タッ ちゃん

                                              瑞乃木 教

                                                            

 “時間”という大きな波のうねりの中。

はるか彼方の波間に見つけた幼き日々。

‥あれからみんな何処へ行ってしまったのだろう‥

 

その朝、何とも肌寒くて、まぶしくて、首や肩腰あたりが痛く、尚且つ、余りの騒々しさにボクは目を覚ました。

小学校校庭のど真ん中にいた。

これは夢の中‥?

時、春まだ浅き頃、ボクが小学三年生になったばかりのことだった。

何故そんな所にかって?課外授業、校庭で一晩キャンプのやり方を習っていた、訳ではなく、事は深刻、猛火から行く先々追われ追われて逃げ惑い、最終的にたどり着いたところがこの校庭だった。

それは街の三分の二の面積を焼き払い、その機能を麻痺させ、二万人以上にも及ぶ人間の生活、人生を変えてしまったT市における大火災。

昭和二十七年四月十七日の出来事だった。

 

数日後、ボクは目印を失った焼け野原の中を我が家の跡を探してあちこち歩いていた。

それにしてもよくもまあこんなに焼けたものだと思う。

街の南方から上がった火の手が、折悪しくその日のフエーン現象とやらもあって、あれよあれよと言う間に街を舐め尽していった。大人たちは街の中心部を流れる川が堰きとなって、まさかこちら川内までは来ないだろう、その内、治まるだろうなどと、文字通り対岸の火事とばかり高をくくっていたのだが、火の手はいとも簡単に川を跨ぎ、火事自らが巻き起こす突風にも煽られ、ますます火勢を増していった。

近隣の町村からありったけの消防車の応援があったものの、その勢に手も足も出せず、消火活動もお手上げ状態だった。あとは火勢のなすがままで、多くの市民の生活の場が、見慣れた町並みが灰と炭になってしまうのにそう長い時間はかからなかった。

 

ボクはどうにか我が家が有ったあたりに辿りついた。焼け跡に立ってサテこの先どうなるんだろう、と漠然と思ったものの、特別、悲嘆にくれる様な感情は不思議と湧いてこなかった。何分、まだ呑気なハナタレ小僧だったのだから‥。

「コウちゃん!」

後ろで聞き慣れた大きな声がボクの名を呼んだ。

“魚元”という魚屋の倅、タッちゃんだ。

“魚元”とはボクの家から三軒先の魚屋で、タッちゃんの父ちゃんの名が元治だから、“魚元”の屋号にしたらしい。

タッちゃんはボクと同い年で、幼稚園からずっと一緒の一番の仲良しだ。

タッちゃんには四歳になる玉ちゃんという妹が一人いて、タッちゃんの後をいつも金魚のウンコとなってくっついていた。タッちゃんも玉ちゃんをとても可愛がっており、時々危なっかしく背中に負ぶったりしていた。

タッちゃんは本名を卓也というのだけど、学校ではいつも周りに魚の臭いをプンプンさせるので、皆から“ギョ卓、ギョ卓”と言われていた。でもボクはタッちゃんのことを“ギョ卓”と呼んだことは一度とない。

 

大火の前、ボクが育った通りは市内でいちばんの繁華街で、町名に“銀座”がつけられ、昼夜にたがわぬ賑わいを呈していた。洋画専門のT館,邦画のS館、カフエといって、今で言うキャパクラの様なお店が何軒も軒を並べ、他に洋品店を始め、洋食屋、大衆食堂、うなぎ屋、天麩羅屋などがひしめき合って、通りにはいつもざわざわと人の流れが途絶えることがなかった。

この通りの一角でボクの母ちゃんは数人の使用人を置いて小さな割烹を営んでいた。

この家へ嫁いで以来、戦争あり、大震災ありと、とても苦労続きだったらしい。中でも一番の苦労事は父ちゃんだったようで、父ちゃんは大変な遊び人だったらしく、家業をほったらかしにして女の人を作り、その人と朝鮮まで逃げていたことがあったと後で聞いたことがあった。

結局、父ちゃんは終戦間際に召集を受け、フィリッピンの地であっけなく露と消えた。

残されたとても厳格だったばあちゃんと母ちゃんの二人で割烹をきりもりしていたのだが、そのばあちゃんもボクが幼稚園の頃、家族、使用人たちで出掛けた海水浴の翌朝、突然、中風で寝たきりとなり、亡くなるまでの約三年間、母ちゃんの世話を受けることとなった。

