夜船閑話
これは私が30代の時に触れた本であるから40年前近い。妙に印象があり、
その古い本を探しあてて開いて見た。昭和37年出版、原著白隠禅師とある。
再読しながら本文は意訳の独自口語訳をして要点をまとめた。
平成18年9月1日 徳永日本学研究所 代表 徳永圀典
白隠は徳川家重将軍の時代、第115
代桃園天皇、宝暦丁丑、1757年、73才である。 閑話 とは旅で夜船などで乗り合いの人々が四方山話の雑談をすることからの言葉である。 |
気を練り、精を養い、人の営為
をして充実せしめ長生の秘訣を聚めたとある。 神仙練丹の術であろう。 精というのは精神もあるが、血液の精微なるものも意味し精液も含まれる。 |
夜船閑話の序の中に、願くは是を梓(
木の名、版木に利用、出版の事)に寿ふして 以て其渇を慰せん、とある。寿は、命長しと読む。 |
明日から、意訳・口語訳の夜船閑話を連載する。 1 ヶ月でまとめたい。白隠禅師が別の人間が書いているような編集となっている。 |
宝暦丁丑の春。長安の本屋の松月堂の某、遥々手紙を寄越して言う。夜船閑話に書いてあることは、気を練り精を養ひ、人の営衛
という所へ充たせ、専ら長生の秘訣を集めた神仙練丹の極意という。
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宝暦丁丑の春。長安の本屋の松月堂の某、遥々手紙を寄越して言う。夜船閑話に書いてあることは、気を練り精を養ひ、人の営衛
という所へ充たせ、専ら長生の秘訣を集めた神仙練丹の極意という。 |
それは、眠りにつく以前、まだ眼蓋
を合わせない前に、両脚をうんと伸ばして強く踏み揃え、一身の元気を臍輪、気海丹田、腰脚足心の間に充満させてから、次のような観念をしなさい。 |
C我が此の気海丹田総に是れ我が己身の弥陀。弥陀何の法をか説く。と打ち返し、打ち返して、常にこのように妄想するがよい。 |
・老師の言われるに、私が参禅弁道
に入った当初、難治の重病に罹り、その憂悩苦慮は進退谷まるといふ次第であった。・・何たる幸せか、此の内観の秘訣を伝へて全快することができた。これは神仙長生不死の神術である。 |
私は喜びに堪えず専心修法を怠らず続けること凡そ三年。心身次第に健康となり気力も次第に勇壮となることに気づいた。・・吾が歳70
歳を越えだが、病気らしいこともなく、気力充実、二、三十代より遥かに勝っている。 |
松蔭寺に在住する皆の者が、涙を流して恭 しく拝礼して大慈大悲の為にその内観の概略を書き留めて書冊としてお救い下さいと言い老師は快諾された。どのような事が説かれているかというと、凡そ生を養い、長寿を保つ要点は、先ず形を練るのが一番。 形を練るの要点は丹田気海の間に凝らせること。 |
神気が凝ると精気が聚る。精気が聚るとそこに神丹が出きる。神丹ができると形が固い。形が固いときには神丹が全く無くなる。神気が全く無くなると寿命が長くなる。
これ仙人の言う、九転還丹の秘訣に契合する。千万唯だ心火を降下して、気海丹田の間に充足させる秘訣である。 |
私が参禅し学道を始めた日、心に誓い勇猛心と不退転の決意を持ち三年間精励し刻苦した。そして或る一夜、忽然として悟りを得た。 多くの疑問や惑いが根底から氷解した。過去からの生死の業というものが是また根から底から泡のように消えた。 道というものは自己を離れて遠くにあるものではない。古人が20年30 年道のために苦労したのは奇怪千万とさえ思った。 |
その後、猛烈に身命を擲って大死一番の思いで猛烈に修行した。坐禅し、寝ることも、食べることも忘れて精進した。一ヶ月もせぬ間に、心火が逆上、肺金が焦枯し両脚は氷雪のようになつた。両耳はがやがや鳴り、肝胆はか弱く、心神は困惑し寝ても覚めても幻想が浮かび、両腋は冷や汗が滲み、眼には涙がたまる。名医の治療も百薬寸効なしとなつた。 |
