徳永圀典の徒然草口語訳9. 平成16年5月

1日 壱百四拾段

身死して財残る事は

自分の死後に財産を残しておくということは、智者はしない。つまらぬ物を蓄えておくのはみっともないし、良いものであれば故人がそれに思いを残したと思われるのも虚しい。遺産が多いのは何にもまして感心しない。「自分が貰う」などと言う者がいて、死後に争うのは醜い。死後にあの人に与えたいと決めた物があるなら生きている間に譲っておいたがいい。朝晩なくて困るものなら兎も角、それ以外の物は何も持たないでいたいものだ。

2日 壱百四拾壱段

悲田院の尭蓮上人は

悲田院の尭蓮上人は俗姓は三浦某という方で並ぶ者のない武者である。郷里の人が来て話すには「関東の人は言ったことが信頼できる。都の者は口先だけの約束はよくするが誠意がない」と言った。

3日

上人は「あなたはそう思うのであろうが、私は都に長く住んで都の人と親しくなった者として見ると、人の心が劣っているとは思わない。一般に都の人は心が穏やかで情があるから人が口に出して頼む程のことを、キッパリと断れないので万事思ったままをハッキリいえないで気弱にも承諾してしまうのです。相手を騙そうとは思わないのだが、貧しくて意のままに出来ない人ばかりなので自然と初めの意志通りに行かないのが多いのでしょう。

4日

関東人は私の仲間ではあるが、実の所、優しさがなく人情を欠き、ひたすら武骨な者どもだから無理なことは初めから、嫌だと言ってそれで済んでしまう。然し、富み栄えて豊かなので、結果的には人に信頼されるのです」と理を立てて説明した。

5日

この上人は声になまりがあり荒々しく仏典の微妙な道理を余り理解していないのではないかと思っていたが、この一言の後には敬服するようになった。僧侶も大勢いる中で一寺の住職となられたのは、このような柔軟な心を持っていることも一因であろうと思った。

6日 壱百四拾弐段 心なしと見える者も 情がないと見える人でも立派なことを言うものだ。ある恐ろしげな武者が傍らの人に向かい「お子さんはおいでですか」と問う。するとその人は「一人もおりません」と答えた。すると武者は「それなら、ものの哀れはお分かりになるまい。人情味が欠けていることだろうと実に恐ろしいように思える。子供を持つことにより、すべての情愛を自覚できるものなのに」と言った。これには共感させられた。身内への愛以外には、こういう者の心に慈悲は生まれまい。孝行心の無い者も、子を持つことにより初めて親の心を悟るものだ。
7日 世捨て人の天涯孤独な人は、なにかにつけて係累の多い人が万事、人に諂い、欲深く生きるのを見て、無闇に軽蔑するものだが、いとしく思う親や妻子の為ならば、恥も忘れ、盗みもしかねまい。だから盗人を捕らえて悪事のみ罰するよりも、世の人が飢えず寒さをしのげるように政治をして欲しいものだ。人間は安定した生活基盤がなくては安定した心にならない。生活に追い詰められて盗みを犯すのだ。世が安定せず生活の苦痛がある限り罪を犯すものは絶えない。人を苦しめ法を犯させておいて、その者を罰するのは可哀想である。
8日 では、どうして人々に恩恵を与えればよいかと言えば、上に立つ者が倹約し民を愛し農業を促進させれば下々の者が幸福になることは疑問の余地がない。衣食が足りている上で悪事を働くような人を誠の盗人というのだ。
9日 壱百四拾参段

人の終焉の有様の

人間の終焉の有様の非凡さなど、人が語るのを聞いていると、ただ平静で取り乱さなかったと言えば、それだけで感心してしまうのだが、愚かな人は異様な様子をつけ加え最後の言葉や振る舞いも自分の好みに合わせて誉める。そんなことは、その当人の日頃の意志ではないと思う。
10日

この終わりの大事さは、たとえ神様や仏様の化身のような人もその品定めはできない。博学の人も推察することはできない。本人が穏やかに死ねればそれでよいのであって、人の見聞によって終わりの良し悪しを決めるべきではない。

