20年後の寺院像(講演録)

平成29年2月1日に門徒総代研修会で話した内容を掲載しています。これは浄土真宗本願寺派の僧侶育成体系プロジェクト委員会が出した答申「10年、20年後に社会から求められる僧侶像・寺院像」に沿って、私見を述べたものです。

平成28年度鳥取因幡組第2回門徒総代研修会資料
日 時 平成29年2月1日(水) 13時30分〜16
場 所 鳥取市賀露町 西念寺       
講 師 鳥取因幡組組長 山名立洋     

テーマ 
20年後の寺院像                  

 

はじめに

いまは2017年ですので、20年後というと2037年を示すことになります。20年後には、世界は中国一国ができてしまうほどの人口増加を経験し、日本では、東京都が全部なくなってしまうほどの人口減少を経験します。また、20年後の日本は「人口の4割が60歳以上という超高齢社会」で、そこでは「60歳以上の方が、25?60歳の人口よりも多い」世の中となります。これは現在の人口統計から「ほぼ確実に訪れる未来」と言えます。

 一方予測のつかない状況も数多く考えられます。地球温暖化による海面の上昇、異常気象による災害の多発、地殻変動による大地震の発生など地球規模の変化や科学技術の発達、医療技術の発達など私たちの生活に恩恵をもたらしてくれるものも多く生まれて来るでしょう。また、ロボットやAI(人工知能)の発達により私たちの働き方も大変革するでしょう。

 しかし20年後になっても「私は何のために生まれて来たのか」とか「死んだらどうなるのか」といった問いはその進化では解決していないだろうと思います。そこに宗教の意味があり、仏教が必要とされるのだろうと考えられます。

 

寺院存続危機の時代

昭和63年(1988)、NHK全国放送にて『NHK特集・寺が消える』という特集番組がありました。

舞台は島根県邑智郡の川本町を中心とした周辺の寺院状況をレポートしたもので、急激な過疎化による門徒数の減少により寺院経営が成り立たず、廃寺が後を絶たないという内容のものでした。今から29年前の放送ですが、こののちも経営的にやって行けなくなる寺院が増えつづけ、本願寺派に限定しても山陰教区で約80ヶ寺が空き寺となっています。

空き寺になる原因の多くは跡継ぎの不在です。昔も跡継ぎ不在ということは現代と変わりなくありましたが、親類寺院の間で養子縁組をしたり、地域同宗間で跡取りを決めたりするなど、寺院や門徒が積極的に動き、何とかして継職にこぎ着けると言った努力が実を結んで来ました。現代は高齢化や人口減によって寺を護る側の力が弱くなったと同時に、少子化により養子縁組をしようにも若者や子供の絶対数が減っており、人手不足となっています。本願寺派ではネット縁という仕組みを取り入れた寺院支援制度を展開していますが、跡継ぎ不足解消というまでの効果は上がっていません。

他宗でも状況は同じで・宗立学校への入学者を増やすための奨学金制度の充実・後継者や入寺希望者、結婚希望者を紹介する「後継者支援システム」・「後継者がほしい寺院」と「後継者になりたい教師」がそれぞれ登録し、出会いの機会を創出する寺院後継者相談制度・出逢いの場を創出する「縁JOY」・後継者を探している寺院・教会または入寺者の登録・情報提供する「総合相談室」・高齢者の「第二の人生」として僧侶になることを呼び掛けている・出会いの場を創出する「良縁のつどい」など様々な取り組みを進めていますが、期待したほどの結果は出ていません。

國學院大の石井研士教授の調査では、地方創成会議の提起した「地方消滅」が現実のものとなれば、25年後には地方にある3割以上の寺や神社が村落と共に無くなります。10大宗派の内訳で最も消滅可能性寺院の割合が高かったのは高野山真言宗の455%ですが、浄土真宗本願寺派でも10,231ヵ寺中3,273ヵ寺(32%)、真宗大谷派でも8,641ヵ寺中2,464ヵ寺(28.5%)を占めています。全宗教法人数176,670法人で見ても62,971法人が消滅可能性があるということで、お寺だけの問題ではありません。

 

なぜ今寺院消滅の危機か?

