない。然し希に正直な人がいない筈はなかろう。自分が素直でなくとも人の賢さを見て羨むのが人の世の常である。極めて愚かな人は、賢い人をふと見た時にこれを憎む。「大きな利益を得ようとして僅かな利益を受けないで、うわべを偽り名声を得ようとするものだ」と悪口をいう。賢人の行為が自分と違うのでそう非難するのだ。それにより、次が分かる。この人は生来の愚か者で向上することは不可能である。うわべを作り僅かな利益を遠慮することさえ出来ない。かりそめにでも賢人を真似ることができない人である。

16日

狂人の真似と称して都の大通りを走れば、それは狂人である。悪人の真似と言って殺人すれば、それは悪人である。驥を目指す馬は驥の同類であり、舜を範とする為政者は舜の仲間である。それが偽りであったとしても賢人を範とする人は賢人である。

17日 第八十六段

惟継中納言は

惟継中納言は詩文の才能の豊かな方である。一生精進を続け、読経して寺法師の円伊僧正と同寺に住み円伊師に仕えていた。文保年間に三井寺が焼かれた時、坊の主の円伊に向かい、「あなたを寺法師と申してきたが、もはや寺は焼失してしまった。これからはただ、法師と申す」と言われた。とても洒落た言葉である。

18日 第八十七段

下部に酒飲まする事は

下僕に酒を飲ませることは用心しなくてはならぬ。ある男が宇治に住んでいた。都に住む具覚房という名の上品な遁世者と、小じゅうとだったので常に親しくしていた。或る時、具覚房を迎えるのに、男が馬をさしむけた処、「長い道中だ、馬の口取りにも取り合えず一杯飲ませてやれ」と具覚房云った。そこで酒を出したら、口取りの男は何度も杯を受け勢いよく飲んだ。男は太刀を腰につけて、いかにも勇ましそうなので、頼もしく思いながら召し連れて行った。
19日 すると木幡あたりで、奈良法師が僧兵を大勢連れているのに出くわした。口取り男は一行に立ち向かい「日が暮れた山中なのに、怪しいぞ、止まれ」と云って太刀を抜いた。僧兵もみな太刀を抜き、矢をつがえたりした。具覚房は手をすり合わせて「この男は正気を失う程に酔っている。まげてお許し下さい」と云ったので一行は嘲け笑いながら立ち去った。
20日

この男は具覚房に向かい「お坊さんはなんという残念なことをされた。私は酔ってなどいない。折角手柄を立てようとしたのに抜いた刀を無駄にしてしまった」と怒って具覚房をめった切りにして馬から落としてしまった。その上に「山賊がいた」と大声をあげた。木幡の里人たちが大挙してそこに駆けつけた処、男は「この俺が山賊だ」と言って走りかかっては太刀を振り回したので皆で傷をおわせ打ち倒して縛り上げた。馬は乗り手の血をつけて宇治大路面した飼主の家に走りこんだ。主は驚いて下男たちを大勢走らせたら具覚房がくちなしの群生する野原にうめき声をあげて横たわっているのを探し出し家までかついできた。具覚房は危うく命はとりとめたが腰を傷つけられて不具者になってしまった。

21日 第八十八段

ある者、小野道風の書ける

ある者が小野道風が書写した「和漢朗詠集」と称するものを持っていた。それに対してある人が「ご本に就いての言い伝えは根拠の無いことではあるまいが、四条大納言が選ばれた作品集を道風が書くというのは時代的に有り得ないのではないか。その点が気になる」と云ったところ、「そういう事情なので、この上なく珍しい物だったのですね」と答えて愈々大切に所蔵するのだった。

22日 第八十九段 奥山に、猫またといふもの

「山奥には猫またがいて人を食うそうだ」と或る人がいう。「山でなくてもこの近辺でも、猫が年をとり猫またとなり人を食うことがある」という者もいた。行願寺界隈に住む何阿弥陀仏とかいう、連歌をたしなむ法師がその話を聞いて、単独で歩く身なので用心しようと思っていた。その頃たまたま、ある場所で夜更けまで連歌をして、独り帰ることとなった。小川のほとりで、噂に聞いた猫またがまさしく足元に突然寄ってきて、飛びつきざまに頚のあたりに食いつこうとした。