或る人が言う山城の国、白川山中に巌居生活している白幽先生、里の人は仙人と言う。天文、医学に通じるとの噂。それで白幽先生を探す、
山中の深い岩窟を探し当てる。御簾の奥に白幽が軽く瞑目して正座している。机上には中庸と老子経 |
重ねて懇請したので白幽は、ゆったりした風情で私の手を取り、精しく五臓、九候を観察した。これは禅病である、
鍼灸、薬では奇功はあるまい。是はつまり観理が過ぎて身体を傷つけたものであるから、内観の功を辛抱よく積まねば再起は難しいという
・「地に因って倒るるものは、地に因って起つ」しかないという。私は何卒内観の秘訣を御教 |
先ず、大道と言うものは、分かれて両儀となる。それが陰陽で、交和すると人間が生まれるのだ。天から享けた元気というものがあり、
黙々として運ぐり、
それが五臓へ列なり経脉に巡る。衛気、営血が互いに昇降循環してその数は一昼夜に約
50
回。肺金
は牝臓 |
脉は一身を巡行すること五十次ぎある。火は軽浮
の性質で、いつも騰昇を好み、水は沈重の性質を持ちいつも下流に行こうとする。若し人がこれらの理を察知せずに、観照が節度を失うとか |
思うに、生を養うということは、国を守るようなものだ。名君聖主は常に心を下層の方に用いることに努めるが、暗君庸主は常に心を上層の方に恣にする。そのように上の方にばかり、心を恣に用 |
隋て諸侯も離反し背むき、衆夷も競い起って終に民衆を塗炭の苦中に陥れ国の命脉も永久に断絶することとなる。是に反して心を民衆の為に専心用いれば、九卿は信義を守り百官は驕ることなく、常に民間の労役を念頭 |
それだから、漆国の言に「真人の息は是を息するに踵を以てし、衆人の息は是を息するに喉を以てす」とある。許俊の言には「蓋し気下焦に在るときは、其息遠く、気上焦に有るときは其息促ぢまる」とある。上陽子の言には「人の真一の気有り、丹田の中に降下するときは、一陽また復す、若し人始陽初複 |
それで経脉の十二は、支の十二に配し、是れが月の十二に応じ、時の十二に合致する。そして六爻が変化最周して一歳が完全になるというわけである。五陰が上に居て、一陽が下を占めて居るのを易の卦では「地雷復」というが、季節で言えば冬至の候である。「真人の息は是を息するに踵を以てす」と同じである。三陽が下に位し、三陰が上に居るのを易の卦で「地天泰」という。正月の季節である。万物発生の気を含み、百花が春の恩沢を |
昔、呉契初が、石台先生に教えを乞い、斎戒して練丹の秘訣を問うた。先生は、私に元玄真丹の神秘がある。上上の器量ある人でなければ、容易に伝えない」と。また、昔、黄成子が是を黄帝に伝えた。黄帝は二十一間斎戒してその秘伝を受けたのである。元来、大道の外に真丹は無く真丹の外に大道はないのである。惟ふに、五無漏の法と言うものがある。人の六欲を去 |
そこで予(
白隠禅師)
の曰
うことに、謹んで御命令を聞きましたので、当分の間禅観を抛って治病に専念することに致しましょう。唯だ心配になるのは李士才の言として謂われている「清降に偏するもの」ではないでしょうか。心を一処に制すると |
交は生の象形
で、不交は死の象形である。李士才が「清降に偏なり」というのは丹渓を学ぶ者の弊害を救はんが為である。古人の言に「相火上り易きは身中の苦しむ所。水を補うは火を制する所以である。」と。
思うに火に君相 |
但し、雷を沢中に蔵れさせると、 必ず飛騰の竜 |
それ観は、無観というのが正解である。多観の者を邪観とするのである。先にあなたは、多観のためにこの重病に罹
ったのである。今これを救済するのに無観を以てするのは、また方法の宜しきを得るものではないか。あなたが若し心炎意火を収めて、丹田および足心の間に置くならば、胸隔は自然に清涼となり一黙ばかりの計較思想というものがなく、一滴ばかりの識浪情波もないであろう。これを真観清浄観というのである。暫くの間禅観を抛下しようなどというのではいけない。