動けなくなったばあちゃんは口がその機能を補うかの様に一層きついばあちゃんとなって、世話をする母ちゃんに感謝をするどころか、かなり辛く当たっていた様だった。そんなばあちゃんの悪態を浴びながらも母ちゃんは黙々とばあちゃんの世話と商売に勢をだしていた。そのばあちゃんの死後、一つだけ母ちゃんが感謝してたのは、大火の前の年にばあちゃんが亡くなってくれたこと。もしあの時、ばあちゃんが居たら

「家財道具何一つ持ち出すことが出来なかったわ」

と後日誰かと話していた。

“魚元”とは家も近かったこともあるが、仕入れの関係で古い付き合いがあり、ボクとタッちゃんはまるで兄弟のようにお互いの家を行き来し、それぞれの家で家族のような顔をして食卓を囲む程の仲良しだった。

タッちゃんとこの母ちゃんも仕事以外でもうちへやって来ていつ見ても酔っ払っているタッちゃんの父ちゃんについて、所謂大人の、飲む、打つ、買うに関する愚痴を母ちゃんによくこぼしていた。

 

通っていた小学校が火事で無くなったので、生徒は全員、火災に遭わなかった他の小学校二校に振り分けられて曲がりなりにも授業が再開された。それも生徒数が多い為、午前の部、午後の部に分けての授業だった。また、天気のいい日は青空教室と称して、近くの公園などへ出掛けて野外での授業もあり、そんな時、心は遠足気分で、流れる雲、小鳥のさえずり、風に乗って来る草花の香り、飛び交う昆虫等などで気もそぞろ、ほとんど授業にならなかった。

その頃、ボクは遠い親戚筋にあたるうちにお世話になっていて、タッちゃんとこもどこか知り合いの所へ身を寄せており、しばらくタッちゃんとは疎遠になっても不思議ではないのだが、二人で元々あったうちの所が落ち合う場所と決めており、雨の日以外は学校から帰るとランドセルを放り投げていつもそこへ出掛けていた。

ある時、タッちゃんが誰かから聞いたのか、

「鉄くずを拾って持って行くとお金が貰えるだって」

という訳で、最初の頃は自分のうちの焼け跡あたりを棒切れで遠慮勝ちに探す程度だったのだが、その内、俄然、経済活動に目覚めたボクら二人の少年と一人の幼女は、日に日に活動範囲を広げ、又、持っていく物によってはその価格も違うことも判ったりして、しばらくの間、学校では教わることのない事業、相場など経済に関する実習に没頭することとなった。

やがて金属関連の経済学が一段落すると、これも誰が教えてくれたのか、こんどは食用ガエルを製氷会社へ持っていくと缶詰用に買ってくれるという情報を耳にし、早速、タッちゃんとボクは釣りと言う趣味と、実益を兼ねたウシガエルの捕獲に挑戦することになった。

竹ざおにしっかりしたテグスを巻きつけ、その先にやや大ぶりの釣り針、その針の上に真っ赤なリボンを結びつけて準備完了。この真っ赤なリボンをカエルの目の前でユラユラ上げ下げすると、パクリと飛びついてくるという。

ボクは思った。

赤い布に反応するなんて、名前がウシガエルと言うだけに、スペインの闘牛と同じ感性を持っているのかなこのカエルは‥。

タッちゃんとボク、それに玉ちゃんは市内にある大きなお屋敷跡の鬱蒼とした池へと出掛けていった。昼間なのに池からはウーッ、ウーッ、と気味の悪い低いカエルの鳴き声が聞こえてくる。

三人は声をひそめて背丈を越えるばかりに茂った夏草を掻き分け掻き分け池へ近ずいた。水面を注意してよく見るといるいる、蓮の葉や水草の中にいくつかカエルの目がこちらを窺っている。

早速、竿をのばして教わった通り、その目の前で赤いリボンをヒラヒラさせると、いきなりバシャ!と水音をたててカエルがリボン目がけて手足を伸ばして跳躍し、タッちゃんの竿が弧を描いて大きくしなった。

