平成16年1月--今日の格言・箴言20  安岡教学関係徳永圀典蔵書より
安岡正篤先生
の言葉その4
「安岡教学」は「活学」である。活きた学問でなければならないと言われた。 

1日 自らを知るを明という、自分が分からねば人もわからぬ。
人間学のすすめ
人間にとり一番分からぬのが人間、自分である。これは古今東西の哲人が喝破している。本当に知るということは、先ず自分を知る事である、新年元旦にあたり自分を知ろう。人を知るを智といい、自らを知るを明という。
2日 人間は陶冶次第、自由放任では決してものにならない。
運命を開く
陶は焼き物の土を練る。冶は冶金で金属を練る。人間も焼きを入れて鍛える事が無ければものにならない。
3日 優という文字の意味、人間はいろいろの経験にあって憂えなければ人物が出来ない。
禅と陽明学
何の心配もなく平々凡々と暮らしていては優人、優れた人になれない。大いに憂患を体験して悩み抜いてこないと人物が出来ない。経験、悩み、憂いを積んで思索し学問し鍛錬されて初めて余裕、ゆつたりした落ち着きを得る。そして人間が優れてくる。
4日 現実に執着心が、あまりないということが、人物たる第一条件である。
東洋人物学
東洋の人間観は無常観。現実というものに執着しないのが特色。眼前の問題にとらわれない。現実ははかなく、変化してやまないもの。それに執着するのは誤り。金だ地位だ名誉に執着し目の色を変えている間は人物という域には入らない。
5日 今日の人間は骨力がない、骨力というのは人生の矛盾を燮理-しょうり-する力です。(燮理-やわらげおさめる)
日本精神通儀
この世は複雑なる矛盾から成立している。我々は鳥獣や魚を食べる、彼等は人間に食われる為に生きているのではない。それ自体矛盾である。大いなる創造的生活には矛盾を包容し燮理して行く必要がある。その包容力、忍耐力、反省力、調和力を骨力という。これが大だと感情も深遠になる。骨力がないと感情が感傷的になる。
6日 関、そこが関所だ、そこを通りぬけろ!
運命を創る
関とは引っかかり、行き詰まり。人間の一生は坦々としていない、人生は大きな関所を幾つも通り抜けなくてはならぬ。難しい、解きがたい、通り難い、ここを禅では、「関」という指示をする。幾つか関を経験して、融通無碍、無碍自在、「無関に遊ぶ」事ができるようになる。
7日 人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。人間ができていないと環境に支配される。
知命と立命
人と環境とは相まって自由自在に変化してゆく。人物が偉大であるほどに立派な環境を作る。そこに人間の人間たる所以がある。
8日 本当の道徳は、我々の人格・家庭・社会・国家を健康にしてゆくこと。
安岡正篤先生講演集
我々がどういう風に考えるか、実行するか、人間にとり何がいいかを修行するのが道徳とか躾であり、生活の記録であり、考え方、行い方の美的法則であり、躾は真理と美の合体したものである。道徳とは最も自然なものだ。
9日 失敗は得意の時、すなわち物質的・社会的欲望をみたしえた時である。
新憂楽志
成功は常に苦心の日に在り。敗時多く得意の時に依る。人は精神的、霊的になるほどに、恥・畏れ・或は黙し潜む。物質的・社会的欲望を満たした時、人は得意になる。道徳の裏づけのない経済は色々の禍因である。
10日 先賢の言葉を理解するためには、自己の情感を鋭敏にし、理性を高め、人格を洗練してゆく必要がある。
儒教と老荘
その道の人は、ちらりと木を見ただけで、たいてい見当をつける。それが不思議な程狂いがない。この知的直感、思想が深厚なる体験に基づいている。
11日 日本の勃興した時代には、必ず偉大な指導者が現れた。
禅と陽明学
日本の民主主義はとても駄目だ、5百年かかれば何とかなるが、日本では音頭をとる人、頼りになる人、すがれる人、参れる人が出てこなくては政治的にも社会的にも文化的にも日本民族は勃興しない。教育でもそうだ、子供に自治させるなど、日本の教育は終わりです。日本には偉大な指導者が要る。
12日 人間が万物の霊長であるという証拠は、敬と恥をもつということであります。
人生の五計
人間と動物の違いのボーダーライン、それが敬と恥である。愛は高等な他の動物でも見られる。人間が敬と恥を失うと、明らかに動物並みの獣になる。他の動物の持たぬ知識や才能があるから難物だ。
13日 小人天下をみだす。天下はもと無事であったが、つまらない人間がわざわざごたごたさせる。
知命と立命
政治家、事業家、教育家、司司の人々が真剣に自分を究明したら社会を一変させるのはなんでもない。つまらない人間が混乱させるのだ。「天下本無事、小人之を擾-みだ-すなり」
14日

何のために学ぶのか、学ぶことによって発達する自己を通じて、何らか世の為、人のために尽くささんがためである。
知命と立命

先ず自己の自主性、自立性の練磨し自由を確立し、進んでは発達する自己を通じて世、人の為に尽くす。これなくしては動物である。
15日

大衆社会の将来を、本気で考える時には、自己を回復することであり、心を取り戻すことである。
禅と陽明学

豊かさにいい気になってはいけない。警戒しなくてはいけない。人間自身をなくしてしまう恐れが出てきた。先ず心を失い、個人そのものがなくなってきた。大衆だとか組織だの社会というものは、恐るべき退廃崩壊をきたしただけだ。本気で将来を考えるなら、失われつつある自己を回復し心を取り戻すことだ。

