真島さんに何と呼ばれたいですか?
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*何も記入しない場合、青山美香になります。



バレンタインは嵐の予感?

ほのかなチョコレートの甘い香りがキッチンに漂っていた。白いお皿の上には、真っ赤なハートの型紙に包まれたガトーショコラが並んでいる。
私は、そっと表面に触れた。焼いてから二時間経ったので、荒熱は取れているようだ。
先週の日曜日に練習して作った時は、パサパサして失敗してしまったが、今回は中央が沈んで、程よくひび割れができている。なんかお菓子の本に載っている写真のものに似ている気もする。

今回は、成功したかもしれない。私は、緊張しながら型紙からガトーショコラをはがして、ひと口、口に運んでみた。
「うっ、またパサパサしてる……」

今日は木曜日。
バレンタインの明日は、会社が終わったら真島さんが迎えにきてくれて、デートすることになっている。そこで、さりげなく手作りケーキをあげる予定だった。
壁にかかった時計に目をやると、夜の十一時を回っている。明日も仕事だから、作り直すのはもう無理だ。

こんなのでいいのだろうか。真島さんに、まずいと言われないだろうか。渡すのをやめようか。
いや――。
心がこもっているから大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせながら、私はガトーショコラ一つ一つにうっすらと粉砂糖を振りかけた。

翌日の夕方。
ミルキーベージュのコートを羽織った私は、職場のロッカーから紙袋を取り出すと、そっと中を覗いた。淡いピンクの台紙に並んだガトーショコラが透明袋に包まれ、その上には白いリボンがかかっている。
けっこう美味しいそうに見えるかも?
思わず顔がゆるんでしまう。

「んっ?」
ケータイの振動に気付いた私は、バッグを探った。ケータイの画面を見ると――

『今日は残業になりそうやから、デートはまたにせえへんか?堪忍や』

メールは真島さんからだった。
胸がチクリと痛んだ。ふうっと大きなため息をつく。更衣室には誰もいない。
もう一度メールを読み返えそうと、携帯のボタンを押した。液晶に浮かび上がったのは、真島さんに寄り添って、Vサインをしている私――。 
待ち受けにしている写真で、三ヶ月前の私の誕生日に撮ったものだった。

あの時は、ミレニアムタワーの屋上で、真島さんと星が降ってきたような夜景を一緒に見た。
真島さんは、今、ミレニアムタワーいる。何しているんだろう。

やっぱり会いたい。
少しでいい。
いつも照れて言えないから、今日だけは、真島さんに気持ちを届けたい。

私は、思い切って真島さんにコールした。ケータイの向こうの呼び出し音に耳を済ませる。
真島さん、出てくれないかも……。
そんな思いがちらりと胸をかすめた時だった。

「おう、か」
真島さんの弾んだ声が聞こえた。
「あ、あのね……」
「ちょい待ってくれるか?」
「え?うん」

ケータイに耳を押し当てると、カチカチとパソコンに打ち込む音が聞こえる。
電話するのも惜しいくらい忙しいのだろうか。ターンと勢いよくキーボードを叩く音がした。
「よっしゃあ。待たせたなあ」
「ごめんね!お仕事の邪魔しちゃって」
「ええねん。今日はスマンかったのお」
「そんなのいいの」

私は、大きく深呼吸してから口を開いた。
「あの、ちょっと渡したいものがあるんだぁ。それで、事務所に少しだけ寄ってもいいかな?」
「ええけど、一人で来れるか?」
「大丈夫。前を通ったことあるし」
大きく首を縦に振りながら、張り切って答えた。
「ほな、待っとるで」
そう言った真島さんは、くすりと笑ったように聞こえた。

神室町の最寄り駅を降りた私は、ケーキが入った紙袋を振りながら、中道通りを歩いていた。
バレンタイン当日とあって、赤やピンクのハートで飾り立てられている店が目立ち、バレンタイン限定メニューを掲げている飲食店も多い。
もうすぐ真島さんに会える……。
口元ゆるませて、店先の真っ赤なハートの風船をちらりと見た。

