徳永圀典の徒然草口語訳」6. 平成16年2月

1日 第九十四段

常盤井相国、出仕し給ひけるに

常盤井相国が出仕された時に、勅書を持つ北面の武士が相国に出会い下馬した。相国は後で「北面の武士の某は勅書を持っているのに下馬するような者だ。この程度の武士が、どうして院にお仕え出来るのか」と申し上げたので、院はその武士を免職された。このような時には勅書を捧持してお見せすべきであり馬から下りてはいけないのだ。

2日 第九十五段

箱のくりかたに緒を付くる事

「箱のくりかたに緒を付けるには、箱の左右どちらに付けるべきでしょうか」と有職に詳しいある人にお尋ねしたら、「軸()につけるべきという説と、表紙()につけるべきという説もあるから、どちらでも構わないだろう。手紙を入れる箱の多くは右に付ける。手回りの物を入れる箱は左が普通だ」とその方は言われた。

3日 第九十六段

めなもみといふ草あり

めなもみと言う草がある。マムシに噛まれた人がその草を揉んで付ければ、すぐに治ると言う。見知っておくがよい。
4日 第九十七段

その物に付きて

その物にとりついてしまい、その物を消耗させるものは沢山ある。身には虱あり、家にはネズミ、国には賊がいる。つまらん人間に財産があり、君子には仁義があり、僧には仏法がある。

5日 第九十八段

尊きひじりの言ひ置ける事

尊い聖の言われた言葉を書いてある「一言芳談」という名の草子を見た。中で共感した言葉は次のようなものである。
1. しようか、すまいかと思うことは、概して、しないほうがよい。
2.後世を思う者は、糠みそを入れる容器一つ持ってはならぬ。所持するお経や本尊仏に至るまで立派なものを持つのは無益である。

6日 第九十九段

堀川相国は

堀川相国は美男であるばかりか豊かで、何事も贅沢が好きな人であった。子息の基俊卿を検非違使の別当にしていたが実質は相国が検非違使の事務をされていた。ある時、庁舎の中にある唐櫃が見苦しいと思い新調を指示された。然し、この唐櫃は遠い昔から伝わったもので起源は不明だが、何百年経過したものだ。代々伝わった公用の器物は古びて傷んでいるのが名誉である。だからたやすく換えるわけにはいかなと故実に通じた役人が申し上げたので、その件は沙汰やみとなった。

7日 第壱百段

久我相国は

久我相国は、清涼殿の殿上の間で水を召し上がる場合、主殿司の女官が素焼きの杯をさし上げたら、「まがりを持って参れ」といわれて、そのまがりにて水を召し上がった。

8日 第百一段

ある人、任大臣の節会の内弁を

ある人が、任大臣の節会の内弁をされた時に、内記が持つ宣命を受け取らず紫宸殿に参上してしまった。大失態である、引き返して受け取るわけもいかず、思いあぐねておられると、六位外記康綱が、衣かずきの女房に頼んで、その宣命を持たせて密かにお渡しした。実に立派な応変の処置であつた。

9日 第壱百弐段

尹大納言光忠入道

尹大納言光忠入道が追儺の上卿を勤められた時に、洞院右大臣殿に式次第の指示を仰いだら、「又五郎男を師とするのがよい。それ以外の知恵は思いつかない」といわれた。その又五郎は、年老いた衛士で公事に習熟していた。ある時、近衛殿が陣の座に着かれた際、ひざつきを忘れて外記を召された。たまたま又五郎は庭火を焚くのに伺候していたが、これを聞いて「外記よりも、まずひざつきを召されるべきだ」とこっそり呟いたという。実に面白いことであつた。

10日 第壱百参段

大覚寺殿にて

大覚寺殿で院のお傍に仕える人々が謎々を作って解いている最中に、医師の忠守が参上した処、侍従大納言公明卿が「わが国の者とも思われない忠守よ」と彼を謎々に仕立てた。ある人が「唐瓶子」と解いて、みな大笑いしたら、忠守は腹を立てて退出してしまった
11日 第壱百四段

荒れたる宿の

人の訪れもしない、荒れた家があった。ある女が人目を憚らねばならぬ事情があり、その家に籠っていた。ある人がその家に立ち寄ろうとして、夕月夜のほのくらい時に忍んで入った。犬が鳴き声を立てるのを聞いて、召使の女が出てきた。「どちらからお越しでしょうか」と云うが、そのまま女に取り次がせて、家の中にお入りになった。中の心細げな様子を見て、のどかな日々を送っているのだろうと心を痛められた。粗末な縁側に暫く佇んでいたら、落ち着いた感じの、しかも若々しい声で「こちらにお入り下さいませ」と言うので、開けたての不自由そうな遣り戸から中にお入りになった。