「ウワアーッ、なんちゅう大きい!」

確かに吊り上げられたカエルは水面に出ていた目ン玉からは想像もつかない位、丸々と太って大きく、何とか針から逃げ出そうと手足をバタつかして暴れに暴れている。

「わあーッ、コウちゃん、助けてくれえ!早よう、早よう。捕まえてくれえ」

‐そう言われてもな‐

ボクは余りに大きくてグロテスクな姿に立ちすくんで手が出せなかった。

「噛みつかんけ、大丈夫だけ、早よ、早よ!」

タッちゃんはそう言いながらも何とか恐る恐る蛙をつかむとどうにか口から針を外して、網の中に入れ、大きく息をついた。

「ふーう、やった、やった!」

「タッちゃん、すごいナ、カエル掴んで、平気だったか?」

「なーんともない、オレいつも魚で慣れてるけ。でも、コウちゃんって弱虫だな」

「タッちゃんだって助けてって言ってたがな」

「うん、ちょっとだけ気持ち悪かった」

「タッちゃん、西洋人はこんな気持ち悪いもん食うだって」

「オエーッ!」

タッちゃんは大げさに吐く真似をして

「わかった、西洋人は貧乏人が多いんだ、ぜったい!」と言った。

その後、タッちゃんが更に一匹、ボクが一匹釣り上げた。カエルの扱いももうすっかり慣れて大騒ぎすることもなくなった。

その内、うしろの草むらにしゃがんで黙ってボクらを見ていた玉ちゃんがぐずり始めた。

「かゆい、玉ちゃん、かゆい」

藪蚊だ。釣りに夢中のあまり気が付かなかったが、藪蚊に足と腕を刺された後がいくつか付いている。

「うちに帰りたい」

玉ちゃんがとうとう泣き出してしまった。

「タッちゃん、もう帰ろうか」

「うん、ちょっと待って」

タッちゃんはそう言うと、玉ちゃんの手をとって自分の耳たぶをつまませた。

「何しとんの」

不思議に思ってボクが聞くと、

「玉は赤ちゃんの時から、泣くといつもこうやって耳たぶを触らせるとな、静かになるだが。前には口に含ませて吸わせたりしてな‥」

「へえー、面白いな」

「面白くないよ。見てみ、オレの右耳、いつも同じ方の耳だったもんだけ、こんなになっちゃった」

見ると右耳が左に比べてボクには1,5倍くらい大きく見えた。

 

少し秋風が吹き始めた。

季節は移ってもボクらの経済活動はまだ続いていた。

カエル捕りは藪蚊と、やはりあのグロテスクな姿が原因であれ以来止めてしまい、獲物は赤トンボへと変わっていた。赤トンボが何かの薬の原料になるらしく、

ススキがおい茂った墓場で、連日のように三人で暗くなるまで赤トンボを追った。

捕った赤トンボを宝物のように一匹ずつ丁寧に、縄のれん状態に、糸のついた針で通していき、ある量になって一軒の薬屋さんに持っていくと買ってくれ、それがボクとタッちゃん、玉ちゃんの紙芝居鑑賞資金へと変わった。

やがてススキの穂が開いて白くなり、渡ってくる風がひんやりしはじめて、赤トンボの姿も見られなくなり、ボクらの経済活動はやっと幕となった。

 

街の復興が徐々に始まった。

我が家も元の場所で前の様な割烹はもう出来なかったが、母ちゃんはバラック建ての小さなカウンターだけの飲み屋を始め、タッちゃんとこもちょっと小ぶりながら“魚元”の看板が再び掲げられた。

映画館も以前のものからはずっと見劣りはするものの、営業を始め、ラーメン屋、食堂、洋品店等も同様に再開した。また新たにパチンコ屋なども加わって、通りには火事前以上の活気が戻ってきた。しかし、それは以前と違って何だか殺伐としたものだった。

映画館では映画の上映ばかりでなく、時々、映画の合間にいわゆる実演も行なわれていた。それはストリップショーであったり、歌謡ショー、あるいは漫才、声色などの演芸ショー等であった。ショーといえば大火以前には市民のなじみで、とても趣のあった劇場D座に銀幕のスターたちも次々とやって来ていた。それは当時まだ日本は占領統治下の陰が濃く、日本の封建的な色合いを極力封じ込める政策が取られていた為だろう、時代劇映画の俳優たちは活躍の場を制限されており、経済的な事情もあってか、地方での公演をよぎなくされていたらしい。

亡くなったばあちゃんがまだ寝たきりになる前、人力車の前にちょこんと乗せられてそのD座へよく連れていかれていた。特に記憶にあるのは市川右太衛門と高田浩吉、そしてアラカンこと嵐 寛寿郎、中でも高田浩吉がボク一番のお気に入りで、粋な縞のカッパに三度笠、鼻から抜けるようなあの美声で唄いながら舞台に登場し、二、三小節唄ったところで抜き身を手にしたチンピラ風の悪人が三、四人パラパラと現れ、浩吉を取り囲む。それらをあっという間に切り捨てると残りの数小節を唄って颯爽と退場となる。