不意に、頬に冷たいものが当たった。
私は夜空を見上げた。星はひとつも見えない。
路面に雨のシミが滲み始めた。

「やばっ!」
急いで紙袋をコートで覆う。
往来を足早に人々が走り抜けてゆく。タクシーに手を上げる人もいる。
雨が激しく降り始めた。
私は、マフラーに顔を埋めて駆け足でミレニアムタワーを目指した。

ミレニアムタワーの五十七階に着いたのは、七時だった。
私は、ハンドタオルで濡れた髪を拭きながら、人気のない廊下を歩いていた。
この階に真島組は設けられている。
「このオフィスでもないか……」
私は、きょろきょろしながら、事務所を見つけては、その前で足を止めていた。

ふと前方を見た。真島組と書かれた数個の提灯に灯りがともっているのが見える。
「あそこだ!」
私は、駆け足でその灯りに向かって走し出そうとした、その時――。

一人の女性が真島組から出てきた。その人は、毛皮をあしらった黒いコートに身を包み、茶色の髪をなびかせて歩いてくる。化粧が濃いが、華やかな顔立ちでモデルのようなスタイルだ。カツン、カツンとハイヒールの当たる音が廊下に響き渡る。
気後れした私は、自分とは全然違うタイプだな、と思うとすぐ彼女から視線を逸らせた。
彼女が、私の前でぴたりと止まった。

「どこか探してるの?」
彼女がにこりと訊いた。きつい香水の香りが鼻をつく。
「いえ、真島組に行こうとしてるだけです」
「あ、そう」

彼女は、企んだように笑っている。
「ねえ、あなた、もしかして真島さんの彼女?」
どきんと心臓が鳴った。彼女が意地の悪気な笑みを浮かべる。
「いや、あの、そ、そうです、けど……」
思わず口ごもってしまった。
どうしてこの人は、私が真島さんの彼女だと知っているのだろう。
さざ波のように、ゆっくり不安が押し寄せてくる。

彼女は、私を上から下までじっくりと品定めするように視線を動かすと、
「ふ〜ん。やっぱ聞いた通りなんだ。真島さんってこんな趣味」
と吐き捨てるように言い、続けた。
「神室町で、真島さんに彼女ができたって噂になってるの。真島さん、組長さんでしょ?彼女のことなんてすぐ広まっちゃうわけ。でもね〜、真島さんって彼女がいても、お店にはちゃんと来てくれるのよねぇ」
「お店?」
「あなたは関係ないでしょ」
彼女は、ぴしゃりと言い放った。

全身が粟立つのが分かった。もっと突き詰めたくても、喉の奥を塞がれているようで言葉がでない。
真島さん、キャバクラみたいな店にずっと行ってたの?
それとも――。
通りに並んでいたけばけばしい電飾看板のお店ににやにやしながら、入っていた男性たちが頭をよぎる。
心臓がどくんどくんと激しく脈打っている。まるで身体が大きな心臓になってしまったようだ。胸がズキズキとうずき出した。

彼女は、私が持っている紙袋に視線を移した。
「そう言えば、今日バレンタインだっけ」
私は、慌てて持っていた紙袋を自分のバッグで隠すようにした。
彼女が長い髪を指先で弄びながら、話し始める。
「ねえ、さっき真島さん、私があげたチョコ嬉しそうに食べてたけど」
「え……?」

言葉が詰まった。彼女が、真島さんにチョコを食べさせてあげている光景がありありと浮かんでくる。
真島さんは、どうして私に会えないと言って、この人には会ったの?
闇のような不安が胸の中に流れてくる。
口を歪めて笑っている彼女を見て、また、胸がうずいた。さっきよりも、もっと痛く、鋭くうずいた。
「あの、失礼します」
私が、紙袋の紐を握り締めて帰ろうと、一歩を踏み出した時、不意に背中のほうから真島さんが怒鳴る声が聞こえてきた。