16日

苦中楽あり、本当の楽しみというものは苦しみの中にある。
人間維新

苦楽とは相対的なものだ。苦しんで成功したとか、苦学とし得た知識や悟道でなければ本当の学問ではない。
17日

人間はよい気になった時から失敗を始める、苦心惨憺しておるところには、必ず成功がもたらされる。
天地にかなう人間の生き方

難事業にはどうしても真剣に努力する、だから割合に成功する。容易なことだとつい人間は緩んでしまう。
18日

生命・創造の働きというものは、無限の循環
活学第二編

物は盛んになりっぱなしはない。成長は同時に老衰と通じる。盛んな時衰えの兆しがある。反対に衰えは、やがてまた盛んになる生の未来を含んでいる。

19日 漫然と傍観している輩にならず、男らしく靖献せねばなりません。
知命と立命
現代のように精神的、道徳的危機に漫然と傍観している、狡猾なものは、中立とか批判とかの美辞麗句に隠れていい気になっている。ダンテの神曲の地獄編「地獄の一番熱い所は、道徳的危機に臨んで中立を標榜する輩の落ちる所」となっている。我々は本当に真理を把握して、男らしく靖献せねばなりません
20日 不惜身命 但惜身命 (ふしゃくしんみょう たんじゃくしんみょう)
禅と陽明学
この悠久なる時間とこの茫漠たる空間にあり、たまたま時と所を一にしているという不思議が分かれば、この現実、この刹那、この寸陰、この場、この身というものが何より大事である。無限に愛惜すべきものになる。これを「但惜身命」。それを把握するために、とりとめない日常の身命など値打ちがない。これを「不惜身命」身命を惜しまない。命懸けで命を惜しむ。
21日 個人の魂、個人の思想信念、そういうものから世の中は変化していくのである。
知命と立命
優れた個人の魂、思想信念、主張から維新・革命が起きる。時代の流行、大衆の動向などというものに支配されないという事の貴重なる所以である。つまり時代の大衆的傾向・流行思想・流行イデオロギーに屈しない、自分の良心、古来の真理、これを敬虔に学ぶことにより生ずる。人生に真剣なる者はこのことをまずしっかりと把握しておくことが根本中の根本である。
22日 人間は天物で、且つ神秘であり、その力は計り知れない。鈍物魯生に期待する。
人間を磨く
ヘレンケラーは奇跡的人物、ペスタロッチは鈍才、ニュートンやダーウィンも同類。ナポレオンも兄弟八人中出来の悪い人間。病弱、貧乏、鈍才、多忙ではだめとは俗衆の言うことだ。
23日 新の根底は親なり。
人物を創る
何により自らを新たにできるか、やはり根底に帰ると、親という字が妥当。本当の自分にならないと駄目です。親しむ事が出来て初めて新しくすることができる。単なる理屈とか興味や打算で自己を新しく改造できない。・・折角親から貰った何千何億という親達の寄って作り上げたこの自分をお粗末にして悪い意味で自己を忘れている。代々の先祖から伝わっておる大事な自分を大切にして自己を新しくできる。
24日 静かにして、而る后-のち-能く安んず。安んじて、而る后能く慮-おもんばか-る。
人物を創る
静とは純一、よき統一、熟練されていること。人間も出来てくる程静かである。人間の精神作用が静かになって初めて定まる、安定する。安定して初めて全能力が発揮される。精神活動が自由に行われる。即ちよく慮る。
25日 機とは大事なつぼ、勘所、ポイント。すなわちキーポイントです。
人物を創る
いくら民主主義となってもやはり「一言事を破り、一人国を定む」ということは全体として言える。人間は自分の専門の畑にのみ没頭しておったら駄目です。いつの間にか機械的に因習的になって死んでくる。絶えず専門外に目を配ってそれを絶えず自分の専門の問題の培養にするのが大切。
26日 人間の文化生活にも果:決が必要、そうすれば幸福になれる。
身心の学
民族、文化は陰陽相対の理法即ち生の原理から植物と同様、出来るだけ枝葉、末節に、或は花や実、花実にしてはならない。適宜にもぎる、果実は果断、決果、でないと美味くない、枝も剪定が大切。人間文化も然り。この原理を個人生活の養生原理にすると必ず幸福になる。
27日 省なくば人間は衰える。省み、省く、ということが大事。
知命と立命
人生のことは、これを要約すればこの省の字に尽きる。
28日 対心一処、無事不通。心に一処に対すれば、事として通ぜざるなし。
運命を創る
「心に一処に対す」は自己と一つになることにより精神化される、対象に魂を入れることである。「事として通ぜざるなし」は、事物と自己とが一つになり自己が昇華すること。我々が若朽しないために、絶えずこうゆう習慣を身につけることである。
29日 歴史、伝統、言い伝えというものは、尊重しなくてはならない。
知命と立命
歴史や伝統を軽々しく否定する人間ほど、浅薄な、非科学的な、非哲学的なものはないということが、学問すればするほど分かってくる。人間は長い間の多くの人の経験知で、そこから帰納して非常な真理を把握しているものだ。
30日 現代社会を革新するためには、志ある人々がグループを作る必要がある。
孟子
俗人や一般人と見解や生活態度を異にする志ある人間がグループを作る必要がある。多数は不要である。内面生活という私的な、隠れた、他人と分け合うことの出来難い非民衆的なもの、これこそあらゆる独創性の源泉で、あらゆる偉大な行動の出発点。
31日 出処進退、応対辞令
干支の活学
公とか局面の当事者に重要な二つ。@いかに退くかという事。A対話である。ーー現今日本の政治家の出処進退も応対辞令も粗雑で、いかにも品が悪すぎる。低俗すぎる。権威がなくなった。