徒然の抄 その5

平成19年元旦
あけましておめでとうございます。
「目出度さも中くらいなりおらが春」というとこである、それで充分である。
何事も、完全制覇とか、満点とか、極めつくさないでおくというのも日本人的感性であるように思う。
欲逞しくないのが日本人である。農家の庭の柿の木の実を一つだけ残して置く、神様か鳥かは知らぬが、あの気持ちである。これが日本人の優しさであり、サムシング・グレイトへの感謝の心である。
私は、遂に今年で喜寿を迎えた。この年になると、「日々是れ好日」、ただ健康に今日一日を過ごさせて頂ければ、もう充分。
そして、現在も健康なこの体・「親の遺体」であるこの肉体を残してくれた両親へ、ただただ感謝あるのみだ。
「何事がおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」の心境である。
日々、質素・簡素、そして清楚に、食べ物も慎ましく、それでいいのだと自分は思っている。
今年も可能な限り登山に邁進したいという気持ちである。
今年もどうか健康を与えて下さいと神仏にお祈りするだけである。                                                  平成19年元旦 徳永圀典拝

平成19年2月1日

瞬く間に一月も終えた。将に瞬く間にだ。その間、私は5日間も関西の山々を逍遥した。登山中、或いは山や里の植物や花、南紀の春の海のブルー、春のような温暖な自然に接したり、滾々と湧き出でる鄙びた温泉の湯に浸かつたりすると気持ちが和らぎ生きている実感を強く味わうことが出来た。至福の時を過ごすことが出来た。

然し、一旦帰宅すると、なんとまあ悲惨な事件の日々多発していることか。遂に私は、テレビも新聞も週間誌も、殆ど見向きをしたくなくなってしまったのである。

国民を指導しなくてはならぬ政治が、あのテイタラク、テレビも新聞も、もう実に嫌な存在だと思うようになった。ドギツイことは、もう結構である。 

本当に、日々の悲惨な事件の多発、「給食費を支払わぬ親」、実に「嫌な社会」、「嫌な日本」、「嫌な政治家」、「嫌なメデイア」、「嫌なことが溢れた日本」。

実に嫌な社会になってきたものだ。それに気づかない社会の指導者ばかりであるのだろうか。 

人間とはなんて情けないものだろうか。            徳永圀典

平成19年3月1日

歳月の去ってゆくことの速さよ。もう学年末である。生まれ出でた時の印象が残る孫が、もう三年生となる。上の子はもう思春期となる。それだけ自分が加齢したということである。
最近の男女とも、若い人々だけでなく、五十がらみ男女でも、彼らの言葉が気になって仕方ない。
実に妙な日本語となつている。聞いていて不愉快になることがしばしばある。敬語のつもりだろうが、ミョウチクリンなのである。そして、お客に対しても、年長者に対しても、友達のようにウンウンとやる、神経にきてしまう。
政治も、官僚も、お医者も、企業家も、子供たちも、みんな平和ボケ、過保護の栄養過多。
過去の素晴らしい日本人から程遠いものとなつてしまつた。醜い、嫌な日本をこれからも見続けなくてはならぬのか。そして、不良外人が悪さをする。困った国となつてしまた。
少しは、美しい日本への復古も感じられるが容易でないものを感じる。教育を根本から仕切り直しても数十年単位の話となる。
戦争に負けたということの甚大な民族的後遺症を痛感する昨今である。


平成19年3月1日

弥生の月、優雅な響きの言葉だ。仲春のことであり、啓蟄、春分、三寒四温の月である。春近くの表現で実に奥ゆかしい。

最近の男女とも、若い人々だけでなく、五十がらみ男女でも、彼らの言葉が気になって仕方ない。
実に妙な日本語や敬語の使い方となっている。聞いていて不愉快になることがしばしばある。敬語のつもりだろうが、ミョウチクリンなのである。そして、お客に対しても、年長者に対しても、友達のようにウンウンとやる、神経にきてしまう。