「ちょい休憩じゃ、ドアホ!」
「親父〜、すぐ戻ってきて下さい!」
急いで振り返ると、ダークグレーのスーツを着た真島さんが事務所から出てきて歩いてくる。
彼は、私に気付くと、
「おう、。よう来たなあ」
と手を上げて、糸のように目を細めて笑った。
だけど、そんな真島さんを直視することができず、私は瞳を伏せた。

「真島さ〜ん、私は〜?」
猫なで声を上げた彼女が、真島さんのもとに駆け寄ろうすると、真島さんは呆れた表情で両手を軽く上げた。
「何や、お前。まだおったんか」
「ひど〜い。今、帰るとこぉ〜。真島さん、近いうちに遊びにきてね〜」
媚びるような笑顔を浮かべた彼女は、片手をひらひらと振りながら帰って行った。

廊下は、再びシンと静まり返った。
「私も、帰るね」
私は、視線を伏せたままで真島さんに背を向け、足早に歩き出そうとした。
「待てや」
真島さんに、いきなり腕をぐいっと掴まれた。
「用があって来たんとちゃうんか?」
「もう、いいよ!」
「アカンやろ」
抑えたような低い声で言った真島さんは、私の腕を引っ張りながら、事務所へ向かって大股で歩き出す。私は、ぐいぐいと引っ張られて足がもつれた。必死に体勢を立て直しながら歩いて、真島さんの腕を振り払おうとしても、彼の力には到底勝てるはずがない。私は、真島さんについて行くしかなかった。

組長室に通されると、眼下には、宝石を散りばめたような神室町の夜景が広がっていた。
誕生日に見たのと同じ夜景――。
なんだかその美しさにツキンと胸が締めつけられた。
黒の革張りソファの前のテーブルに目をやると、ノートパソコンが開いたままになっており、その横には書類が山積みになっている。やはり真島さんは、相当忙しかったに違いない。

ふと、ソファの上に大きな白い紙袋があるのに気付いた。GODIVAと書かれている。
さっきの女性からのものだと確信した。このソファで二人は食べたのだろうか。紙袋から目を離したくても離せない。
真島さんは、テーブルの上のものを手早く片付けると、ソファにズカッと腰を下ろして、
も、早う座り」
と言いながら、その紙袋をテーブルの隅に置いた。
ドアの前に立ち尽くしていた私は、急いで自分の紙袋を身体の後ろに隠した。そして、真島さんから視線を外し、ゆっくり口を開いた。

「……そのチョコ、どうしたの?」
「あん?これか?さっきの女からもろうたんやけど」
紙袋をちらりと見て、何の悪気もなくさらりと答える真島さんに、胸が痛いくらい締めつけられる。
「真島さん、やっぱり、モテるよね」
「なんやねん、、怖い顔して。アイツは、前通うとったキャバクラの女やで」
真島さんが、ネクタイを緩めながらケラケラ笑う。
「今も通ってるんでしょ?」
私は、真島さんをそっと盗み見た。
「アホか。行く訳ないやろ?せやなあ……もう半年は行ってへんわ」
「半年?」

真島さんと出会って何ヶ月か計算する。
「それって、私と付き合ってからって……こと?」
「せや」
真島さんがニヤリと笑う。
「本当?」
私は、ゆっくりと視線を真島さんに向けた。

「ホンマにホンマや!」
にっこりと笑った真島さんは、続けた。
「アイツは、営業で来ただけや。『皆さんでチョコ食べて下さい』ちゅうてなあ」
「じゃあ、二人で食べたんじゃないの?」
「あん?何でアイツと食わなアカンのや」
真島さんが怪訝そうな表情を見せる。
「そっか……。そうだったんだ」

ほっと胸を撫で下ろして、大きく息を吐いた。
「な〜んや、。えらい焼いとるのお」
「ち、違うよ!あの人、さっき嘘ばっかりついてたし!」
かぁと顔を熱くして、慌てて頬に手を添える。