11日 壱百四拾四段

栂尾の上人

栂尾の明恵上人が道を歩いておられた処、河で馬を洗っている男が「足、足」と言うので、上人は立ち止まって「ああ、なんと尊いことか。前世の功徳が実を結んだ立派な人だ。それで、阿字、阿字と唱えているのだなあ、どんな人のお馬なのか。余りに尊く思われる」とお尋ねになると、男は「府生殿のお馬です」と言う。「これはまた、素晴らしいことだ。すると阿字本不生であるらしい。なんという嬉しい機縁に巡り合ったことだ」と言われて感涙をぬぐわれたという。

12日 壱百四拾五段 御隋身秦重躬 御隋身の秦重躬が北面に仕える下野入道信願に対して、「落馬の相がある人だ。よくご注意下さい」と言った。信願は余り信用していなかった。処が彼は落馬して死んでしまった。一道に秀でた者の一言とは神秘的なものだと人々は思った。
13日

そこで「どんな相に見えたのか」と或る人が問うと、重躬は「あの人は極端な桃尻で、そのくせ荒々しい馬を好んだので落馬の相と判断したのだ。いつ私が間違ったことを言い居ましたか」と言った。

14日 壱百四拾六段 明雲座主、相者にあひ給ひて

明雲座主が人相見に向かい、「自分はもしや武器による危険を受けることがありはすまいか」とお尋ねになると、人相見は「確かにその相があります」と言った。座主が「どんな相か」と言われると「傷害の恐れなどある筈もない御身で、かりそめにもそのような事を思いつかれて私にお尋ねになった。それが将にその危難の前兆です」と申し上げた。
予言どおり、このお方は矢に当たって亡くなられたのであつた。

15日 壱百四拾七段

灸治、多くの箇所になると

灸をすえる場所が余りに多くなると神事に相応しくない汚れが生まれるということは、近年に人が言い出したことである。格式などには見えないそうだ。

16日 壱百四拾八段 四十以後の人、身に灸を 四十を過ぎた人が身に灸をすえても三里を焼かないと、のぼせることがある。必ず三里に灸をすえたほうがよい。
17日 壱百四拾九段

鹿茸を鼻にあてて

鹿茸ーろくじょうーを鼻に当てて嗅いではいけない。その中に小さな虫がいて、鼻から入り脳を食うという。

18日 壱百五拾段 能を付かんとする人 一芸を身につけようとする人は「まだ下手な間は人に知られないほうがいい。密かに習得してから人前に出れば、とても立派に見えるだろう」といい勝ちであるが、このような人は一芸をものにできないものだ。まだ全く芸が未熟な間から、上手な人に交じって、けなされたり、笑われたりしても意に介さず本気でその時期を打ち込んで過ごす人は天分が欠けていても、中途半端な域に留まらず自己流にならないで年月を経れば、天分があっても集中力の無い人よりも最後は名人の域に到達するし長所も伸びる。そして人から認められて名声も得られよう。
19日 天下の名人と雖も、初めは下手だと噂されたり、事実欠点が多かったのである。しかし、そのような人も道の掟に忠実で、それを重んじて勝手なことをしない限り、いずれは世の権威として万人の師となる。このことはどの道でも同じはずである。
20日 壱百五拾壱段

ある人の言はく、年五十になる

或る人が言った、五十才になっても上手と言われる域にならない芸は捨てるべきだと。その年ともなると一心に励み習う余生も残されていない。老人のことを、人も笑うわけにはいかぬ。老人が年下の大勢の中に交じっているのも場違いで見苦しい。
21日 だいたい、その年になれば万事、仕事をやめてのんびり生きるのが良いし望ましい。世俗のことにかかわったままで一生を終えるのは最も愚かである。気になることは、人に尋ねて教わる場合も大体のことが分れば一先ず疑問が晴れたという程度でいいのだ。初めから、そのような望みを持たずにすませるならそれが一番である。
22日 壱百五拾弐段

西大寺の静然上人、腰かがまり

西大寺の静然上人は腰が曲がり、眉が白い、本当に徳のあるご様子で内裏に参内される。西園寺内大臣が「ああなんと言う尊いご様子であろう」と言われ上人に対して深い敬意を表された。資朝卿は上人を見て「年をとっているだけのことです」という。
後日、資朝卿は、ひどく老いて見る影も無いむく犬で毛の禿げたのを引かせて「この犬の様子は尊く見えます」と言い内大臣に献上されたと言う。

