横尾山--海抜290米

関西百名山登山記録 そのF横尾山
平成11年1月8日 参加者 森川 繁益 徳永
前夜からの猛烈な寒波が山陰以北を襲っていた。高い積雪予報が出ている。近畿地方にも南下の予報だ。誰一人として見合わせの声は出ない。
am9.30  須磨浦公園駅に集合し直ちに出発。猛烈な風で吹き荒れる松林の中を急登する。
am10.05 鉢伏山の茶屋 海抜230米
am10.10 鉢伏山山頂 海抜260米 ここから須磨海岸の砂浜が意外と美しい。寒風は凄まじい。旗振山はその昔、江戸時代、大        阪の米相場を航海中の船舶に旗信号で連絡したものらしい。
am10.26 鉄拐山山頂 海抜234米 気温1.5度 写真を取って貰う。
am10.40 おらが茶屋  ここで10分の小休止。森川さんのコーヒー頂く。感謝だ、寒いから余計に美味い。思い出した、神戸支店 勤務時代、泉苑編集委員の私が、Mountain goes to the SEA として編集した事を。その山が高倉山であった。繁益さんは云う、ここから魔の階段だと。一気に百米下る。海抜130米。元の高倉山の跡だ。今は市街地になっている。ここを抜けていよいよ魔の上り階段だ。
am11.07 362段の階段を西風の烈風に吹き飛ばされそうになり乍ら登りつめる。
am11.08 
横尾山山頂 海抜290米 休憩
am11.23 出発し小さなアップアンドダウンを繰り返し進む。58才の単独行の老婦人が随行申し出である。須磨アルプスの烈風を        恐れたものらしい。
am11.51 須磨アルプスの名勝、馬の背と道標がある。なかなかのもので、多少の緊張があり楽しい珍しい風景だ。神戸は本当不 思議な街だ。新幹線浦の布引滝のように市街地の屋根裏を眼下に眺め乍らのアルプスだから。みんな満足した。横尾山はさしずめ北アルプスの槍ケ岳と云う処であろう。
pm12.01 東山山頂 海抜252米
pm12.15 下山して市街地を通り抜ける
pm12.28 妙法寺駅発
pm12.35 県庁前駅着  突風の中を南京町へ。ビール2本と熱燗2本、数種の美味くない中華であった。
pm13.50 元町商店街の裏道のエビアンコーヒーを楽しむ。みんな美味しいの喜ぶ。
pm14.00 センター街の書店、じゅんく堂で各人夫々本を求めた。森川さんは東洋文庫の日本巡察記、繁益さんは関ケ原、徳永は東洋文庫の日本奥地探険記。ここは紀国屋より旭屋より専門分野の幅と奥行が深いと評価が一致した。3月は赤松さんの歓迎会を込めて登山計画を作成する事となった。
pm14.50 三の宮で散会。


関西百名山 登山記録 番外編
平成13年10月27日 快晴
参加者 森川、清水、繁益、長戸、吉田、高橋、安東、千代鶴、池村

秋空の下、六甲全山縦走路の西端の起点として知られる「横尾山標高312m」及びその周辺の山々に登山して参りました。 一番高い山でもこの高さですが途中に須磨アルプスがあったり、また鉄拐山と栂尾山の間に以前はあった高倉山が、ポートピアアイランドの埋め立てにほとんど削り取られ、跡地は高倉台の商店街に換わっておりました。

 その為、天にも届くような名物階段(370階段)が出来たりしておりました。コースは家族向き。 その為子供さん連れが多く、行き交う人々への子供の「こんにちは!」の元気な声がこだましていた。コースは山陽電鉄須磨浦公園駅から直ぐに石段を登り始め、旗振茶屋、鉄拐山、高倉台地、栂尾山、横尾山、須磨アルプスを超えて東山。下山は荒熊神社を経由して山陽電鉄板宿駅に到着。この間約4時間50分。 須磨アルプスは、花崗岩が侵食されて馬の背の様になっており芦屋のロックガーデンと同じ様な地質。

 両岸が迫る感じの中を1部鉄階段、鎖もあるがよく滑り、スリルがある。私などは年の精か、一瞬上手く越えられるかとも心配をしたが谷底を見ず、道のみをしっかり見詰め対面の東山に到着。天気の悪い日は止めた方が無難だ。

 その他、海の端のよく見える旗振山々頂からは、江戸時代から大正初期の電信が普及するまで、畳一畳から2畳らいの旗を振い大阪堂島の米相場を加古川、岡山に伝達の中継点ともされた地点もあった。今は茶屋で休憩所。

 道中は淡路島、明石海峡大橋、神戸市内が常に眼下に、また遠くには家島諸島が見えた。裏六甲の開発も仰天するばかり。

 下山後は西宮市内まで帰り、我々「月山会」の仲間の妹さんが経営される小料理屋で乾杯。今回は例によって大阪・新地の芸者千代鶴さん他女性が1名加わってくださり、一味違った登山となった。

小料理屋「わらべ」への参加者は、森川、清水、繁益、長戸、高橋、安東、池村さんの7名です。女将も機会を見て我が「月山会」に1度参加されて頂きたい由です。楽しみにしておきます。  〔文責 安東満雄氏 〕