日本の少子高齢化という問題は、40年くらい前には顕在化しており、こうなることはわかっていました。それと同じようにお寺が存続できなくなるということは、30年前には明らかになっていました。しかしデータ上はそうかも知れないが、まだ先のことだし、自分とは関係なことだと無関心を装って来たことが今になって問題化してきたとも言えます。その一つの原因は寺院間格差にあると思います。島根県の小さなお寺が発信して来たことが、伝わらず共有化されていないわけです。自分のところは差し迫った危機はないと思い込んでいたことが今頃ツケになって返って来たわけです。どこの組織もそうですが、大きなところや有力なところの意見が反映されるという傾向があります。本願寺派もそういう傾向にあることは否めません。そのため対策が遅れるのです。資金を吸い上げるという仕組みは整っていますが、それを再配分する仕組みというのが極めて脆弱で、誰もが個々のお寺の経営は自助努力によるという概念を持っています。いわゆるセーフティネットはありません。

また、誰でも意見を発信できるネット社会になって、お布施の問題が誇張して伝えられたり、派遣僧侶の問題が大きく取り上げられたりしており、間違った情報が独り歩きしている感じがします。お布施というのは経済原則とは全く違うもので、義務や強制ではない自主的な寄付や寄進を言います。金銭によるものを財施と言いますが、それに対して直接的ではありませんが法施を行なうのが僧侶です。寺院の経済基盤は本来お布施によるものであることが基本です。止むを得ず兼業している場合がありますが、ある意味で門徒さんにとっては不便を強いられていることになります。僧侶は命がけで法義を伝えていくものであり、お互いの遠慮がお寺の任務をビジネス化させている風潮に拍車をかけているのかも知れません。

もう一つの側面は、受け手側の受け取り方の変化があります。日本人は年末にはクリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、年が明ければ初詣をすると言われます。お彼岸やお盆にはお寺にお参りするけれども、お寺の法座がある報恩講や永代経にはお参りしないという人が圧倒的に多くなっています。つまり、お寺には行くが本堂には上がらないということです。本来、本堂は24時間いつでも開いており、自由にお参りが出来るというものでしたが、世相を反映してそれが出来なくなりました。そういうこともあって、お寺には法事や葬儀の時しか行かないという人が増えて来ました。葬儀も企業のホールや会館で行なうことが多くなりましたから、法事の時だけというのが現実かも知れません。そうなるとお寺の方もご門徒に寄り添うということが出来なくなり、ご門徒もお寺に期待することが無くなってしまいます。このままでは悪循環でお寺が無くなっても困らないということになりそうです。

 

僧侶育成体系プロジェクト委員会の答申

「10年、20年後の日本社会で求められる僧侶像・寺院像」

今まで述べて来たような時代背景と傘下寺院からの声を集約して作られたのが、このたびの答申です。2015年3月より2016年8月まで14回にわたって練られたものです。メンバーは次の5名です。本願寺派総務 光岡理雅學氏、相愛大学教授 釋徹宗氏、布教使課程専任講師・習礼教修所講師 三宮亨信氏、築地本願寺宗務長 安永雄玄氏、総合研究所所長 丘山願海氏。 さらに業務提携先提言者として一般社団法人 お寺の未来代表理事 井出悦郎氏が加わっています。

 

僧侶育成体系プロジェクト委員会からの答申の背景

戦後、核家族化が進み、さらに近年では単身世帯が増加し、家を継承するという家族のあり方は急激に減少してきました。また、都市部への人口移動が進み、過疎地では、地域社会の維持が困難になってきています。これからの時代に、いかにしてご法義を相続していくか。ご門徒の次世代もこれまでと同様に、寺院との関係を持つことを期待できず、寺檀制度がいよいよ崩壊を目前に控えた今、ご門徒に対してはもちろんのこと、各寺院にご縁のない方々に対して、いかに働きかけていくのかを考えることは、宗門だけの問題にとどまらず、伝統仏教の全ての宗派に共通する喫緊の課題です。