12日

家の中の様子は、それほど荒れてはいない。奥床しい風情で、燈火は奥のほうにほんのりし明るく燈されているのみだが、調度の美しさが見え、慌ててたいたとも思えぬ香の薫りも懐かしく感じられる住まいであった。女が「門をよく閉めなさい。雨が降るかもしれない。御車は門の下にお入れなさい。お供の人はどこそこに休んで頂きなさい。」と云うと「今夜は落ち着いて眠れそうね」と侍女が囁くのも、小声ではあるが、ささやかな家なので微かに聞こえてくるのであった。

13日

それから近況などをこまごまと話されるうちに、まだ暗い中を一番鶏が鳴いた。なおも過去のこと、これからのことを心をこめて語り合ううちに、今夜は鶏も一際陽気に鳴きたてるので、もう夜が明けたのかと耳をおすましになる。しかしまだあたりは暗く、急いで帰らねばならぬ場所でもなく、少しゆったりしておられるうちに、戸の隙間が白くなってきた。やむなく、女への愛を忘れまいなどと言葉をかけて、そのお方はお立ちになる。梢も庭も青々と新鮮に見渡せる四月の曙の風景であった。その優美で趣深い朝を思いだされて、そのお方は、ここを車でお通りになるたびに、女の家の目印である桂の大木が見えなくなるまで、いまも見続けておられるそうである。

14日 第壱百五段

北の屋かげに消え残りたる雪

家の北側の陰に残雪が硬く凍っている。そこに寄せてある牛車のながえに霜がきらきらして、有明の月が冴え冴えと照っているがややかげりが見える。そのような情景の中で、人の気配もない御堂の廊下に、並の身分では無さそうな男が女となげしに腰を下ろして語り合っている。何事であろうか。話は尽きそうにない。二人の頭や容貌が実に優雅で、なんとも云えない良い薫りが時に風に乗ってふときたりするのはいいものだ。その声が端々だけなのも心がひかれる。

15日 第壱百六段 

高野の証空上人

高野山の証空上人が京都へ上京した時、細道で上人と出くわした騎馬の女がいた。その口取りが手綱を引き損ない、上人の馬を掘に落としてしまった。上人は気分を害して咎めた。「何という酷い無礼であろう。四部の仏弟子はだな、比丘より比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞は優婆夷は劣る。このような優婆夷のくせに、比丘を堀に蹴落とすとは空前の悪行だ」と云われた。

16日

口取り男は「何を言われるのか、さっぱり分かりません」と云う。そうすると上人は愈々いきり立ち、「何を云うのか、修行もせぬ無学な男のくせに」と荒々しく云った。大変な放言をしたと思ったらしく、上人は慌てて馬の向きを変えて逃げ去った。さぞかし尊い叱責であったろうことよ。

17日 第壱百七段

女の物言ひかけたる返事

女が何か言葉をかけた時取り合えず旨く言える男が出来る男らしいがそんな男は滅多にいない。亀山院の御代、軽薄な女房たちが、若い男が参内するたびに「今年はもう、ほととぎすの声を聞きましたか」と尋ねて彼らの機転を試した。何某という大納言は、「取るに足らない身なので、まだ聞くことができません」と答えた。堀川内大臣殿は「岩倉で聞いたように思います」と仰ったが、女房たちは「この答えが無難だ。取るに足りない身などと言う言い方は感じが悪い」などと批評しあった。

18日

男はすべて女に笑われることのないように育てるべきだと言う。「浄土院の前関白殿は、幼少時に安喜門院がよく指導されたので、口の利き方が立派である」と、ある人が言ったという。山階左大臣殿は「卑しい下女の目がある時も、大変気恥ずかしく用心させられる」と言われた。女の居ない世の中なら、衣服や冠の着け方がどんなであれ、身づくろいする人はおるまい。

19日

人に気をおかれる女は、ではどれほど立派なものかと言うと、実は、その本性はねじけたものだ。我執が強く、欲望は甚だしく、物の道理を知らず、ただ迷いに心が動き、言葉は巧みだが、その癖に人が問う時には、差し支えないことでも答えない。では、慎ましく黙っているかと思うと、またとんでもないことにまで、問われもしないのに喋りだす。