「ほれ、そないなとこに突っ立っとらんと」
真島さんは、両膝をパンと思い切り叩いて立ち上がると、こちらへ歩いてきて、私の肩を強く抱き寄せた。
「アイツのせいで嫌な思いをさせてもうたなあ。堪忍やで」
真島さんが首をかがめて、下から顔を覗き込むようにした。彼の温かい言葉に鼻の奥がツンと熱くなる。
「全然大丈夫。嘘だってわかったから」
私は、照れたように首をすくめると、目の前で微笑む真島さんに、曇りなく笑った。

真島さんは、ソファに深々と腰を下ろすと、彼の横をポンポンと叩いた。
「さ、疲れたやろ。ここ座り」
彼の側に腰を下ろすと、おずおずと紙袋を真島さんに渡した。
「これ、どうぞ」
ニッと笑った真島さんは、「おお、スマンなあ」と言って、紙袋を受け取った。

そして、ガトーショコラを取り出すと、「これ、が作ったんか?」と言って目を丸くした。
「一応。でも、失敗しちゃった」
「んな訳ないやろ」
そう言って真島さんは、ガトーショコラを大きく千切って、口に含んだ。
「おお、旨い!」
「えっ?本当?まずくない?」
「まずいわけないやろ。メッチャ旨いでぇ」

真島さんは、次から次へと袋の中からガートショコラを取り出すと、二個、三個と美味しそうに頬張っている。その食べっぷりに思わず笑みが零れてしまう。
四つ目も食べ始めた真島さんが、
も食うてみ?」
と言って、勢いよく口元に小さく千切ったガトーショコラを差し出した。

「真島さんにあげたんだから、私はいいよ〜」
真島さんをちらりと見て、両膝の間に手を挟んだ。
「ええから、食うてみ?」
照れながらも、運ばれるままに食べてみる。ふわりとチョコレートの甘い香りが口いっぱいに広がった。
生地は、やっぱりパサパサだけど、試食した時より二倍も三倍も美味しいような気がした。きっと真島さんと一緒に食べているからだろう。

「どうや?」
「ちょっと美味しくなってるかも」
「せやろ?」
私は、真島さんと顔を合わせて、ふふっと笑うと、とびきりの笑顔を見せた。

真島さんは、ケーキを食べ終えると、「ホンマ旨かったなあ」と言いながら、私の肩に手を回してきた。
「なあ、。ここ座り」
真島さんが、私にその脚の間に座るように、人差し指でソファをトントンと叩いた。
「えっ?そこに……?」

その仕草にドキリと胸が高鳴った。ゆっくり腰を沈めると、真島さんが、私の身体を後ろから両腕で抱きしめてくれた。私のウエストの前で手が組まれる。
真島さんにそっと身体を預けた。密着した部分から彼の体温が伝わってくる。彼の組まれた手が、私のお腹の呼吸に合わせて緩やかに動いている。

「ねえ、真島さん?」
「あん、何や」
私は、小さく深呼吸した。
「あの、いつもありがとう」
「何言うとんのや。こっちこそ、おおきにや」
真島さんの抱きしめる腕に力がこもる。

ふと沈黙が訪れた。脈が高鳴り始める。
私は真島さんの両手をぎゅっと握って、息を整えた。
「真島さん……好き」
「当たり前やろ」
フッと笑った真島さんが、私の首筋に顔を埋めた。そのくすぐったさに思わず身体がぴくりと震えてしまう。

真島さんの吐息がかかる。
「なあ、。俺が食いたかったんは、お前のだけや」
小さくささやく声はどことなく甘い。
心のどこかでこの言葉を待っていた。
「うん……」
と、小声でうなずく。

横を向くと、吸い寄せられるように、視線が絡み合った。
真島さんはゆっくり顔を寄せると、私の唇にそっと唇を押し当てた。
ふわりと香る、
チョコレートの香り。
真島さんが、優しく輪郭をなぞるように唇に触れる。真島さんの唇が大切に私を包む。

溢れるような幸福感で心を満たしてくれるキス――。

私は、その甘い感触に身を委ねて、とろけるようなチョコレートの香りの中へ溶けていった。


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