子供心にそれはもう堪らなくカッコよく、おひねりを投げる代わりに、手に持つ下足の木札は元より、敷いている座布団まで舞台に投げたいような衝動に駆られた。

家に帰ると早速、近所の子供たちを集め、床の間を舞台に見立て、寝巻きの浴衣に、風呂敷を肩に巻き、竹製の物差しを腰に差して、台所から持ち出したザルを頭にかぶった何とも珍妙ないでたちで唄いながら床の間に登場する。

♪‥故郷見たさに戻ってくれば‥♪

ここでワルガキが三.四人、物差しを手に取り囲む、見よう見まねで彼らを切り倒し、

♪‥どこへ帰るか、どこへ帰るか‥♪で、思いっきり見得を切って下手へ退場となる。

勿論、浩吉はボクで、当然タッちゃんはウギャーッとかウワーッとか大仰に斬られて死んでいく悪人の中の一人となって床の間に転がっていた。

 

ある時、S映画館の実演に白鳥みずえがやって来た。

彼女は松島トモ子と人気を二分する少女歌手であり、子役俳優であった。

館内に入れなかった群衆が、会場から出てくる彼女の姿を一目見ようと映画館の前に大勢集まっており、その中にボクとタッちゃんも居た。

それらの興行はそのシマ(縄張り)を張る地元のやくざ(というより侠客と言ったほうがいい様な時代だったと思う)が取り仕切っており、群集を整理しているその筋の人の中に時々うちの店に来て、一人静かに酒を飲んでいた仲間から仁さんと呼ばれている、ボクにはちょっとだけ顔見知りの人がいた。

この仁さんはそんなに大柄な人ではなかったが、見るからに腕っ節の強そうな逞しい身体で、夏にはその太い腕に藍色をした彫り物の一部が白いシャツを通してチラチラし、子供心にそれが気になってしょうがなく、こわごわ盗み見していた。

一見物静かな人だったが、ある夏の夜、一度だけ仁さんのすごい立ち回りをタッちゃんと偶然見ることとなった。

いつもの様にボクとタッちゃんはうちわを片手に夕涼みがてら往来にみかん箱を置いて、覚えたてのヘボ将棋をしていると、近くのT神社の奥の方から二、三人の男の怒声と玉砂利を踏み鳴らす音が聞こえてきた。ボクとタッちゃんは目配せすると駒を放り投げて、すばやくその方へ走っていった。

大きな石灯籠の影からそっとそちらを窺ってみると、うす明かりの中で三人の男たちが怒鳴り声をあげてもつれ合っていた。浴衣の上半身を肌けたがっちりした男が仁王立ちになり、その男の腰に一人の男が組み付いており、もう一人は手にした角材を今しもその男の頭部をめがけて振り下ろそうとしていた。

男は振り下ろされた角材を左腕で受け、頭部を守った。

バギッ!

鈍い音がして角材がいくつかの破片となって飛び散った。

男の怒りに火がついた。

「この、ガキャア!」

組み付いている男をすばやく腰に乗せると、あっという間に柔道で言う見事な大外刈りで投げ飛ばし、その倒れた男の顔を容赦なくセッタで踏みつけると、すかさず角材を振るった男の首根っこを押さえ込み、下からその男の顔面めがけて強烈な膝打ちを三、四回。

ウギュッ!

と、うめき声を上げて瞬く間に二人共鼻と口から血を噴出して倒れこんだ。その時、助けに来たのか仲間らしき三人の男が血相をかえて走ってきた。が、衣服を真っ赤に染め唸りながら横たわる二人の男と、もろ肌脱いだ男の射すくめるような殺気ある視線におじけついたのか、倒れた二人を助け上げると二、三の捨てゼリフを残して抱きかかえていってしまった。

男は息一つ乱すこともなく、何事もなかったかのように浴衣の裾の埃を払いながらボクらの横を通り過ぎていった。その時、街灯に照らしだされた横顔が仁さんだった。

仁さんが歩きながら浴衣に手を通して着物を整える前、タッちゃんとボクは後ろからチラリと覗くと、その広い背中一面に色鮮やかに彫られた、槍のようなものを手にした怖い顔の男がボク達を睨んでいた。後々判ったのだが、それは右手に宝棒を持った毘沙門像だった。

