青春の断章

                                            大杉 隆士

「ある書簡」   

いま私の机の上に十数通の書簡がある。

一九九五「昭和三十年」から一九九六「昭和三十一年」のものである。

長い歳月を経て、下宿や転居を繰り返したにもかかわらず、この書簡だけは紛失することもなく私の手許に残されている。差出人は宮口幸次。当時彼は二十二歳。私が十九歳の、およそ五十二年前のものである。

最近とみに視力が低下した私は、老眼鏡をかけ、時折虫メガネを併用しながら紙面に目を通す。すこし黄ばんだうす汚れの書簡は便箋ではなく原稿用紙に小文字でびっしりと裏表に書き込んである。読むほどに、体力と気力の消耗がはげしく何度も中断した。酒の勢いにまかせて書きなぐったとおもわれるものや、情熱の赴くままに筆を走らせたものなど、判読しにくい文字や意味不明のものもあった。だがなるべく手を加えず忠実に転載することが彼の個性や特徴を尊重するように思われた。 

私は現在七十歳過ぎである。彼は私より三歳年上だったからかなり高齢者といっていいだろう。この期をのがしては永久に誰の眼にとまることなくこの書簡は消滅するであろう。彼が生きているのか、死んでいるのか、今はそれさえわからない。もし生きているなら、私は元気で暮らしていることを伝えたい。

おもえば十八歳の春、郷里を離れ大阪の化学会社に就職したばかりの私は、会社の発行する小冊誌に小品を載せた。偶然にも彼がそれを読んで激賞してくれ、お互い課も違っていたが、まるで旧知のごとくその日から息投合したのであった。私たちは会えば時を忘れて詩や小説、青春の生き方など語り合った。 

そして文学論にいたってはとうとうと朝まで議論し、私の下宿から彼は会社に向かうのが日課になった。彼はおどろくほどの読書量と知識で私をほんろうしつづけ、私は以前にもまして文学の世界にのめりこんでいった。  

そして私は一年ばかりで会社ほうりだし十九歳の秋、彼の許をはなれ憑かれたようにして東京へと旅立った。そこには新しい世界未知なる魅力が潜んでいるようにおもえ、身をおくことで自分をおいつめ文学にぼっとうしようと思った。とりあえ町工場の住み込みの仕事を見つけ、そこを拠点に勉強するつもりであった。しかしそれは怖いもの知らずの若者の特権とはいえ少々無謀すぎた。日夜過酷の労働で身も心もずたずたに疲れはて、彼の叱咤、激励に報いることなく私は挫折し敗北した。

この書簡はその当時の一年ばかりの間にやりとりされたものの一部であるが、断りなく公表する事をまず彼に謝りたい。どこかで彼が生きていることを願いながら。彼にひと目あってあの青春のあの日を語りたい。

 

一九五五「昭和三十年」九月十日。

はじめての宮口幸次からのたよりである。

早速手紙くれて有難う。君が上京してすぐに出そうと約束しながら、はや一週間も過ぎいかに怠惰とはいえ申し訳ない。遠く離れてしまった以上、それゆえおろそかになり勝ちで、つくづく懐旧の念にかられる。

君は相変わらず元気で働いているとのこと何より健康であれと願う。何よりもうれしいことは君が死出の旅路でなく栄光の道を向いているという頼もしい道程に立っているからである。人生の半ばで倒れることも、青春の日にいさぎよく花と散ることも、死を考えると、はかない生命のいぶきをひしひしと感じる。それこそ死んで花実が咲くものかである。いつまでも元気でいてくれよ。これが最後の手紙でもちろんないから。

風につけ夕にも朝の一時にも君が存在しているという確固たる書信となるだろう。便りもなく音もなくどうしているか分らなくなったとしても、君の手紙の中に生命を持ちつづけるだろう。

机を整理し静かに風の音などそのままに耳にいれていると近所の子供がハーモニカで「ポプラの歌」を合奏している。弾んだ明るい声だ。何と情感の子供心よ。素朴で動的な単純な調べだろう。なぜ、われわれは音楽のように心身の輝くばかりの生理感に躍動する思考をもたなかったのか。あの電灯の下、眼を疲れさせ精神を冒?してまでもあの陰気で内面に対する欲情のみ性力を発散しなければならないか。そこでは運動する筋肉はなく、ナメクジように平面な書物の上に視力と心神を麻痺させなければならなかったか。

音楽にみられるリズムはなく、ただ眠たげな情調が流れている。けだし最も読者に受けるであろう書物は、単にリズミカルに事件や伏線のある理解しよい小説類によって始めて娯楽として実用する。それこそ文学とは模索日々これ観察といった至上主義が要求されるだろう。 