仏の言に、「心を足心
におさめて、能く百一の病を治す」と。また阿含経に酥を用ゆるの法も説かれている。心の労疲を救うことが尤も奇妙である。天台の摩訶止観に病因を論じてあることが甚だ委しい。治療法を説くこともまた大変に精密である。十二種の息というものがある。よく衆病を治癒するのである。又臍輪の縁によりて豆子を見るの法も記されている。これは但だ病を治癒するばかりでなく、禅観にも大いに助けとなるものである。蓋し繋縁諦真の二止がある。諦真の方は実相の円観であり、繋縁の方は心気を臍輪気海丹田の間に収め守るを以て第一としている。行者がこれを用いると非常の利得がある。 |
往古永年開祖(
道元禅師)
が、大宋国に渡り如浄禅師を天竜山に於いて礼拝相見した。道元禅師が請益したらば、如浄禅師の曰うことに「道元よ。坐禅をする時には心を左の掌の上に置くべきである」と。これは即ち顎師(
天台智者大師)
の謂うところの繋縁止
の
大畧である。顎師初め此の
繋縁内観の秘訣を教えて、其の家兄たる
鎮慎の重病を万死の中に助け救われた。このことは精しく小止観に説かれている。
白雲和尚の言に「われ常に心をして腔子の中に充たしむ。徒を匡し衆を領し、賓を接し機に応じ、及び小参普説七縦八横の間に於て、是を用ひて尽くることなし、老来殊に利益多きことを覚ふ」とあるが寔に貴ぶべきことである。これは思うに、素問にみゆる「恬澹虚無なれば真気是に従ふ」精神内に守らば病何れよりか来らん」という語に本づかれたものであろうか。且つ内に守るの要点は、元気をして一身の中に充塞させ、三百六十の骨節、八万四千の毛竅を、一本の髪程ばかりも欠ける処が無いようにすることである。これが生を養うことが至要であることを知るべきである。 |
彭祖の言に「精神導気の法、当さに深く密室を鎖ざし牀を案じ、席を煖ため枕の高さ二寸半、正身偃臥し瞑目して心気を胸膜の中に閉ざし、鴻毛を以て鼻の上につけて、動かざること三百息を経て、耳聞く処なく、目見る処なく、斯の如くなるときは寒暑も侵すこと能はず、蜂蠍も毒する能はず、寿き三百六十歳是れ真人に近し」と。また蘇内翰が言に「己でに飢えて方に食し、未だ飽かずして先ず止む。散歩逍遥して努めて腹をして空しからしめ、 |
私が曰うことに、酥を用いるの法を何卒御教え蒙りたい。白幽が答えて言うことに、行者定中四大調和せず、身心ともに労疲することを覚ゆるならば心を起してこの念想をするがよい。譬へば、色香清浄のなん蘇があってその大きさは鴨の卵くらいのものとして、それが頭の上に、ふと乗って在ったとする。その気味は微妙で頭の鉢一杯を、ずっと潤して水の浸すように、びたびたと潤し下して来て両肩に及び、それより両臂、両乳、 |
この観想をなす時、唯心所現の故であるから、鼻腔に稀有の妙香が匂い、身体は俄かに妙好のなん触を受ける気がする。身心は調和快適で二、三十歳の時代より遥か勝っているようである。この時に当たっては積聚を消融し、腹胃は調和し、知らぬ間に肌膚もつやつやと光沢が出てくる。もしこの修法を続けるならば、どんな病と雖も治癒しないという事はあるまい。どんな徳行でも積まれないことはない。どんな仙行でも成らぬと言うことなく、どんな道行でも成就しないことはない。その功験の現わるの遅いか速いかは、行人の修行に精進することの精か麁かというにある。私(白幽)は、早年
の頃は多病であり、あなたの患いに10倍もの程度であった。多くの医者も総て振り向いても見ないようになつた。
あらゆる手段を尽くしてみたが救済の手段はなかった。この仕儀となり上下の神様を祈り、天仙の冥助を請い願う外は最早やその道はなかったのである。然るになんと幸福と云うべきか、計らずもこのなん酥の妙術の伝授を受けることとなった。
歓びに堪えず油断無くこれを継続精修したところ、未だ一と月も経たぬ中に衆病が大半銷除したのである。 |