これからは、僧侶も人も選ばれる時代になるといわれます。逆にこれまでは、門徒は固定の所属寺との間で義務的な関係にありました。義務教育のように、御法座への参拝や仏教婦人会等への参加を始め、葬儀にしても法事にしても、先例通りにするのが当たり前であり、そうせねばならないものとしての意識がありました。だが今後は、義務から選択へと寺院と門徒の関係の動機が変化します。すなわち、この僧侶ならこの寺院ならと言うように、自身にとって価値を感じるか否かに従って、僧侶か寺院を選ぶ時代になると言います。様々なところで指摘されるこの見立ては、正鵠を射ています。これからの時代は、僧侶や寺院が、まずは社会から求められることに応えられなければ、法統の継承は困難なものとなります。逆に言えば、その期待に応え続ける中でこそ、ご法義は相続されうるでしょう。現在の宗門の僧侶育成体系を顧みるに、現状のままでは、これからの時代に必要とされる諸要件の育成は難しくなってきていると考えられます。「僧侶育成体系プロジェクト委員会」では、求められる僧侶像、寺院像について、議論を何度も重ねながら検討しています。特にご法義相続の要は人そのものであり、寺院像を検討する過程に於いても、特に僧侶、住職、布教使、坊守のあり様について検討を重ねています。

 

【外部環境の分析】

[政治の視点]

公益的な寺院運営を望む社会的要請の高まり

答申書にはお寺を巡る外部環境分析として一番目に「公益的な寺院運営を望む社会的要請の高まり」をあげています。この問題は、宗教団体が税務上で優遇を受けていることに起因しています。逆に言うとなぜ宗教団体は優遇されているのかということを知らなければどう対処していいのか分かりません。

このことを知らないと宗教団体は公益活動をしているから優遇されているのだろうと勘違いをすることになり、それならば一生懸命公益活動をしましょうということになります。全国で約7万5千と言われている寺院の大多数は公益活動を行なっていません。行なっているのは宗教活動です。

 実は宗教活動自体に公益性が含まれていると考えられています。宗教は社会全体に精神の安定をもたらし、人間の道徳・倫理の根幹を提供しているというのがその理由です。

 反論する人は、お寺は檀家組織で成り立っているのだから檀家のための活動であり公益性はないと言うかもしれません。確かに多くのお寺は檀家制度で成り立っていますが、基本的に加入脱退は自由です。信教の自由が保障されています。ですから今は関係ない人でも将来お寺にかかわることは可能です。すべての人に門戸は開かれていると捉えるべきだと思います。また近い将来檀家制度は崩壊しますので、加入脱退の自由はもっと明らかになるでしょう。

 一般の方はそういう背景を知りませんので、お寺に公益性を求めているのだと思います。公益性の具体例をあげますと寺院墓地や境内には無断で入っても罪に問われることはありません。もっともお寺であっても個人の住宅部分は住居侵入罪に問われます。

 公益性については、宗教活動を飛び越えて公益活動を行う必要はありませんし、宗教活動が本来の活動ですので無理をする必要はありませんが、今後孤立する人が増えてくる地域社会にあっては、地域になくてはならない寺院活動の在り方を考えていく必要があると思います。

 

適切な会計、各種規約の整備等、寺院運営の近代化の必要性

次にあげられているのが、「適切な会計、各種規約の整備等、寺院運営の近代化の必要性」です。この文面を見るだけで今の時代に近代化が必要とは、お寺はどれだけ遅れているんだと思ってしまいます。

 前住職の時代を振り返って見ますと、食べるのに精一杯ということもあったでしょうが、賃貸の下宿人を置いたり、貸倉庫業、貸車庫、貸販売会場などをやっていました。今で言う宗教法人の収益事業です。税務がどうなっていたのかは分かりません。