文学げに人を魅惑する所のアヘンにたとえられる。そこには知るものにとって麻痺する陶酔がある。小説書きという代物は単に本好きとは又違ったところの見方を要求するのはそのためである。それゆえ本を読んだり新しいことに興味を持つことは人間自体の本質生活を批判するその道の専門家でありえる。だからして小説家とはあるいは助平根性の濃いものとも考ええる。なぜならある種の人々が羞恥心を起こすところのものを白昼堂々とした描写しなんのてらいもないおかしな職業であることだろう。

君がいなくなってたんに話し相手がいないというさびしさも、あの日以来さらに増してきた。同好の士がないということは自分の世界を保守した状態だがそれにしても何という俺は浅い精神を持っているのかなさけない。   

君が大いにやれと励ましてくれたことは手紙の外にも何回もきかされたが、あの日を端に発して振り返ってみると消極的な精神の内容は自分があきれるほど貧困で君に先輩顔する柄でなく、一介の文学通でしかなく、しいていえば野次馬だよ。所詮才能のない空しさだよ。だがそういうものの謙遜はみせどころと野心は満々とみなぎっているのだ。この相反した思想は世の愛好者諸君に常に襲うノイローゼ如き自己嫌悪。裏側からのぞくと陶酔かもしれん。

それゆいえ君よ、常に君の上京の日を吾と共にわすれることなく一つのポイントとして九月三日。夢が功なり学なりし時この日を思い出してみようぜ。僕も夢かもしれないが大いに発奮してやってみる。君もだ。

東京はどうだ。やはり一国の首都らしく感じられるか。人々の行きかいも交通の頻繁さも活発で特色もあるのだろうがじっくりとそこで見る眼を養うことだ。君が疲れた体勢で文学始めている。本を読んでいると思うとまだまだ僕には時間的に恵まれ創作意欲になまけがある。

それから君が紹介してくれた桑原武夫の論評。興味深く教わるところ大いにありそうだから機会があったら読んでみようと思っている。氏は君が抱負していた日本文学学校によく似た性格の大阪文学学校「小野十三郎、藤沢恒夫あたりと」で講座している。

以前朝日新聞にそれによく似た概要で「勤労者から新しい精神の文学者が過去の類型を打破して現れることを期待している。」という意味のようなことが書かれていて、なかなかの論理で進歩的な人だと思った。彼の言わんとしていることは現実の合理をもとめている。新鮮な文学とは桑原氏の説くごとく決して文学青年や文学通が理想ではなく、働くものの実地のもの以外ないであろう。

今日は仕事が忙しくてどっと疲れがでてしまったが、今モーパッサンの短編集を二、三篇よんでいる。疲れがへって新鮮な事物の吸収に役立ち神経をやわらてくれる。

話しは違うがこの前、頼んでおいたボ~トレエル全集やフローベル全集はもうよい。君の小遣がなくなるし、つい先達だって古本屋でうまいぐあいにみつけた。いらん気づかいさせてすまなかった。また頼みたいものがあったら早速しらせるからその時は頼む。

それではさらばだ。さらば頑張れ。ブラボーのように。いずれまた手紙だすよ。さようなら。

宮口 

 

一一九五五「昭和三十年九月三十日」

大杉よ、今度からできるだけ呼び棄てにしてくれないか。どうもさん付けで呼ばれると堅苦しく、形式にとらわれているようで、どうかザックバランに話してくれ。たかが三歳ばかりの年長を笠にきるほどの人格者でもなければ英雄な人間でもないよ。実に平凡な俺は人間だ。凡どころではないかもしれないぞ。よくよくは人生の不能者にでもなりかねない俺は性格をもっているのだ。

朝起きるとなんだか今日の日の悪さがかんじられてならないから、会社へ行くのを止めた。図書館や映画かんで一日を過ごした。俺という人間はろくな代物で会社勤めが性に合わないらしい。映画は「青空の仲間」場末の二本立で、よい映画だった。・庶民の心の豊かさが今は俺の心はそのなかに溶け込んでいくようであった。みんなが面白そうにユーモアにぶっつかりペーソスをかんじて笑っている

平和なこんな世界はどこにもないであろう。健康な笑いが場内を覆い包む。入館料、九十円でこの笑いを楽しんでいるといってもよかった。

一昨日は会社の不況が新聞紙上を賑やかしている悪夢を立て続けに見た。その時、友よ、そのころ俺は辞めているだろうと思ってくれ。

あのブラックリストあの人事部の握っている成績表から脱落して余すところなく白日にさらされるだろう。会社騒乱罪といようか退廃的な、とがで俺は敗北しているだろう。

大杉よ、もし興にも俺の人生観を見んと思うならハミルトンの著作をよめ。ニイチェをショペンハウエルを萩原朔太郎を。ホップス読め。

イギリスではいまどきとくに手紙という形式が芸術の一ジャンルになってきた。キイツ、ロレンス、ラルフ等の手紙その文学の本質や開眼のために出版され注目されているらしい。  