政治も、官僚も、お医者も、企業家も、子供たちも、みんな平和ボケ、過保護の栄養過多。
過去の素晴らしい日本人から程遠い社会となってしまった。

醜い、嫌な日本をこれからも見続けなくてはならぬのか。そして、不良外人が激増しており、日々悪さをする。困った国となってしまった。そして益々、新興の後進性も見られるアメリカに似た社会となりつつある。

少しは、美しい日本への復古の調べも感じられるが容易でないものを感じる。
教育を根本から仕切り直しても数十年単位の話となる。
戦争に負けたということの甚大な民族的後遺症を痛感する昨今である。

平成19年4月1日
卯月は私の誕生月である。清明、花見、鎮花祭、穀雨と、春らしい言葉が続いて出てくる。
桜花爛漫、お釈迦様の花祭りの甘茶と私には格別の思いもある月である。

清明は4月5日頃、すがすがしく明るい、この季節の空気を表現したものであろうか。
「万物、ここにいたって皆、潔斉にして清明なり」である。

花見は、勿論桜花を見ること、百花ありと雖も日本人には桜花であろう。全国各地で桜にちなんだお祭りがあろう。花の宴、花衣、花の幕、花床机、花の踊、花筵、花人、花の袂、桜狩、観桜などの春語らしい言葉が日本語と日本人の感性を物語る。

花鎮祭、はなしずめの祭り、なんという優しい思いの言葉であろうか。花は生命の誕生、散るのは生命の終わり、落花の頃は疫病が流行るのでこれを鎮めるお祭りをいうらしい。落花を惜しみ、京都などでは、「や富草の花や やすらえ 花や」と鉦や太鼓ではやすという。「や富草の花」とは稲の花をいうらしい。「やすらえ」は「ちょっと待ってくれ」の意味、花の散るのを惜しむ願いである。
穀雨は清明の後の4月20日ころ、春雨が降り百穀を潤すの意味。立春からこの穀雨までが暦の春である。
だが、大陸の環境汚染で日本の春も台無しになってきた。

平成19年5月1日

新緑ちゃん こんにちは 

こんにちは 新緑の赤ちゃん  

名前は若葉ちゃん かわいいね、ちいちゃいな 

待ってたよ 今か今かとね 

生まれて来たね やわらかいね  

やさしいね 淡い 緑いろの肌だね若葉ちゃん 

やっと生まれたばかりだ  

もう 風が冷たく きつく吹きつけているよ 

それでも 嬉しそうに風のまにまに泳いでいる 

新緑の赤ちゃん 

心をやわらげてくれる 若葉ちゃん 

ケヤキ並木の若葉ちゃん 

長いこと赤ちゃんでいてね 

ね、 ね、新緑の赤ちゃん 

平成19年4月14日    鳥取県民文化会館前のケヤキ並木にて 


平成19年5月1日

 五月は立夏(りっか)小満(しょうまん)菖蒲(しょうぶ) 

新暦の五月六日頃が「立夏」、夏の始まり、まだ穏やかな暖かさが心地よい。京都の葵祭りが十五日だが、「小満」、万物が次第に成長し一通りの大きさになっている時期という意味である。 

「菖蒲」は五月五日の男の節句に使う菖蒲(しょうぶ)()、菖蒲は「尚武(しょうぶ)」に通じるから中世には武士の「(こころざし)(あかし)」として端午(たんご)節句(せっく)(かぶと)(のぼり)と飾ったものだ。戦後にこの男の節句を祝う気概が消滅して雛祭りが賑わうのは物悲しい思いがする。 