「すごかったな、見たか、タッちゃん!」

興奮冷めやらぬボクは息を弾ませて言った。

「うんっ!見た見た!あの人強いなあ、すごいなあ」

二人とも足の震えがしばらく止まらなかった。

ボクが後々格闘技好きになったのは、この辺りに原点があったのかもしれない。

 

その仁さんと目が合った。

「おう、ボ‐ズ、来てたのか。いいこと教えてやるよ」

そう言って仁さんはしゃがみこむとボクにそっと耳打ちしてくれた。

「白鳥みずえは表から出てこない。そこのラーメン屋を通リ抜けて裏の路地に出て、それから車に乗ることになっている。行ってみな」

タッちゃんとボクはしめたとばかりに群集から抜けて走り出した。

このあたりの路地と言う路地はボク達にとってかっこうの遊び場であり、ねずみの通り道まで知り尽くしている。

その裏路地へ出ると先ほどの喧騒が嘘のように通りには誰ひとりいなかった。

‐仁さん、ボクたち子供だと思ってウソついたのかな‐

そう思った時、ラーメン屋の裏木戸が開いて、今まで見たこともない真っ白いフワフワのコートを羽織り、サングラスをかけた女の人と、それを守るように黒ずくめの三人の男達が出てきた。

‐あっ、本当に白い鳥、正に白鳥だ‐

ボクには本当に大空を羽ばたく白鳥がこの路地裏に舞い降りてきた様に、輝いて眩しく見えた。

車が待っている広い通りに向かって四人がボクたちに近付いてきた。

ボクとタッちゃんは何だか気恥ずかしくなって、ただ黙って下を向いて突っ立っていた。

白い鳥とすれ違う瞬間、今まで経験したことのない、甘美な香水の香りが鼻をくすぐり、頭がクラクラした。

これが都会の女の人の臭いだと初めて思った。

そのクラクラした二人の頭を四人の内の誰かが優しくそっと撫でて通り過ぎて行った。

後でタッちゃんとあれは間違いなく、絶対に、白鳥みずえの手だったよな、と二人で確認し合い、これは二人だけの秘密だなと、にんまり顔を見合わせた。

白鳥みずえの劇場からの脱出用に使われたラーメン屋は、カクさんという中国人一家で、主人はいつもニコニコしている人の良さそうな大柄のおじさんだった。

そのカクさんの子供の中の一人にひとつ年下の男の子が居て、よく子供同士で誘い合い近くの銭湯で日中友好、文字通り裸の付き合いをしていた。そんな折、気付いたのだが、顔を洗う時、普通、誰もが両手を上下に動かして顔をゴシゴシやるのだが、その子だけは違った。どうなのかと言うと、その子は両手を顔に当て、顔を左右に振りながら洗っていたのだ。皆、呆気に取られ、中国人は皆あんな風にして顔を洗うんだと思った。

ボクの中に中国人への小さな誤解がひとつ生まれた。

ある時、いつもニコニコしているカクさんが、珍しく店の前で厳しい形相で大声を張り上げている場面にタッちゃんと出くわしたことがあった。店で何かのトラブルがあったのだろうか、チンピラ風の若い男に向かって、

「オマエ、ヤルノカ!エッ!ヤルナラオイデ!サア、ヤルナラオイデ!」

と甲高い声で叫ぶと、カラテかカンフウの様な格好で身構えた。男は体格的にも勝るカクさんのその気迫に、こりゃかなわんと恐れをなしたのか、すごすごと人ごみの中へ消えていった。

ボクとタッちゃんは思った。

‐すごい!中国人は皆、カラテかカンフウをやるんだ‐

ボクの中の小さな誤解が又一つ増えた。

 