それからしてこうした往復書簡は「俺のは書簡らしくなく随想の形式に違いないが」何かの手がかりになるかもしれん。最もこの虚無は書いている時間によって発散し、ちるらしくやがて創造する時には虚無はなくなっているだろうが。

友よ、たまには骨抜きが必要だよ。 

つねに新鮮であるためには対象から離れていくのが確実な方法だ。忘れるという一時は確保するという逆説だろう。

申し遅れたが君は多忙らしいね。俺はどうも自分のことが先になってしまうくせがあっていけない。自己の世界に没入することはそれだけ相手を理解していることだ。退屈な友達ほど真の友達につながっているというのはそこなんだね。多忙大いに結構。別に茶化すつもりはないけど、できれば何も書かないことだね。あの孔子がいっているではないか。「知らないことを知らんこれ知るなりとね」。

君が創作に入るときいて激励したい。だがつねに歴史はおしえているではないか。汝侮辱されよ、侮辱の後の発奮は常に汝を偉大なものにする。俺は君を侮辱してやる。本能と理解からきみに忠告する。平凡ほど偉大な平凡がないように平凡たれジレッタントに甘んじよ。俺が見本ではないか。

俺は矛盾した思いからきみに復習されたい。それが大きな君への激励の言葉だ。

俺の手紙はなかなかのものだと君はいってくれるがお礼を言うぜ。だが俺の文体ほど切れの悪い文章、いいかえれば暗いまさぐりをもった文体がどこにあるだろうか。自分の文体は君も早晩わかるだろうが萩原朔太郎と仲原中也とから学んだ思想の裏付けだ。それからいってみれば最も尊敬している文体の持ち主には志賀直哉、朔太郎、利一、鴎外、整、康成、敦(中島)、島木健作あたりだ。だから俺の文章はどういっても正体のないところのうなぎのような長ったらしい文章でいつも直哉の簡哉なところに反逆している。どうかといえば心理的に近い情緒(エモーション)らしい。

泰淳、善衛、春生あたりが最も近いのだが古い時代の作家にどうも魅力を感じるね。

完成された美というものにかきまけるかもしれない。例えてみても俺はどうも未完成の美には苦手らしく、映画人では誰が好きかといえば若者に似ず、小暮実千代、原節子、三宅邦子、月丘夢路あたりが良いと答えてしまうんだ。別にどんな面影も思いでもありゃしないのに。

俺はただ何となく駆け足で走っているようだね。ゆっくりと観察することなく目的地へ急ぐ旅人に似て早急な性質らしい。それからしてこういうことが言える。自分にははつらつとした少年期と老年期の時期しかなく、人生の最も充実したところの青年期を飛び越しているのだ。今はただセンチメンタルに手紙を書いている自分を発見する。

かなり長かった夏も終わりを告げた。ゆっくりゆっくり創作に専念したま。けっして急いではならない。明日という日がまだあるのだから機の熟するのを待て。作家を解明する問題は常に初歩的、専門的等を問わず、実に大切な要素である。

一.      例をとると何であるか自然主義か、感覚的か。

二.      筋書きの斬新さはあるか。

三.      その作家はこの作品で変貌しつつあるか。

四.      この作品でどういう意見と意欲を現そうとしているか。またそれが成功しているかどうか。

五.      自我がどういう風にでているか、女としてか男としてか、どちらにこの作家は力を注いでいるのか。

自分の列挙したのはほんの思いつきでまだ研究すべきこともあるだろうが、要はただ読んでしまわずに発想法なり描写に気をとめながら見たまえ。そこには技巧が必ず見つかる。小説というのは一つの作り事、虚構だから誰にでも書けるはずだ。誰でも書けるということからして頭角を現すことが難しいとも思える。しっかりやってくれ。俺も詭弁を弄せず、自分を掴みたいと心がけていきたい。

 

一九五六「昭和三十一年一月四日」

新年おめでとう。いよいよ今年も明けてきた。新しい抱負は去年の胸の内にある。今年こそ若草のようにすくすくのびようと思っている。

早速手紙もらってありがとう。今年から済ますものを手っ取り早く決めてしまおうと思う。まず出版ダイジェスト社の書評を手初めにオール新人賞をここ二,三年のうちに着実にものにしたいと張り切っている。去年の十二月半ばから俺は酒を飲みつづけていた。ボーナス景気や月給の何割かの小遣いもすっかりなくなってしまった。おかげこの正月三日間は寝正月で外には遊びにいけなかった。みんなは俺のことを酒飲み呼りする、さして飲めしないのに。そのせいか文学の見方というものがほぼわかりそうになってきた。ほかでもない下から見上げる心理である。日常分らなかったものが飲むことでわかるようになってきた。