23日

正気を失い、避けようとするがそれも出来ず足も立たない。小川に転げ込み「助けてくれ、猫まただ、猫まただよ」と叫ぶと、家々から松明をともして走りよって見ると、この近辺に住む顔見知りの僧であった。「これはどうしたことか」と言って、川の中から抱き起こすと、連歌の賭物を取って扇や小箱などを懐中に持っていたのが水につかってしまっていた。九死に一生を得たという姿で這うようにして家に入っていた。実は彼が飼っていた犬が、暗闇の中で主人を見つけて飛びついたのであったという。

24日 第九十段

大納言法印の召ひし

大納言法印の召使いである乙鶴丸が、やすら殿という者と懇ろとなり、いつも通っていたが、或る時外出して帰ったので法印が「どこに行きていたか」と聞くと「やすら殿の所です」と言う。「そのやすら殿は俗人か、それとも法師か」と問われて、乙鶴丸は袖を合わせて「さあどうですか、頭を見ませんでしたから分かりません」と答えた。なぜ頭だけが見えなかったのか。

25日 第九十一段 赤舌日といふ事

しゃくぜつにち、という事は陰陽道は問題にしない。昔の人はこの日を忌まなかった。近年、誰が言い出したのか忌むようになった。この日のことは無事に終わらないと云って、云った事は不首尾、得たものは失う、計画は不成功という。愚かである。吉日を選んで行った中から不首尾の例を数えれば赤舌日の日の失敗と同じくらいあろう。

26日

なぜなら、無常のこの世で、目に映るものも存在しないし、始まったことも終わりがない。志も実現することはないし、欲望の尽きることもない。人の心は取るに足りないものだ。万物は幻のようなものだ。暫くでもそのままあり続けない。赤舌日を避ける人は、こうした道理を知らぬ人だ。「よい日に悪事を働けば常に不吉である。悪い日に善行すれば常に縁起がいい」という。吉凶は人の善悪で決まるもので、日により決まるものではない。

27日 第九十二段

ある人、弓射る事を習ふに

某さんが弓を習うのに、二本の矢を手にして的に向かった。すると師が「初心者は二本の矢を持ってはいけない。後の矢を当てにして初めの矢に油断が出来るからだ。毎回失敗せずにこの矢一本で必ず当てようと思え」と云った。僅か二本の矢しか持たせず、しかも師匠の前で彼が一本の矢を疎かにするつもりはあるまい。然し、二本の矢に現れた心の緩みは本人は気付かなくても師匠がそれと洞察したのだ。この教訓は万事に通するものである。

28日

仏道を学ぶ人は夕方には翌朝を思い、朝になると夕方を思い、その時に改めてじっくり修行しようと心に期するものだ。こうした人は、まして一瞬の内に心に潜む油断を意識できるだろうか。そのことを思い立った瞬間にすぐ実践するのは何と難しいことであろう。

29日 第九十三段

牛を売る者あり

牛を売る者がいた。買い手が「明日代金と引き換えに牛を受け取る」といった。処がその夜に牛が死んだ。こういう場合は買い手が得をする。売り手が損することとなる。」と語る人がいた。この話を聞いて、傍にいた人が「牛の持ち主は確かに損したが、一方では大変な得をしている。なぜなら、生きる者は死が近いのを知らない点、牛も同様だ。偶然に牛が死に、持ち主は生き残った。一日の命は万金より重い。牛の値は鵞鳥の羽よりも軽い。万金を得て一銭を失った人が損したとはいえない。と言った。すると皆は嘲って「その理屈は牛の持ち主に限らない」と言う。

30日 再び先ほどの人が「私が言いたいのは、人が死を憎むなら、生命を愛すべしという事なのだ。生きる喜びを、日々実感しなくてよいものか。愚かな人間は、この楽しみを忘れ、虚しく他の楽しみを求め、命という宝を忘れ、なりふりかまわず他の宝物を欲しがるが、そんな事をする限り満足はない。生きている間に生を楽しまず、死に臨んで死を恐れるなら、それは矛盾する。人がすべて生を楽しまないのは死を恐れないからだ。
31日

否、死を恐れないというより、死の近いことを忘れ、それを仮に、生とか死にこだわる境地を超越していると言うなら、それは悟りを開いたと言うべきだ」と言うと人はいよいよあざけるのであった。