 「コウちゃん、行こう」

朝、いつもの様にうちに寄ってタッちゃんが声をかけてくれる。

いつもの様であり、でも何か少し違うな、今朝は‥。

肩をならべて歩き始めて、その違いがすぐに判った。

「ねえ、ねえ、コウちゃん、」

タッちゃんはボクにぴったり身体をくっつけて息を弾ませ、少し小声で話しかけてきた。

「ねえ、ねえ、コウちゃん、昨日の夜、オレ、すごいもの見ただで。何だと思う」

タッちゃんは思わせぶりに聞いた。

「なんだぁ?」

タッちゃんはボクが焦れるのを楽しむかのように

「ええっとなぁ」っと、わざとゆっくり一呼吸おいた。

「もう、なんだいな」

「あのなぁ、きのう夜なぁ、父ちゃんが酒を買って来いって言ってなぁ、酒屋へ行っただが」

「それで?」

「その途中でカフエっていうか、酒を飲むところがあるだろう、その店の前庭の木の陰でなぁ」

タッちゃんはそこまで話すと、突然、ウヒャーと嬉しそうに叫んで二、三歩飛び跳ねた。

「もう、もう、もう、もう、なんだいな?」

ボクは完全に子牛状態になってその先を急かせた。

「そこでなぁ、出てきたお客さんとなぁ、そこのお姉さんがなぁ、キスしとった!」

ウヒャー、ウギャ!

再び、タッちゃんが叫んで飛び跳ねた。

「オレな、そん時、頭の中がカーッとなってな、何でだか、チンチンがかたーくなっちゃった」

「えっ、すごい!」

「だろう!」

タッちゃんは少し顔を覗かせた青バナをズズッと一気に吸い上げると、得意そうに小鼻を膨らませた。

「コウちゃん、今晩一緒にいってみるか?」

「うん、いくいく!でもタッちゃん、夜遅く出られるんか?うちは母ちゃんが夜の仕事で忙しいけ平気だけど」

「うーん、何かないとな、お酒はきのう買ったばっかりだし‥」

「じゃ、たばこを買いに行ったら」

算数の答えは中々出てこないけど、こんな状況では頭の回転は実に速い。たちまち今晩の手筈は整った。

仕事の合間をみて母ちゃんが作ってくれてた夕飯を一人で早々と済ませ、漫画を読むが上の空、ワクワクしながら何度も時計をみた。うちの時計は壊れているんじゃないかと思うくらい、針の動きが止まってみえた。

やっと約束の九時になった。

急いで表に出てみると、もう既にタッちゃんが手に十円玉をいくつかしっかり握りしめてニヤニヤして立っていた。

タバコ屋さんはすぐ近く五、六軒先にあるのだが、タッちゃんとボクは反対方向、別の町内に有るタバコ屋さんに向かって歩き出した。町角を左に曲がって四軒先に今晩目的のワクワクランドがある。

問題の場所にだんだんと近付いてきた。

二人の歩調が自然とゆっくりになり、体中の全神経を体の左側に集め、何だか二人とも歩き方がぎこちなくなってきた。顔は正面を向いたままで、眼だけチラチラ植木越しにお店の入り口あたりを窺って見るが、誰も出て来る気配はなかった。お店の前を過ぎると二人は猛ダッシュでタバコ屋さんへと走った。

帰路、今度は全神経を右に集め、先ほどよりゆっくり、ゆっくりお店の前を横切った。

勿論、目を右に寄せられるだけ寄せて‥。依然、お店の前には誰の姿もなかった。

次の晩、タッちゃんは父ちゃんに

「按摩でもしてもらえば」などと持ちかけ、

「頼んで来たげるけ」

と、前日同様九時に落ち合い、例によって神経を行きは左、帰りは右に、目一杯寄せてお店の前を通ったものの、何の成果も得られなかった。

翌日は母ちゃんに醤油を買ってこようか、その次は砂糖はどう?と、タッちゃんの努力も空しく、すぐに限界が来て、その内、ワクワクランドも二人の頭の中からいつしか消えていった。

 

 それから何日か経って、タッちゃんの家でとんでもないことが持ち上がった。

タッちゃんの父ちゃんが突然、家族をおいて家から出て行ってしまったのだ。

後でタッちゃんから聞いた話と、タッちゃんの母ちゃんから相談を受けたうちの母ちゃんの話をつなぎ合わせると次の様なことになる。

ある日突然、頭を丸坊主にしたタッちゃんの父ちゃんが家へ帰って来るなり、母ちゃんの前に芝居がかった大仰な仕ぐさで両手を付き、虎刈り気味の、すこし形の悪い頭を下げてこう切り出した。

「母ちゃん、すまん、今までのオレの悪行の数々、申し訳ない。悪いと思っている。許してくれ、といっても許してはくれないだろうな、しかし、それではオレの気持ちが治まらん。よって、この気持ちを世間様の幸福を心から願うものとして使わせて貰いたい」