フローベルが自分の生活を棄てたから文学の天才になったように、これまでの俺の生活はいつも生半可で重点が生活というあきたらない心棒で支えられていた。あれが隠された心の動きだったのかと分った。俺はかって酒飲みをあまりにも軽蔑と同情の半ばをともにして眺めていた。それが今自分であるとすると意外ほど現在と前のこととが不幸な人間の姿に映ってくる。

今年は俺の当たり年でサル歳だから一生懸命やろうと思っている。俺の一生懸命は当てにならず、諦めるがまあ見取ってくれ。いよいよふんどしを締めてかかろうとしているのだからだ。酒なと飲め。そうすれば小説でも書けるかもしれん。きみの念願する小説はじっとしていてもできそうにないじゃないか。まず人間をつくれということが俺も君も必要だ。それからして小説もおそくはない。正月早々ぐうたらと述べたが、男らしくどうどうとやろう。それが俺の今年の野望だ。去年のことは去年のことで。今年元気でやろう。おめでとう

 

昭和三十一年三月二十四日

久しい間便りもなくこちらもださなかった。君はどうしているだろかと思わぬ日とてなかった。ここのところ関西地方はどんよりとした空ばかりで、今朝も上着に雨がふりしきる。一昨日と昨日も雨で二日続いての雨だった。

同人誌の「作家」のほうはどうしている。御大の小谷剛の「翼の天使」が図書館にあったので借り出して読んでみるとさすがにうまい。がなにか物足りないスケールの小ささを感じた。意欲はよいのだが丹念にかきすぎて、こちらでまとめるのに苦労する。

自分とは良く似ている肌合いで、このところそれが気になってしかたがないからだ。それはいろいろな意味からいって、小説の限界といえるものはことのほか狭い範囲しか描くことができない。文学という枠からそうとうはみでる取り越し苦労が俺にはあったと気づいた。小谷剛はそういうことに執着しているようにも見える。心理も行動も情緒も等が、大別すればいくつかのジャンルに分けられるほどたくさん盛られていてそれが欠点でもあり長所でもある。という言葉が彼の文章にぴったりした表現だと思うね。「真の小説は小説に対して発する否「ノン」によってはじまる」;;「ドンキホーテの小説の中で行われた小説の批評なのだ」というチボッチの有名な言葉がある。実にその反対のように抹消的感覚に足をとられている。正に小説はむつかしい。俺にはまだ興味が中心に回っている。

「作家」の同人のネームを知らせてくれ。何かと参考になるだろうから。

横光利一はどうなった。いぜんとして謎ではないか。俺には方法とか文体とかしかつかめなく精神や個性はいまもってわからない。だが研究する価値は充分あるとおもうね。彼には抑圧された欲望がありそれが文章の中に時折暗示的にさしはさまれていたり、その後の追加が書かれていないのが惜しくてならない。彼が今頃まで生きていればこの時代は大正より昭和初期までよりも最も彼にとって好個の材料だったにちがいない。彼の文学は混乱期に開花する異質の樹木だ。怪しくは咲かずたくましく人間のこころ足元をみつめるであろう。そして今日でも解明の余地がないように彼は問題作を提げて世人を湧かしただろうとそんな気もしてくる。君ははっきりした解明より混迷したものを好む性質とおもわれる。利一は君にうってつけではないかとゆうような気がする。

丹念にやりたまえ。利一ほど内容の充実作家はいないだろうと思える。・それだけに複雑といえ根気の要る仕事だ。彼には神と仏の厄介な代物が背後すわっているかも知れぬ。彼の微笑しているところと背後あたりにどうやら急所があるようでそのわけはわからない。ただそういったほうがよいような気がしているからだ。ああ俺には利一ほどの難物はこりこりだ。魅力はあるがこりこりだ。俺とは肌合いが全然異なっている。彼は技巧そのものが自然なポーズだったに違いない。

きっとそうだそれともペテンの名人かそれとも大山師のようなからくりにたけた頭のずるいやつか。それともいたって小心ものだったかは分らないけれどそのように思う。背中と微笑みに気をつけろ。ひきづられてはならない。そうなっては彼の思いにはまるのだ。かれを克服せよ。

いま俺は太宰治にとりかかっている。創元社版を読んで以前から彼にひかれていたがこの度筑摩版全集で彼のよさが安吾の死と前後してつらくさびしく輝いている。生活と背景と言葉がこれほど密着しているのは朔太郎以外にしらない。それとプロレタリアと。 