お寺の会計もどんぶり勘定でした。宗教法人という概念はなく、教員としての収入+お寺の収入が住職の収入という感じでした。ですからお寺の収入がないときは赤字会計だったと思います。ただ、お米や野菜がお布施の中心でしたから食べるものには困らなかったと思います。

 現在は宗教法人法に基づき会計処理をしていますし、毎年の決算や財産目録、役員名簿は監督官庁である県に提出しています。住職の収入は毎月宗教法人からいただく給与です。サラリーマンと同じように所得税、住民税、社会保険料を納めています。

また、宗教法人の決算内容は護持会運営委員会で公開していますし、門徒さんからの開示要求があればいつでも公開します。これを見れば収入と支出のすべてがわかります。私が36年間全労済という生活協同組合に勤めており、会計経理を担当していたこともありますので、税理士を頼まなくても日常の会計処理は自分で出来る点が大きかったと思いますが、これからの寺院は中小企業並みの会計処理を求められると思います。

さらに、寺院規則や墓地管理規約、納骨堂管理規約、境内建物管理規約など従来住職の頭の中で行なわれて来たことも明文化しておかなければならないでしょう。特に檀家制度が崩壊すると今まで以上に様々な経歴を積んだ方が出入りされますので、いままでの寺檀関係で済ますというわけには行かなくなります。この提言はもっともだと思われます。

 

 

 

[経済の視点]

家族葬の増加による遺族との接触機会の増大

葬儀の参列者数が減少し、家族葬と言われるものが多くなって来ました。そうすると、臨終勤行、通夜勤行・出棺勤行・葬場勤行・火屋勤行・還骨勤行とも、ほぼ同じ顔ぶれということになり、遺族・親族とのコミュニケ―ションの場が増えます。これは、自分が所属しているお寺がどういうお寺であるかと言うことを知っていただく、大きなチャンスであると思います。臨終勤行後はしっかり時間を取って、故人のひととなりを聞いたり、子供さんのお勤め先を聞いたりしながら、身近な関係になることを心がけるのが良いと思います。出来得れば現在帳に書き込めるような情報もしっかり聞いておいたほうが良いと思います。また、どういう葬儀にしたいのかと言うことも尋ねておいたほうがいいでしょう。型にはまった葬儀ではなく、遺族に寄り添った葬儀にすることが望まれるからです。

葬儀の後は初七日から四十九日まで七日ごとのお勤めがあります。この逮夜参りをすることにより、法要・法話を通してご遺族の方との一体感が生まれますので、日程調整が大変かも知れませんが是非勤めたいものです。

 

寺院葬の拡大と理論的基盤づくりの必要性

次の外部環境の変化は葬儀の問題です。近年は様々な要因により、参列者が100人を超えるような葬儀が少なくなり、二親等までで行うような小さな葬儀が少しづつ増えて来ました。家族葬という言葉の定着により、少人数での葬儀であっても引け目を感じることなく行われるようになりました。少人数だから費用が少なくて済むというわけではありませんが、それについては別の機会に述べます。

 家族葬になると、司会がなくても不都合はありませんので、葬儀社の方との打ち合わせより、ご遺族やご親族との打ち合わせが多くなり、顔を見ながらの話し合いが増えます。その時に故人のお話しを聞く機会が増え、法話に生かすことも可能になります。参列者も来賓に気を取られることが無くなりますので、僧侶に注目が集まります。心から喜んでいただける葬儀にできる可能性が広がります。

そして家族葬規模になれば、駐車場、下足箱、参拝者控室、トイレ、お茶の接待など一連の流れがお寺で可能となります。規模が小さくなることで、葬儀社から2〜3名のスタッフを助っ人で入れていただくことにより寺族で対応できる環境が整います。

 本堂での通夜や葬儀は改めて荘厳壇を作らなくても、通常の荘厳に少し手を加えるだけで対応出来ます。そして複数の葬儀を行なうことがありません。お参りの方は全て一人の方の弔問に駆けつけた方ですので全体的に一体感が生まれます。