チンプンカンプン、何のことやらさっぱり訳が判らずポカンとしている母ちゃんに向かって更に

「オレは明日から出家する。日本全国を托鉢行脚して日本国民の幸せを心から祈願したい」

事の重大さに気付いた母ちゃんが

「アンタ、なに寝とぼけたこと言ってんの!えっ!日本国民の幸せより目の前の家族の幸せを考えたらどうなんだい!店はどうするの!」

しかし、タッちゃんの父ちゃんはいったん言い出したらもう引くことはない、誰が何と言っても引くことがない、頑固が一徹や二徹や三徹では納まりきれない性格で、このことがこれまで母ちゃん、タッちゃん、玉ちゃんを困らせたり,泣かせたり、また、隣近所とのトラブルの元凶となっていたのだ。

翌早朝、どこの古着屋で手に入れてきたものか、古い僧衣に着替え、日笠、杖を手にしたタッちゃんの父ちゃんは、見た目はもう立派な僧そのもので、しゃべる口調まで変わってこう言ったらしい。

「それでは母ちゃん、ボーズ、後は頼んだぞ。お玉、しっかり勉強するんだぞ」

と、唯それだけ言い終えるとくるりと背を向け、後も振り向かないで、まだ明けやらぬ街をすたすたと歩いて行ってしまったという。

タッちゃんの母ちゃんは昨夜の内、沢山の涙に煮えたぎる思いも一緒に込めて流してしまったかの様に、未練がましいことを一言も口にしないで、真っ赤な目をして父ちゃんの後姿を見送っていた。

それは我が身に降りかかる運命を潔く受け止める、この地に嫁いで来た九州女の姿だった。

 

「オレは福水と名乗るよ」

前の晩、タッちゃんの布団に潜り込んで来た父ちゃんは、こう言って自ら付けた名前の由来をタッちゃんに話したそうだ。

「お坊さんのことを雲水って言うだろ、ありゃいけんな、ゴロが悪い。ウンがスイ退する様でいけん。オレは皆に福をもたらしたいから福水としたんだ」

タッちゃんの父ちゃんは何を勘違いしてたんだろう、そもそも雲水って人の名前じゃないだろ、お坊さんが修業のため各地を巡る行をすることを言うんだろうに。

タッちゃんの父ちゃんが居なくなると、まるで息も絶え絶えと弱った動物に群がって来るハイエナの様に目の色変えた借金取りがタッちゃんの家へどっと押しかけてきた。威勢のいい魚河岸のおじさんから、飲み屋のママが四人ばかり、女郎屋のやり手ババアが二人、博打のツケなのか顔に傷もつ怖いお兄さんが数人,果ては米屋から醤油屋まで、更にはその人たちの後ろに何と床屋のおじさんまでもが‥。

“皆の幸福を”なんて言っていたタッちゃんの父ちゃんだけど、何のことはない、借金の重さに耐えかねて家族を残し一人で夜逃げ、いや朝発ちしちゃったんだ。

その後のタッちゃんの母ちゃんの苦労はそれはそれは大変なものだった。

朝早く仲買へ仕入れに出掛け、夕方は店で売れ残った魚をリアカーに積んで行商、そんな母ちゃんの苦労をタッちゃんもよく判っていたから、学校から帰るとリアカーへ魚の積み込み、そしてそのリアカーの後ろを押して母ちゃんと二人で焼け残ったお屋敷町あたりまで毎日行商していた。その間、玉ちゃんは我が家で半分ボクの妹のようになって、時々寂しくなるとボクの耳たぶを触ったりなんかして過ごしていた。ボクは放課後、前のようにタッちゃんと一緒に遊ぶ時間がなくなって、少し寂しい思いがした。

近所では“魚元”の余りの無責任さに呆れ返り、

「あんな人は決していい死に方はせんよ」

等と皆で陰口をたたいていたが、まさかそれが本当になろうとは‥。

誰も予想だにしなかった。

 

四ケ月ばかり経ったある日、京都府丹波町の役場からタッちゃんのとこへ一本の電話が入った。それはタッちゃんの父ちゃんが亡くなったという知らせだった。

タッちゃんと母ちゃんは玉ちゃんをうちに預けて、取る物も取り敢えずその役場まで出掛けることとなった。

お世話をしてくれた村役場の職員の説明はこうだった。

福水こと“魚元”がこの小さな集落に姿を見せたのは亡くなる三日前、着ている物はもうぼろぼろで、おまけに何日も風呂に入っていないものだから、臭いふんぷん、家々の玄関先でぶつぶつとお経らしきものをつぶやいているのだが、もうそこには僧という面影はなく、どこから見ても立派な物乞い、浮浪者そのものだったという。