先ほど飲んだ酒がすこしづつ身体の隅々にいきわたってきたようだ。ではまた便りするよ。頑張れよ。

左様なら。

 

一九五六「昭和三十一年三月二八日」

君の手紙を読んで文学は書物でするもものでなく肉体でするものだということが率直にわかってきたような気がする。俺はどうしても井の中の蛙で、浮世の風に鼻面に水でもかけられる。君こそ幸いであったのだ。うらやましいような引け目を覚えた。有ろくな鬼才たちにもまれていつかはきっと大成するであろうことをみこしたような気持ちにかられる。「作家」原誠、目秋七美以下なかなかうやるような書き手らしいね。猛者にたくましく俺ももまれてみたいと思う。近いうちに君がいっている「作家」例会の喫茶「モコ」あたりへ行こうと決心したしだいでもある。

話はかわるが、君の方がより詳しく中央にいて知っているだろうが芥川賞選考委員でたしか中村と石川、舟橋「これははいっていなかったか?」あたりが石原新太郎の若さと意欲をかっているのにたいし亀井、丹羽、上林あたりはこれは文学ではなく、読み物だといっている。たしかにこれは読み物だ。じつは太陽の季節も日食も処刑の部屋も読んでいないがそうだと思うね。

彼は現代の生態若い男女の放埓をみて共感をおぼえたのだろう。時代精神の顕著な動きに乗じた作品は成功するという文学道の定石だ。しかし小説は決しって読み物ではない。そして手紙もそうだ。小泉八雲があたらしい作品がでたときごとに古典を手にして読めといったのはこのことをいっているのだ。石原には思索がない。ということは一方においては思索をする時代ではないという反発されようが文学の主題が刹那歓楽、エンジョイ、セックス、悲劇を扱うに文章までそのせつなを使っていることであろう。俺は彼のゆくすいえをみている。たしかに新しいモラルに違いないだろう。

石川達三が一歩前進したのに対して石原は一歩半乃至二歩前進している。かって菊池寛が新聞小説で成功した一つの原因はつね半歩進歩的であったからだといわれている。はたして石原の一歩半、二歩はどうゆう決着をみるであろうか彼は石川達三の悪の愉しみ当たりの現代作品からの影響がみられる。学生で芥川賞をとったということですら奇異のかんじを受けるこのころ、ふしぎなことばかりがほかの領域まで進出しているからね。新しい才能をけなしてもそれだけの地力を出し切っていない俺の今はなんとかしたい。

大阪とはいいながら東京とは地方だから物足らなさがちがってくる。四月は躍進の年。俺もどこか同人雑誌に会員になって地道に作品を発表しなければならない。ではこれで元気でいこう。

 

一九五五六「昭和三十一年四月二日」 

君が送ってくれた小説原稿はっきりいってよくないね。あまりにも甘ったるくていけなかった。まさしく君が気にしていたように「しら」「しら」が続きすぎるしいまどき女らしい女言葉をつかってあるね。めずらしいのではないのか。小説でも作者が表さんとするところの会話は日頃の望みとか憧れが潜在意識として働いていてきて作者の性格が出てくるものだ。君はどちらかといえばおしとやかな女性を常にイデアーしているらしい日本風の伝統のなにかロマンチックな風情がある。詠嘆調の言葉はつづけられると単調になりやすい。そこでうちけしも必要だ。

たとえば「ああ女がこうして焦れ切った男の前で息を喘ぎ乳房をおしひろげ髪をときほぐしてせまっているのにあなたは無常にも待て!大嘘つきだ。いえあなたはうそなんてつかないわね。ただそうやってわたしをじらしているだけなのね。そうに違いないわ。もういいの、男ってそうやっている間のほうが楽しいものだったのね。あたしは気がつかなかったばかだったのね。でももうよしてね。わたしは海鼠のようにじっとおとなしくしているからね。さあ眼をつぶって待っているから。」

君が使っている多くは女の言葉の代表的精選だ。悪く言えばミーちゃんはーチャンむきだね。なぜそうなるかといえば普通の日常語に個性がないということだ。もっとひねくれて書いて見たら面白いのだ素直であることがおおいに欠点になっている。きみは描写力をつけるといったがあの分は描写がいかされていず主人公から見た心の動きしかない。ちょっとした部屋の中の花瓶とか窓とかをさしいれて息をつがすようにすることだ。たぶん君はすらすらと書いている。

モット頭の中で案をねることが必要ではないか。換物法というのをしっているか。自分の心情を花とか鳥に変えて表現する一つの詩のなかの技法だが、そうゆう風に頭の中にでたことを書いてはだめで、もっと精製しなければならない。