 結果的に費用も少なく済みますので、ご遺族の方にとっては満足できる葬儀となります。どこのお寺でも現状で全て出来るというわけではありませんが、お寺の葬儀をやることによって改善点が見つかります。そこを改良することによってハード面もソフト面も価値が高まると思います。今こそお寺での葬儀に一歩踏み出す時だと思います。

お布施金額の激減を見据えた寺院運営基盤の確立

アマゾンのお坊さん便がネットで話題になって、再びお布施の問題がクローズアップされましたが、常に話題になる事柄です。ネットでは高いお布施を要求されたとか、言葉ではいくらでも結構ですと言いながら、一度払ったお布施を、突き返されて上乗せさせられたなど悪い話しばかりが聞こえます。

 少なくとも私の周りにはそんなお寺はありません。逆に実費(花代、交通費、会場費)にもならないようなお布施だったという話しは、たまに聞きます。また、アマゾンを下回るお布施は、珍しくないのが実態です。定額の方がわかりやすくていいという話しも聞きますが、お布施の意味が知られていないためだろうと思います。

どこの業界でもそうだと思いますが、1,000人に一人くらいの割合で悪徳の人がいますと、そのことばかりが独り歩きし、全体が悪印象になってしまいます。運悪くそういう人に当たったなら二度と利用しなければ良いわけです。お寺は勝手に離れることは出来ないと思っておられる方がありますが、トライして見る価値はあります。

 信教の自由(宗教の自由)とは、特定の宗教を信じる自由または一般に宗教を信じない自由をいうと憲法に規定されていますし、国際規約でもすべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有すると謳われています。

お布施は寄付の一種ですから、強要されるものではありませんが、少なくともお寺を維持するだけのお布施がなければ、お寺は潰れてしまいます。潰れていいということであれば、お布施の額について話す必要はないと思います。

 概念としては、潰れては困るという人が集まって作られているのが門徒(檀家)ですので、門徒(檀家)にはお寺を護持する義務があると考えられます。同様にお寺には門徒(檀家)の人が期待する活動に応える義務があると考えられます。今はお寺に期待する活動の一番は葬儀になるでしょうから、門徒(檀家)の方が安心して任せられる葬儀を執り行うことが第一義務でしょう。

 早晩檀家制度は崩壊しますので、その時に地域の人々から潰れては困るお寺になっているかどうかが明暗を分けます。今の30代40代の方は生涯賃金が激減する予測が出ていますので、お寺を選ぶ目もシビアになって行くでしょう。

 

葬祭業との地域コミュニティ化競争

葬祭業だけに絞って競争するわけではありませんが、業者も葬儀から一歩離れてマナー教室であるとかカルチュア教室などのコミュニティ化を狙っています。

もともとお寺は説教を聞く場であると共に、芸能文化を楽しむ場であったり、市が立つ場であったり、勉学をする場であったり、情報発信する場であったわけです。江戸時代の寺請け制度により、檀家となりその家の法事や葬儀を受け持つことになったころから、活動の中心が葬祭関係に移行して来たようです。

もちろん現代でも地域に向けてコンサートや落語会、ヨガ教室、写経、瞑想など様々な活動をしている寺院はありますが、圧倒的に少数です。それはノウハウがないことと同時に、スタッフ不足もあげられるでしょうし、時間が取れないことも一因だと思います。お寺だけで食べていくことの出来るところは限られており、多くは兼業です。そうすると平日は仕事で、土日に法務をこなすことになります。コミュニティ化することは物理的に困難です。

 自分のお寺で考えて見ても、そういう活動が出来るのは退職してからが中心です。兼業では無理、高齢化してからは無理ということになると、退職してから70代くらいまでの20年足らずが活動期間ということになります。それを無理のない形でバトンタッチして行かなければならないと思います。

