安岡正篤先生「一日一言」 そのK

平成25年9月

1日 小人これを(みだ)すのみ 何と言う騒々しい世界だ。何と言う殺風景な世の中だ。天下もと無事、小人これを(みだ)すのみと。全くその通り。つまらぬ人間どもが、元来平隠無事の世の中を、わざわざ引っ掻きまわしして混乱させているのだ。みんな、もう少しおだやかな気持ちになってやってゆけば、世の中のうるさい問題の大半は消滅してしまうだろう、と考える。
2日 騒々しい現代人 考えるということは、結局自分が自分自身にはっきりわかるように話しかけることである。現在世間の会話というものが低調になった理由は、我々が自分自身に話すべきすべを知らないからだ、と誰か話していたっけ。いかにも、このごろのマス・コミなどの安っぽいことはどうだ。孤独と静寂を愛したH・D・ソローを思い出す。彼は言った、世間の交際はあんまり安っぽすぎる。我々はお互いに新しい価値を身につける時間のないほど短い間隔で会合する。お互いに黴臭いチーズさながらの我々の味をなめあっておる。我々は息詰まるようにくっつきあって暮らし、互いに()つかりあっておる。おっしゃる通りだ。ああ、この春の暁、鶯と我との、孤独よりも、もっと静寂な交わりよ。(新憂楽志)
3日 静の哲学 その一 機械のようなものでも、機械が精密によく出来ていて、どこにも欠点のない時の運転というものは非常に静かなものである。人体でも健康な時には、即ち我々の五臓六腑、あらゆる細胞が円滑に調和している時は無意識で静かである。我々の心理状態も調和を得ている時には無心であり、沈静、静寂、日本の伊勢神宮の言葉で言うならば静謐である。そういう意味の非常に積極的な造化的意味、創造的意味の静を周茂叔(北宋の学者)は常に論じている。つまり「静の哲学」である。
4日 静の哲学 その二 人品と言い、思想学問といい、行動といい、その通りである。そして、この人はしばしば地方長官になっているのですが、役人としては余り高い所へいかないで不遇であったが、この人が役所に座ると、とにかく役所の中がしーんとする。問題がなくなる。争いとか議論だとか、そんなものはなくなる。役所の中が何ともいえぬ静かな、ゆったりとした、爽やかな空気になる。つまり自然に治まる。govern(統治)しないでlead(指揮)するというが、周茂叔は「うしはか(うしくは=領知する)しないで「しろしめす」。本当にそうです。実積的にもそういう特色のあった人です。人間はそういうものですね。その人が入っていったら途端にざわめくのと、その人が入っていくと自然にしーんと落ち着く。いろいろの人間、特色がある。造物、造化、したがって生の真の姿は静である。          (禅と陽明学)
5日 俊傑位に在り
その一
今や世界的に政治と言うものは何処を見ても、ヨーロッパもアメリカも、みな非常に難渋しておるが、これを突き詰めれば「賢を尊び」非常に立派な人物、賢者を尊んで「能を使い」よく出来る、色々の問題、本当のタレント、能を使い、そして「(しゅん)(けつ)(くらい)に在り」。これは孟子にあるんです。非常に傑出した人間、俊傑が位にあると、大事なところにデンと坐ると、この三条件が揃えば人間のどんな難しい問題でも解決せんことはない
6日 俊傑位に在り 
その二
結局はこれだと、くだらん人間が位にあり、役に立たん奴を使い、立派な人間を尊敬しない、有象無象が寄ってたかってワイワイ言う処から政治が乱れるんだということを、香港の私の知らない学者でありましたが、私のごく親しい友人の一人が送ってくれた新聞の論説に書いてありました。久し振りに忘れておった孟子の三つの言葉を思い出しました。なるほど、そう言えばその通りです。結局この日本で時局の安定をさせようと思ったら、やはりこの孟子の言う三条件を出ないのです。            (十八史略)
7日 あるべき政治家 おしなべて、現代政治家の根本的弱点は、その余り人を知らぬこと、人を持たぬこと、人を見抜かぬこと、人を使えぬことに在ると思う。政治は畢竟、人を動かし、世を動かすことである。従来、久しく個人主義流行の世の中であったから止む得ぬが、今出世して居るのは特別に心がけの善かったような人々ならばいざしらず、多くは要するに、試験に及第すること、何かの職に就くこと、職に就けばその中の儕輩を泳ぎ抜けて出頭すること、その職のエキスパートつまりは熟練工ないし技師たるより以上の努力をしたものではない。だから下積みの間はよいが、上になるに随って困ったことになる。
8日

平生、己れを虚しうして勝れた人物を物色しもこれと道交を結んで置くようなことをして居らない。そういう心がけも養われておらず、それだけにそういう目が明いていない。そこで、一旦、顕要の地位に就いても、大切な補佐役はおろか、指令の役に供すべき秘書役一人心から許せる者を持っていないと云うことになる。それで如何にして世と戦って、真に事を成就してゆけるであろうか。               (経世瑣言)