作中恋文や男女の会話が多々でてくるが、恋文の文学ではラクロの確か「危険な関係」がある。それはけしって赤裸々には書かれていない。そこには微妙に言葉の綾がたくみに描かれている。

恋愛途上にある男女の描写はきみの例にもれず陳腐になりよく多くの作家の腕のみせどころとなっている。通俗作家とりわけ娯楽誌・読切誌の三文作家は好んでセンセーショナルにとりあげ、モットダイテ ヨイキモチ モット モット…という具合だ。君がとりわけこうした傾向にあるなら致し方あるまいがそうだとは最初から僕は思ってない、それよりももっと外に重要な描写が先か構想が先かという問題がある。この問を「作家」の同人に発してみることもまたよい。

僕はこの両方が充実しなければ近代いや現代文学は実在の価値がないのではないかと思っている。社会的な描写にはいつも抗議が伴って主人公が行動とある目的のため起すか又は被害者としてその記述する風俗小説には流行殊に顔・衣装を見つめ必ずといっていいほど性の描写を行っている。僕はその性の描写を私流に密室の代償描写と呼ぶ丹羽文雄は好んでこういう筆を使う。彼の意図は初めから確然とゆるやかに解きほごしていく。この派には感覚がない、ただ眼が人物を追いあれやこれやと邪推している。正しくこの眼は客観的に或る種の神経を感じる。それと反対に利一あたりになると、君もくわしく知っているだろうがよくいうならば感覚派あまりに詩人的な主観の持主だ。川端康成でもそうである。自然主義が最も小説らしい小説であるが面白くない。ある程度虚無が加味されていなくって僕等には有難くない。

結果論としてあの小説は駄作だ。殊更強いて息がったかも知れないが筆が進まないようだったり落書のようにペン画をかいておるのも一興である。又詩や和歌・俳句でも満更息抜きに事かないだろう。

現代詩は殊の外先にもいった換物法とか擬人法とかあって主観を集めるのに役立つ。君が描写の力をつけたということはよいことに違いない。それは主として字を書くときとか演奏初めのかきならし手ならしである。僕等は殊に他の職業に従事しているからその仕事とこの仕事との区別がつけにくくよほどの決断に伴う忍耐が必要である。

いざかくとなると字のならしもならず、まとまりもわるい。そのような場合日頃日記でも随筆でもスケッチでも小品でも自分の考えをまとめる練磨を少しでもしておくとそう困らずにすむわけで、そのような申しわけでは実はいけないのだが、実際はやらないといった方が多い。

大文学者の書物を筆写することもよい。僕等の生活に今どちらの生活が比重が重いかはそれは分り切ったことではあるが、無論会社生活が大きく生活の領域の大半を占めている。食っているのは腹ごしらえのためであり、腹ごしらえという事は身支度を意味する。睡眠をとるという事も疲れのためであり、その疲れは何から来ているかは労働であって決して創作の徹夜から来ているわけではない。

君はなぜ安易な会社つとめがきらいになったと考えてみた事があるか?一度だってれっきとした将来への抱負で不安な欲望の満たされなさを分析したことがあるか。今が君も俺も一番試練に立っている。未知数な才能を無為に終らしてしまう。会社へいってもさして収穫らしいものはなく、人の動きもきまって単純だし心理的な心の働きでもこちらが救ってやりたいようなやつばかりで物足りない。これでは疲れにいっているようなものでいかに吸が早い知識のくらもこれで生産というものがある以上、馬上で誌を吟ずといった支那の詩人のような真似はちとむずかしい。おそらく環境を変える以外には僕の頭の入れかえはない。

今が過渡期じゃないかと見ているのだが、大衆小説と純文学との交流がこの二三年のうちにどちらかに主導権をにぎられてしまうようだ。純文学だけが良心を貢物にして世界のスピードに花々しく生きるとは思はれない。現に石原慎太郎のような読物のような小説が出ているし、今年なんか大正―昭和二十年までの傑作に優する秀作も生れていず、批評家もどういってよいかその判断に迷うようにあらゆる要素が入り組んでいる。僕らのように構成に気をとられがちなものにとっては途方もない迷いで君のようになんでもかこうというのは面白い。

俺は今やせてもかれても小説書きだと自尊心を自から盛り上げるように努力しようとしている。休日か会社が退けてから空腹でもよい図書館にでもいって読書しようと思う。まあ学生の多い所では何となく気がそぐれてくるが、あの朝の静かな早時刻はシーンとして正しく学問の殿堂のような気がして夏なぞ暑い昼までは好きだ。そして同人雑誌あたりの文学青年らと話をしようと思っている。