余りのみすぼらしさに哀れを感じた情け深いある一軒の農家で、お風呂と夕食を頂くことになり、結局、それが“魚元”のこの世での最後の食事となった。

出された鍋に入っていた、家人が前日、山で採ってきたキノコの中に毒茸が混じっていたようで、食べた全員が食中毒を起して入院騒ぎとなった。家人は軽症で済んだのだが“魚元”はよほど空腹だったのだろう、何度もお代わりをして、最後の一滴まで鍋の底を舐めるようにしてペロリと平らげ、そのまま帰らぬ人となった。

“魚元”の死に顔は口の端が少し上がって、タッちゃんには父ちゃんがニャリと微笑んでいるように見えたらしい。きっと食べたキノコの中に笑い茸もあったのだろう。

仮に出されたものが河豚の肝だったとしても、いくら魚屋の“魚元”であれ、空腹には勝てず同じ運命を辿ったに違いない。

帰りの夜汽車の中、タッちゃんは父ちゃんとの思い出が次から次と溢れ、胸が一杯になり、母ちゃんに聞いた。

「母ちゃん、オレ、父ちゃんにもう一度会いたい。来年のお盆には父ちゃん、必ず帰って来るよな。また会えるだろ」

母ちゃんは黙ってて答えてくれない。タッちゃんは母ちゃんの腕をとって更に訊いた。

「ねえ、母ちゃん、お盆には会えるだろ。母ちゃんだって会いたいだろ」

父ちゃんのお骨を収めた白木の箱を膝に抱いた母ちゃんは、しっかり前を見据えて決然と一言、言ったそうだ。

「福水、盆に帰らず!」

トンネルの多い山陰本線、汽車の煤煙が目にしみた訳でもなく、親子で静かに泣いていた。

 

 タッちゃんの父ちゃんのささやかな葬儀が終わって何日か経ったある日、午後の部の学校を終え、遅くなって帰って来たボクは、いつものように、

「タッちゃん、もう帰ってるかな、ちょっと行ってくるけ」

と、家を出ようとすると流しで店の準備をしていた母ちゃんがボクを呼び止めた。

何だか寂しそうな顔をしている。

「タッちゃんはもうおらんヨ」

作業の手を休めて手を拭きながら母ちゃんはポツリと言った。

「エッ、なに?」

ボクには一瞬、何のことなのか意味が判らなかった。

「おばちゃんも、タッちゃんも玉ちゃんももうおらんようになったの」

「エッ、なんで?」

「おばちゃんの実家がある佐世保って言う所へ行ってしまったの」

「エッ、いつ?」

「今日の午後、お前が学校に行った後で」

「エッ、なんで?タッちゃんボクに何にも言わんかった。なんでだ?」

「タッちゃんもお前にお別れを言うのが辛かったんだと思うで、きっと」

「そんな‥」

「タッちゃんがお前にって、これ」

母ちゃんが待ってきたのはタッちゃんがあのウシガエル捕りに使った竹竿と、タッちゃん手作りの馬糞紙に線を引いて作った将棋板と駒だった。

ボクは胸が詰まって、次の言葉がみつからなかった。

その場に居たたまれなくなったボクは表へ出た。そしてタッちゃんの家の前に行ってみた。

“魚元”の看板は外され、入り口には少し黄ばんで薄汚れた白いカーテンがひかれており、表には玉ちゃんがいつも乗って遊んでいた古びた三輪車がポツンと置かれていた。

 

通りにはいつもの様に一日の仕事を終えて家路を急ぐ人たち、買い物カゴを手に、子供の手を引いて大声で笑いながら歩いているおばちゃんたち、いそいそと夜の仕事に向かう着飾ったお姉さんたち,等などが賑やかに行き交っている。

視線をすこし上に移すと、そんな人々の暮らしをすっぽりと包みこむように、ちょうどあの日、校庭で目にした夜空を焦す炎に似た、真っ赤な夕日が空いっぱいに広がっていた。

その赤をバックに、通りのずっと向こうには、焼け残ったお寺の大屋根と樹林の一部がシルエットとなって浮き上がり、その中を多数のコウモリが飛び交っていた。

ボクには見慣れたいつもの風景だけど、今日は陽炎の中の景色のようにユラユラと潤んで見えた。