9日 民主主義立ち直す為には  民主主義、議会政治は根本的に立ち直さなくてはならないが、それには、どうしたらよいかと言うと、結局、国民が尊敬し信頼できる人を国会に出すしか手がないのです。選挙のやり方を、どう代えてみたところが、それ位の事で片付く問題ではありません。
10日 民主主義立ち直す為に 西洋でも識者は何と結論を出しているかと言うと、結局民主主義の本質を煮詰めればプログレス・オブ・オール、一人一階級の進歩ではなく国民全般の進歩、それもプロレタリアを通ずるとか、何階級を排斥するとか言うのではない。国民全般を通じて、昔からの言葉で言うならば、いかなる野にも遺賢のないようにすることです。
11日 民主主義の本質 それだけでは駄目なんで、その中からザ・ベスト・エンド・ワイゼスト、智慧がなければならない。知識ではなく智慧がなければならない。体験を通じて真理を掴んでおることです。それの最も勝れた人の指導の下における国民全体の進歩、これがデモクラシーの本質であることは、これは誰一人異存のない識者の定義です。それよりほかにこの議会政治は救いようがないのです。処が今の日本などは余程恵まれた条件が無い限り、いかなるベスト・エンド・ワイゼストでもなかなか出られない。これはやっぱり国民の有志が強力してかかりませんと議会を当てにしたってなかなか改まりません。(講演集)
12日 政治家に望ましいのは正姿勢
その一
アメリカの有名な神学者であり伝道者であったセオドア・パーカーが、政見と言うものは急場の理論だと言った事を思い出す。多忙な現実政治家は高遠な政治理論を考えてみたところで何にもならぬことであろう。それに実際政治というものはR・エマースンが旨く言ったことがあるが、政治はある種の毒な手仕事のように、いやな職業である。とかく中毒しやすい。どうかすると良心を無視することもせねばならぬ。
13日 政治家に望ましいのは正姿勢 
その二
人間嫌いと云われたアテネのティモンは政治は過去の政治は良心の上に胡坐(あぐら)をかくと言った。然し、その政治が誰かの説の通り現在歴史を作っており、歴史は過去の政治だと言うこともできる。しかも政治は「急場」の連続である。その結果、どうしても当局の政治家は場当たりになり易く一時逃れ、宥和主義、穏便主義になってしまう。当局に望ましいことは、常に正姿勢である。正姿勢を別の分かり易い言葉で言えば「筋を通す」と言うことである。これを東洋哲学で言うと「中」と言う。これほど分かり良いことはないようで、実はこれほど誤られやすいものはない。中立とか折中とか言うことは現代好んで言われることであるが、大抵間違っている。
14日 政治家に望ましいのは正姿勢 
その三
例えば、内閣を組織するのに利害相容れぬ幾派もあって、それらの不満を抑えながら、何とか折れ合ってそれらの中から寄せ集めたものを作るのは真の折中ではない。折は折るであると共に、定めると()む。悪いものは悪いと判定して、一段と正しい筋を通すのが真の折中である。その幾派もの中から正しい意味において採るべき人材を抜いて首班の理想の信念の下に統一して初めて折中である。採るべきものが無ければ断固排除することも折中の為にやむを得ぬことである。折角寄せ集めてみたが相牽制して動きがとれぬようなものは折中ではない。
15日 政治家に望ましいのは正姿勢 
その四
中立ということも、只どつちにも就かぬと言うことではない。自ら信ずる所があって、その価値判断に照らして、いづれに与することも正しくないから、一歩その上に出ることが真の中立である。故にいづれが正しいかということがわかっていて、その正しい方に就かぬと言うのは卑怯であり不義である。       (醒睡記)
16日 政治家に望む1 (これは30年前) 先々のこと見通して、悪いことの起きぬうちに未然に善処してゆくことの出来る政治家があれば理想的である。然し、大抵は今日問題が無ければ安心して、くだらぬことに紛れており、一たび問題が起きると騒ぎ立てるのが常である。それでもまだ政治が能く事件を処理してゆけば良い。事件が政治を左右するようになると危ない。今や日本の政治は事件のために、もみくちゃにされている状態で、この処理を一たび誤れば日本はだんだん収拾のつかぬ混乱に陥る。今日ほど政治家の責任の重大な時はないであろう。 
17日 政治家に望む2. 国民に訴える、とよく言うが正直なところ、国民はよく分らないでいるのが常である。国民に訴える前に政治家自身の信念と決意を明確にすることが何よりも先決問題である。また政治・政党を通じてこの際、見失われてはならない大原則がある。さらに現在日本は民主主義議会政治体制を執っている独立国家である。故に、
18日 政治家に望む3 1.    何よりも.先ず日本の独立と安全を守らねばならない。外交もこれに基づいて行われなければならぬことは勿論である。
2.    外国に迎合し、その走狗となつて、自己の政治的野心を遂げようとする者は断固として排除せねばならぬ。
3.    議会においては与党も野党も正々堂々と討議し、礼儀と寛容とを失ってはならない。
4.    議会は独立の権威を有する議員相互の討議・協議機関であって、院外の勢力に左右されるべきものではない。
5.    議会は言論による議決の機関であって、一切の暴力行動を厳に排除せねばならぬ。
少なくともこの五原則の上に立って政治家は堂々と出処進退せねばならぬ。 
19日 失敗の原因 「成功常に苦心の日に在り。敗事(はいじ)多く得意の時に依る」という一聨(いちれん)がある。常とか苦心と言う字が時に相違するが、意味に変りは無い。痛切なのは後の句だ。大抵失敗すれば原因を他に帰しがちで、なかなか自分に省みようとしない。然し多くの場合、自分が得意の時に失敗の原因を作るようである。
20日 道徳の裏づけのない経済 人はどう言う時に得意となるか。精神的、霊的には決して得意になどならない。人は精神的霊的になるほど、或いは恥、畏れ,或いは黙し潜む。これに反して物質的、社会的欲望を充たし得た時、いわゆる得意になるのである。個人も世の中もその点同様で、経済的繁栄なるものは誰にもわかる望ましいことであるが、これほど速く悩みを生じ易いものはない。経済には道徳の裏づけがなければならない。道徳の裏づけのない経済は確かに色々の禍因である。
21日 経済の精神性 政治は誰しもまづ国民の経済生活を豊かにすることである。国民経済が繁栄すれば政治は安定すると考える。然し経済生活に満足と言うことはなく、繁栄に伴う悩みが常について回ることを免れない。人間は経済を抜きにして生きられないが、案外経済だけでは生きられない。否、その経済がそもそも意外に精神的裏づけがないと真の繁栄をせぬものである。
22日 人心を倦まざらしめん 政治はやはり根本において、「人心をして倦まざらしめんこと」を要する。人心を倦まさぬ為には常に何か精神的志向・規律を要する。今日何よりもの急務は国民にもっと精神的な緊張と共鳴を与える政治である。
                (醒睡記)
23日