四月からやってみようと同人雑誌を又探している。たしかに僕らには環境とか雰囲気が水鉢の金魚のように外の空気が必要なのだ。それに文学の鬼と自称するには文学の鬼にもまれなくてはならない。一応通俗的な読物は娯楽放送は敬遠されるのは当たり前だ。 

俺は何か勉強したりすると鼻も高くして、たとえば君にでも活かさなければ気がすまぬような代償を求めたがる。

決して頭のすぐれた優秀な人物は自分の事をひたかくしにするのが常なのに自分はどうしてこんなに虚栄心が強いのだろう。俺なんか人間がきたなく出来ていて、読書のあとは教養学部の先生が説くような論書美なんて生れてなく、目がくぼみ充血し、まずもって顔色が悪い殊に仕事合間の読書はそうだ。小説家によく見られる眼と眉の間隔が正面から大きくくれていて人相が殊の外悪。本を読んでその人の思想なり教養なりを吸いとり、文活用して金もうけするとは甚だしくその潜在意識の罪がむざむざと知らぬ間に文学青年を仮面のようにしてしまうのだ。

 

野心をもつ事は必要な要素にはちがいはないが、それを過信評価するきらいがあってはならない。誰か著名な文学者に師淑しその文学書をよむことには変りはない。完成されたものは他の作家に較べてそれだけ研究の時間補足の箇所を余すところなく包容しているからだ。

それには大文学者には礼儀を心得、それから独歩することだ。僕らにはまだたくましい精神が足りないようだ。老大家が新進を頭ごなしに罵倒するのはうなずける。彼等は苦労してきた人だから僕らをその精神を否定ごなししてもその努力に見習っても良いわけだ。                

俺なんか夜おそくまで読書をしているような面をさげても髪をぼうぼうにして、いやにやにさがっているものの本なんて夜おそくまでみているようで眠っていて、頭の上の電燈が消さずに灯っている。よく忘れるのだ。そんなのは文学青年のとるべき態度ではないだろ。  

なにをなんといっても書く。書くという事しか僕には上達の近道はない。大いにやろう。君はいろいろな点でぼやいていたが、そんなことではだめだぜ。もっと精神的な進取がいる。

図書館にある書物から自分の好みに合う作者をえらび出すことは後日大いに役に立つ。カールマルクスは大英図書館で毎日日参して労働資料をうつしとったといわれる。

俺は多くを知ってはいるが底の浅い平たい深度しか有してはいない。リーダース的だ。僕はこれが一番欠点で今もってその態度には変りはない。できるならば改めたいと思っているが欠点のための欠点をつくっている。

三千冊の書を一通りよむものと一冊一冊丹念に何年かかってもやりとげるものとでは果たしてどちらがよいであろうか。僕がこうしているからには改めて正否をとげる必要はない。前者は教養であっても後者はそれと性質を異にしている。ウンチクを傾けるというのはまさに後者において集中され得る。

この世には根気・執念深さが必要であるようだ。田山花袋がいかにして自然主義に立ちむかったとき彼の文章は幼稚で鼻をひっかけられもしなかった。だが、多分に「フトン」が出るようになってからの彼は研究者であった。

こうして原稿用紙に作家をきどるのはよい事で、どんな紙だって習作にはもってこいだ。  

手紙自身がその人の体臭を感じさせる。これまで何通ぐらい出し合ったかなあ。大分の数になるだろう。調べてみたが分からなかったが随分出したものだ。文学とか宿命的なものに結ばれた友情というのは仲たがいがない。めったに相手の虚をつかないがいざ結ばれてみると男女の仲よりむつましいという。 

ラブレターといえばお手のものだ。僕のは文学的だ。便箋で千枚くらい相手の女の娘にかき送った事がある。その時分はまだ今日のように愛情の表現が大げさではなかった終戦の終始ともつかない頃だった。思慕綿々お手のものだ。

概して僕の文学的動機というのは恋から始まったのではないかと思ってこの間誰もいないのに書簡やら書きためたものを見てみると、やはり意外なほどその裏付けがうたってあった。詩から出発しているから美しい女の詩などは正に早熟に価する。性欲の方は幼年時分から目ざめ幼稚園にいた時分から若い女の豊満な肉体を銭湯でみるのが好きで、おばあさんと一緒に兄貴なんかと銭湯にいくのが好きだった。きれいな女の子の名前とか友達になった女の姓名なぞはまだ記憶に残っていてノートにも書いてある 

変態性欲家のようだが、僕のは清純なあこがれでしかないようだ。だから女をみる眼は肥えている。どこがこの人のすぐれた長所でどこが欠点であるかが分かるような気もする。将来きっとそうした女の事が出てくるだろう。隠された恋愛至上主義者だ、この俺は。