菖蒲刀とは、菖蒲の葉を束ねて編んで土を叩く、その音の強弱を競う男児の遊びが始まりであるという。 

ホトトギスの鳴く季節となった。

ここで万葉集第十九の長歌と反歌 

ほととぎす ()鳴く(なく)五月(さつき)に 咲きにほふ 花たちばなの ()ぐはしき 親の御言(みこと) (あさ)(よひ)に 聞かぬ日()() 天離(あまさか)る (ひな)にしをれば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを ()()海人(あま)の  (かづ)き取るとふ 真珠(しらたま)の 見がほし御面(みおもわ) (ただ)(むか)ひ 見む時までは 松柏(まつかへ)の 栄えいまさね (たふと)()が君  

反歌 

白玉の見がほし君を見ず(ひさ)(ひな)にしをれば生けるともなし 

平成19年6月1日
五月には、鳥取で30度を超えた日があった。皐月というに何を況やである。そして福岡の小学校は春の運動会が光化学スモッグで中止となった。中国の亜硫酸ガスが大量に移動してきたのだ。そうしていたら数日後、西日本は物凄い黄砂で山々が見えない程となる。私の言ってきたように、最終ランナーの史上最悪の最大人口民族、無教養、無知、倫理、恥じ無きシナ人は人類の迷惑な存在に見えてきた。排水溝の中の油を利用して中華ラーメンを作りモンゴル人が即死しているのだから、この国の人々は、どうしようもない。西洋文明生活の早すぎた取り入れの悲劇である。

平成19年7月1日
半夏生(はんげしょう)小暑(しょうしょ)大暑(たいしょ) 

これを「はんげしょう」と読むのだから、日本語とは優雅で粋なものだと痛感する。このようなセンスは英語にも中国語にもあるまい、感性の鋭さと柔らかさを感じる。だが、このような思いは現代の人々には失われているのではなかろうか。 

夏至から十一日目に当たる七月二日頃が「半夏(はんげ)」である。 

この草には二種類あるという、一つはドクダミ科、半分白いから「半化粧」と呼ぶ人もあるらしい。毎年同じ場所に咲くという。

もう一つはサトイモ科薬草の「(からす)柄杓(びしゃく)」のことらしい。田んぼに幾らでも生えている繁殖力の強い草。 

「小暑」は七月八日ころ、いよいよ夏らしい暑さの始まり。 

「大暑」は七月二十三日ころ、大いに暑いの意、本格的な夏の始まりである。だが、この季節感も、日本の情緒が薄れたのと同様に過去のものとなりつつある、地球の温暖化、中国による地球環境破壊は凄まじく、このままでは地球・人類滅亡まっしぐらの様相の昨今である。

平成19年8月1日


立秋・処暑・二十六夜 

立秋

新暦の八月八日ころ、太陽の黄経が135度の時。

まだまだ暑いが暦の上では秋の始まりの日であるという。この日から残暑である。 

処暑

八月二十三日ころ、「処」は、とどまる、の意味で、暑さがとどまるということ。日中は暑くても夕方から夜にかけては、秋らしい涼気が流れる。

南北に長い日本列島、北海道では秋の訪れが肌で感じられるようになっている。

だが、地球温暖化で、日本の情緒ある四季は過去のものになりつつある。 

二十六夜

旧暦で七月二十六日というから、本年は、九月七日となる。

この日の夜に、月が昇る時、月の中に、阿弥陀・観音・勢至の三尊の姿が見えるというので、宮中では「月待ち」の宴が行われる。

江戸時代の庶民も、夕涼みをかねて高台や物干し台に上って、二十六夜待ちの月見を楽しんだという。いい風情の日本である。 

平成19年9月1日

9月8日 白露(はくろ)

新暦9月8日頃。朝夕は草に結ぶ露しげくなる。白い(もや)が漂い秋気が濃くなる時期である。 

9月11日八朔(はっさく)

旧暦の八月一日。今年のそれは新暦9月11日である。秋の実りを期待し台風を警戒する頃である。八朔盆と言えば、お盆の終わりであり、八朔節供としてこの日を祝う地方も多く祭りもあると聞く。また「たのもの節供」として稲の穂出しを祈る行事も各地にある。 