20日

深い思慮を巡らしてうわべを飾る点からすると、その知恵は男に勝るかと思えば、自分の本心がすぐばれてしまうのに気付かない。素直でないし、しかも至らないのが女とというものだ。その女心に追従して気に入られるとすれば、情けないことだ。だから、女の目を気にする必要がどこにあろうか。かと言って、ただ、心の迷いに身を任せて女と付き合う時、彼女らは優雅にも魅力的にも感じられる筈である。

21日 第壱百八段

寸陰惜しむ人なし

僅かな時間を惜しむ人はいないようだ。それは悟っている故か、惜しむことを知らぬ愚かさ故か。愚かなために怠る人に一言すると、一銭はささやかなものだが、それを積み重ねれば、貧者を富める人にする。だから、商人は一銭を切実に惜しむ。刹那は知覚できない短時間だが、これが継続すれば死期が忽ち訪れる。

22日

従って、仏道を志す人は漠然と歳月を惜しんではならぬ。現在のこの一瞬が虚しく過ぎ去るのを惜しむべきである。もし人が来て、わが命が明日必ず失われると告知されたら、今日の暮れるまで、何を期待して、何事をするのであろうか。われわれが生きる今日という日は、その日と本質的には違わない。一日の間に、飲食、用便、睡眠、言語、歩行などといったことで,やむなく多くの時間を費やしてしまう。その余暇が幾らも無いのに、無益のことをし、無益のことを言い、無益のことを思って時を過ごし、月日を送り、一生を送るなどというのは、最も愚かしいことだ。

23日

謝霊運は「法華経」の翻訳文を筆録したほどの人だったが、野望があり、恵遠は白蓮社の仲間に入れなかった。かりそめにも、時間を惜しむ心がなければ、生きる意味を喪った者と言うべきで、それは死者同然である。時間を何のために惜しむのかというと、心中には雑念を交えず。周囲には雑事のないように努め、悪をやめようとする人はやめ、善を行なおうとする人は行えというためである。

24日 第壱百九段

高名の木のぼりといひし

木登りで有名な男が、人に指示して高い木に登らせ、梢を切らせた時である。登った男が大変危険に思われた時には何も言わないでいたが、彼が降りる時に、軒の高さくらいになって、初めて「怪我するな、気をつけて降りよ」と言葉をかけた。私が「この程度の高さになったら飛び降りることもできる。なぜ、そんなことを言うのか」と言った。

25日

「そこが肝心なのです。目が回るような高さで、枝も折れそうな間は、本人が気をつけているから何も言わない。怪我というものは安全な所まで来てからするものです」と言った。身分の低い者だが、その言葉は聖人の戒めと同様である。鞠も、難しい場所から巧く蹴りだしてから、安心すると失敗して鞠が地面に落ちるものだと、言い伝えにあっように思う。

26日 第壱百壱拾段

双六の上手といひし人に

双六の名手と言われた人に、その秘訣を尋ねた。「勝とうと思って打ってはならない。負けまいと思って打つべきだ。どの手を打つと早く負けるかを思案し、その手を避けて、一目でも遅く負ける手を選ぶのがよい」と言った。その道をよく知った教えで、身を修め、国を治める道も、この言葉に相通じるのである。

27日 第壱百壱拾壱段

囲碁・双六好みて

「囲碁や双六に夢中になって日々過ごす人は、四重五逆に勝るとも劣らぬ悪事である。」とある聖が言われた。今も耳に残って強く覚えている。
28日 第壱百壱拾弐段

明日は遠き国へ赴くべしと

明日は遠い国へ旅立つ事になっている人に誰が心静かになすべき事を呼びかけたりするであろうか。また、突然の取り込みに没頭していたり、嘆きの深い人は無関係のことに耳を傾けたり、人の憂い事や喜びごとに何か言ったりしないものである。何も言わなくても、それを恨む者はいない。だから、年をとり、病にもとりつかれた人は当然のこと、世捨て人も他人と交渉を絶っている点は同じであろう。

29日

世間の社交の慣わしは、それを不可欠と考えておれば、したい事も多く、身も不自由だし、心の落ち着く時もなく、一生はこまごました雑用にさえぎられて空しく暮れてしまうであろう。日は暮れなお前途は遠い。自分の一生は思うようにはならない。すべての係わり合いを捨て去る時だ。もやは信義も守るまい。礼儀も思うまい。この気持ちを理解できない人は、狂人というなら言え。正気を失った人情もない者と思わば思え。非難されようが意に介さない。逆にその決意をほめても耳を傾けようとも思わない。