でも苦しい夢があった。 

新制中学三年の時分茨木の場末の映画上でみたマレーネ・ディトリヒのような美しい脚線美そっくりのきれいな女は二級下ではあったが、入学式に見てから後は正しく有頂天になったといってもよかった。

背が高く髪が赤く肌が真っ白な美少女との恋がそれからもつづいていたとしたら自分の生涯はどう変わっていただろうと今もためいきが出るくらいだ。 

一番成長期にある俺にとって人生の最もはなやかな恋愛しても更にくいる時がないと思ったりした。もう二度とこんなことがおとづれてはこない、最もはなやかで人間の鮮やかさではあるまいかとあの子と一緒になれたら死んでよいと思ったのは、その時でもあった。  

果たして傷つきあったどちらも結果は良好ではなかった。髪を下げて三つ編みにしてリボンをかざっているその娘は手まりが好きだった。落書きに俺はよくその絵を書いたものだ。靴が赤く瞳の大きさがよく調和して、僕は朝礼のあとの教室への行進の時その姿を追ったものだ。春も過ぎ夏を去り秋がきても僕と彼女との清い交際は果てしなくつづいた。が、彼女は病をおうところになり入院した。

「Mさんおはよう」

なんて声もきかれなかった

彼女の顔はどこかさびしかった。 

そういう事は僕の手記にくわしくノート一冊にみたされてかかれてた。それからというものはなんのために学校へきていたのかと滅入ってしまって、教師の声も教科書の活字も白々しかった。空虚だった。

変なことを告白してまったがこれから負けないように僕もやるつもりでいるからしっかりやってくれ、いつまでたっても僕の原動力は失せない。いつまでたっても僕らの希望や抱負は若く短急だ。僕らがもう十年たつとしたらいかなるポジションにいるかは今後の行末と共に興味ある問題だ。ゆっくりと人生を歩みながら後をふりかえってみるのも又一興である。

時の流れに僕らは何処へおしやられるか。昨日のんだ酒はほろにがく、悔恨も白々しく新しい僕らの前に又すばらしい光景が演出されている。人が死に女が喜んでミルクティをのむとき欲望はどんよくに他のシーンを思い描いている。

春の日、草がもえ出ては日の暖かさが歩く人の服装を春らしくいく。雨が降り昨日忘れた雨傘がぽつんと心の空虚に叫ぶような声がする。彼等は二十世紀文明の生んだ旗手だ。われわれからとおくへたった心と心とを結びつけ中断するようにニュースが伝はり新しい調べが今音楽のように頭の中に伝はっていく。

ああ春だ。あののどかに生育する麦の風にはたはたゆれていくさまは僕はきらいだ。頭の中に描いていた空想も現実の前となってはむしろ嘔吐をもよおす。白々しい昨晩の雨もどうやら止った。

僕はもっともっとよいしれるものがほしい。人生は一行のボードレールでしかない。生きているという自体ですら罪なことだ。罪と思う事すら知らないと思うよりもっとすくわれている。

僕は奈落へおちたい。ふんわりとした絹肌の美女に抱かれて私は夜をふかしたい。そして朝キッスと共にどこかへ歩くことが僕の日常の新鮮なイデアになるなら、まさしく日々は新しい精神に満ちるを覚える。どこに僕らの平安と慰信があるだろう。すべて見るものは虚栄と精神のロウヒでしかない。ああ僕のつぶやきこれこそ千金に価しよう。僕の前でさきほどからハエがちらついている。僕らは又このハエのようなものでいづれは死んでしまうだろう。

あれやこれやと思っているうちに僕らはどこへ行くのだろう。真実を愛し絶対を保証するものは誰だ。

きよらかな処女をたぶらかし、生血をすするような赤い唇は正しく陰呑的な解しゃくだ。僕らの流れつく阿片のような陶酔はどこにあるのだろうか。決し決して俺は女体というミワクにフトンはかぶらない。ああ唇よ汝最愛の乳房よ。詩人が申せしことはそれ相当に根拠があることを僕はみとめる。

いはずとしれた痴れものよ。世の中がさかさまにひっくりかえろうとも胸の隆起は平たくならない。どうだ、いまも女の尻をもんで女陰に口づけしさまような性の感染。あの胸よヴァイオリンをかけるといい。腹をぬき腹をえぐって侵入するヴィールスのたぐいになって僕はのたれ死にする。。君が別れてから一年になるというのにこのていたらく。  

いつかはきっと花咲く港を出帆する船のように飛べ、羽ばたけ。

お互いもっともっと人生を追求しよう。生きることに楽しさを持とう。それがやがて小説に転化されるだろう。いつか再会出来る日の来ること願いながら、さらば、さらば。

この合い言葉はいいぞ。さようなら。友よ。 

宮口