9月23日秋分

新暦9月23日頃。昼夜の長さが等しくなり、太陽が真東から昇り、真西に沈むことから、古来より様々な年中行事が行われている。

秋彼岸は先祖を祀り、その遺徳を敬い偲ぶ日でもある。 

彼岸花

秋彼岸のころ、突然地上に茎を伸ばして、頂に真っ赤な花を咲かせる。花びらは、はじけたように反り返り、田の畦道や日当たりのいい斜面に累々と連なって咲く。どんな不順な気候でも彼岸になると咲き、花が枯れると根元から青々とした葉が伸びて冬中茂る。

曼珠沙(まんじゅしゃ)()の異称があり墓地に多いので「死人(しびと)(ばな)」とか「幽霊花」とも呼ばれる。特異な花の形、成育ぶりといい印象の強い花ではある。

鱗茎はアルカロイドを含み有毒、だが昔の人は、冬の間、食べ物のない時期に、これを掘り食べたと言われる。事実、地方により「しで餅」の名の餅である。飢饉の時の究極の救荒作物として育てられていたらしい。 

十月  晩秋 

寒露(かんろ)  

新暦の十月八日頃。冷気が増しはじめ、露も冷たく感じ始める。 

霜降(そうこう)

 寒露のあとの十五日で、新暦十月二十三日頃。

 霜が降り始める、いよいよ寒気の到来を感じる。 

萩  「おはぎ」と「ぼた餅」

 草かんむりに秋で萩となる。秋の花の代表。万葉集に一番沢山歌われ、古くから愛されてきた秋の七草の一つである。

日本人はこの地味な花に秋の風情を感じて、春のお彼岸の「ぼた餅」(牡丹餅)に対して、秋は「おはぎ」()という。

平成19年11月1日  初冬

立冬(りっとう)

太陽暦の117日頃、太陽の黄経が225度の時という。冬のスタートである。

だが、まだ小春日和もあり、穏かな冬の始まりを告げる。異常気象でこの意味合いも変化しつつある。 

(くさ)紅葉(もみじ)

草の紅葉を言う、秋が深まるに連れて、草原が愈々鮮やかに紅色に染まると里も冬が近い。 

小雪(しょうせつ)

新暦1122日頃、小雪(こゆき)もちらつき始めておかしくない季節と到来である。寒さがまだ深まらず、雪まだ大ならず。寒気が各地に増してくるのが天気図の上に現われてくる。 

新嘗祭(にいなめさい)

旧暦11月中の卯の日に行われる。天皇は、その年の穀物を天の神や地の神に捧げられる。その時に着られるのが小忌衣といい、衣冠の上に肩掛けのように羽織られるのが斎衣。日本の国の神は感謝の神であり美しい国の象徴であろう。

平成19年12月1日
  仲冬(ちゅうとう)

大雪(たいせつ)

新暦127日頃である。北国で、冬の渡り鳥や、冬ごもりの動物の話題がちらほらする。 

冬至

新暦1222日頃、一年中で最も日照時間の短い日。「冬至から畳一目だけ日が伸びる」 

柚子(ゆず)

「桃栗八年、柿八年、ゆずの大馬鹿十六年」

柚子の木の成長は遅い、香気が高くビタミン豊富、師走の日本にはなくてはならぬ彩りでもある。 

煤払(すすはら)

正月を迎える前に家の内外をきれいしておこうと、と言うのはとても日本人らしい習慣。「正月さん」という歳神が寿ら訪れるという信仰から、どの家庭でも家族揃って家財道具を運び出し、畳を上げて清掃する。

宮中でも、「御煤払いの儀」がある。年男の宮官が、水引で結んだ雄竹、雌竹の二本で、天皇の寝所や御座の間をうやうやしく払うという。その後、天皇にお目見えの上、吸い物と酒を頂き退出する習慣がある。