他生の縁

いかにも、これくらい変ったことはない。それで初めて面白い。みな変わったことをと思って、うろうろ探しているが、本人自身がこうして生きていることくらい変わっていることはない。考えてみると、無限の時間、無限の空間、その中にあって、たまたま、ここにこうして坐っていることは非常に珍しいことだ。これほど珍しいことはない。一河(いちが)の流れを汲み、一樹(いちじゅ)の蔭に宿るも、みなこれ他生(たしょう)の縁。前の世からの因縁である。人間は探し歩いてもなかなか会えない。
24日 自分を考える 私なんか毎日探し廻されることが多い。行く先々に電話かけられ年中()い廻されているが、それでも会えぬことが多い。処が日本国中からこうして、ここに集まって話をする。これは考えれば考えるほど奇特なことだ。第一この自分と言うものからしい珍しいものだ。よく両親からこんなものが生まれたものだ。そう考えてみたら実に面白い。決して神経衰弱になったたり自殺することはない。            (東洋学発掘) 
25日 組み合わせ 世の中のことは全て組み合わせから生まれる。いわゆる配合だ。交配だ。天の配剤妙なるかなの一語に尽きるのであります。薬と言うのは必ず合わせる。だから配剤という。合わさんと創造にならん。
26日 青年だけでは駄目 政治とか、革命というようなこともそうであって青年だけでは駄目である。老年だけでも駄目である。青年と老年とをうまく配剤、合わさんといかん。その合ったのが成功しとる。実際調べても全てそうです。青年だけでやつたとか、老年だけでやつたという試しはない。 
27日 青年と老年の組み合わせ 長州でもそうです。遠くは村田清風であるとか、近くは周布政之助というような、非常に青年人材を愛し、よくこれを面倒みた長者とかがおって、そこに高杉晋作とか久坂玄瑞といった青年、或いは伊藤俊輔とか山県狂介(有朋)といった貧乏侍、桂小五郎なんていうのは少しいい家柄のほうだがもこういうのとがうまく噛み合わさったから,長州も成功した。その青年流と老人派、上士と下士なんて言うものが分裂したら、これはどうしたってうまくいかない。これはいつの時代、どこの国、いかなる革命の事例をとつても、みんなそうであって、人材の微妙な配剤、組み合わせがなければ成功しないのであります。           (人生の五計)
28日 青年よ大志を抱け 札幌農学校の名師クラーク博士は大学を去るに臨んで子弟に与えた一語は余りにも有名だが、然し、多く人々は「Boys、be ambitious」というその片鱗だけを記憶し全てを知らない。然し、クラーク博士の本心は決してそれのみにあったたのではない。その次ぎの言葉こそ重要なのであります。
29日 何のためのambitiousか 何のためのambitiousか、その全文はこういうことだ。
Boys、be ambitious。Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement、not for that evanescent things which men call fame。

Be ambitious for the attainment of that a man ought to be。

30日 青年よ大志を抱けの全訳 「青年よ大志を抱け。それは金銭や利己的誇りのためではない。世の人々の名誉と称するその実は虚しいことのためではない。それは一個の人間としてまさに、かくあらねばならんあらゆる事を達成せんとする大志を持つべきである。」と力説したのであります。こういう精神革命をやらなければ、世の中は本当に改善することはできないのであります。
          (この師この友より)