23日 壱百五拾参段 為兼大納言入道召し捕られて 為兼大納言入道を捕まえ武士たちが囲んで六波羅に連行した処、資朝卿は、一条大路のあたりでこれを見て「ああ、羨ましい。この世に生きたあかしは、このようでありたいものだ」といわれた。
24日 壱百五拾四段 

この人、東寺の門に雨宿り

このお方が東寺の門で雨宿りされた時、不具者たちがそこに集まっていた。彼らは手も足も捻じ曲がり、そりかえっており誰も不具で異常、とりどりに比類ない連中ばかりで、実に珍しいと思って見つめていた。処がすぐに興味を失い醜く不愉快になってきた。ただすなおで珍しくもないのが一番だと思い直された。帰宅後、日頃植木を好んで異様に枝や幹が曲がりくねったのを求め楽しんでいたのは、あの不具者を好むのと同じであったかと、気が付いて興を失い鉢植えの木をみな掘り捨ててしまわれた。いかにも共感させられる。

25日 壱百五拾五段 

世に従はん人は

世間の慣習に従って生活しようとする人は先ず時機を知る必要がある。時期を得ないと他人の耳にもはいらない、心にも合わないのでうまくいかないものである。それに相応しい時機を心得ねばならない。ただし発病、出産、死ばかりは時機の適否は関係なく、その時ではないと言って避けることはできない。生成、存続、変化、死滅という重大な摂理は、荒川が水勢豊かに流れるのとよく似ている。

26日

一瞬も停滞せず、忽ち現実となるものである。だから仏道修行であれ俗事であれ、必ず決行しようと思うことは時機に拘泥してはいけない。あれこれ準備に手間取ったり中止してはならないのだ。

27日

春が終わり夏になり、夏が終わって秋がくるのではない。春はその季節の中に夏の気配があるし、夏の間から既に秋の趣がまじり秋はすぐに寒くなり十月は小春陽気で草も青く、梅も既に蕾をつけてしまうものである。木の葉が落ちるのも先に葉が落ちてそれから芽が出るのではない。新しい芽が下から芽生え、その圧力に堪えられなくて葉が落ちるのだ。その変化を齎す生気を内部に用意しているので葉の変化の過程は大変早いのである。

28日 生、老、病、死が入れ替わり現実のものとなるのは、それ以上に早い。四季の変化は早いとは言うものの一定の順序がある。それに対して死期は順序を待たないでやってくる。死は前から来るとは限らない。人の背後に迫っている。人はみな、死があることを承知し、その覚悟が切実になっていないうちに死は不意にやってくる。沖の干潟が、例え遥かに見渡せても足元の磯からいつの間にか潮が満ちてくるようなものである。
29日 壱百五拾六段

大臣の大饗は

大臣の宴会はしかるべき所を願いでて借り受け、そこで行うことがしばしばある。宇治左大臣殿は、東三条殿で行われた。そこは内裏であったのだが、左大臣の申請であったため、帝は他の場所に行幸された。たいした縁故がなくても、女院の御所などをお借りするのか古来の習慣である。
30日 壱百五拾七段 筆を執れば物書かれ 筆を持つと自然と何か書くし、楽器を持つと音を出そうとする。杯を持つと酒を思うし、賽を持つと攤―だーを打とうとする。心は必ず何かを契機として生ずる。だから、かりそめにも、良くない戯れごとをしてはならないのだ。
31日

仏典を僅か一句でも見ると、なんとなく前後の文章も見当がつくものだ。それにより思いもかけず多年の過誤を改めることもある。仮に、その文章を広げて見なかったならその過ちを知ることができたであろうか。これはとりもなおさず、きっかけを得たことによる利益である。信仰心が全く起きなくても仏前で数珠を持ち、お経を手にすれば怠っている間に善行が自然と実践でき、散漫な心であっても縄床に座しておれば、知らず知らずの間に禅定が出来る筈である。現象と真理とは別のものではない。外に現れた姿が理に背いていなければ内面の悟りは必ず実現する。外形的なことに更に不信を言い立ててはならぬ。むしろ仰いで尊ぶべきである。