 収入は法務で確保し、活動は社会還元というのも一方法ですが、継続的にやって行くのであれば、活動に伴う収入があってもいいと思います。法務による収入は寺の維持管理に回し、活動自体で収支トントンになるようなことを目指すべきではないでしょうか。更には活動が収益を生むようなことになれば理想です。

 答申でもお布施以外に収入の柱になるようなものを作ることが必要だとありますが、宿坊や保育園、幼稚園のような形態であれば可能かも知れませんが、収入の柱を新たに作ることは難題だと思います。ただし、小さなコミュニティを集約することで副収入の道を探ることは可能だと思います。

その他葬祭業では出来ない初参式、七五三、入学祝、成人祝、結婚式などを取り組むことも提言していますが、様々な工夫を凝らし、お寺の空間、時間を利用することで収入の道を探って行きましょう。

 

寺院単立化防止のため、宗派に所属するメリットの棚卸しと伝達の必要性

次のテーマは本山として寺院の単立化をいかに防止するかということです。様々な理由により宗派を離れ単独で宗教法人となるお寺を単立化と言います。本願寺派からは具体的な数字が出ていませんが、このテーマが答申に載るということは、実態があるということでしょう。

 宗派を離れる一番大きな理由は賦課金とか懇志の要請などの経済的なものだと推測されます。お寺の収入が減って行く中で賦課金制度のあり方も再検討される時代に入ったと思えますし、事業のたびに高額な懇志を末寺が負担するというやり方も考え直して行かなければならないと思います。

お寺によっては本山懇志もご門徒さんに割り振っておられるところもありますが、私のところは門徒会館建築にご懇志をお願いしたところでもあり、数年かけて寺院会計から捻出したいと考えています。鳥取因幡組の予算も昨年から大幅に減額して活動を続けています。

 宗派に所属するメリットを棚卸しするということですが、普段意識しないメリットよりも、スケールメリットを生かした教育研修をお願いしたいと思います。右肩上がりの時代はどんぶり勘定でも成り立ちますが、お寺が選ばれる時代になりますと最低限の経営ノウハウは必要となります。

お寺の運営管理については、文化庁の実務研修会に任せるのではなく、本山が主導して行くべきです。宗教法人と言っても収入と支出のバランス感覚は中小零細企業と一緒ですから、会計・経理や門徒拡大のためのノウハウ、関係法令、登記関連、門徒管理業務、パソコン関連などについて研修会を持っていただきたいと思います。それこそが宗派に所属しているメリットではないでしょうか。

 

[社会の視点]

イエと離れた多様な「個」に訴求する、対話コミュニケーションの力を育成する必要

答申では法要以外での伝道の場とか機会を積極的に開拓することが求められています。そして開拓にあたっては待ちの姿勢ではなく、効果的なアプローチの方法を貪欲に模索するよう求めています。

自分自身の経験では公民館のサロンに行って楽しく生きるための話しをしたり、企業に出かけて行って仏教の話しをするなどしていますが、自分でアプローチをしているわけではなく、頼まれて話しているというのが現状です。

所属しているライオンズクラブでは、時間が余った時などに仏教の話しを時々していますが、伝道と言うことを意識してやっているわけではありません。

対話コミュニケーションの力を育成することは大切だと思いますが、なかなかできていないのが現状ではないでしょうか。

 

僧侶の教育刷新・質保証の必要性

答申では新しい僧侶育成体系を検討するとあります。その中心は「人のために生き、人と共に生きる一緒性」という真宗僧侶のありかたを具現化することであると言っています。具体的には住職課程を発展的に復活させたり、法話力や感動を与える実践的な宗教儀礼を育成することに重きを置き、布教使課程の改革や勤式指導所の改革を行なうこととしています。さらに僧侶の質の継続的成長を促す機会として、教師資格更新試験を導入することも検討しています。

住職課程を抜本的に見直したうえで設ける理由として、寺院を取り巻く環境が激変するこれからの時代の住職には、「寺院運営の力」が強く求められることにあるとしています。門信徒の次世代も今までと同じように寺院との関係を持つことは期待できなくなっています。寺院にご縁のない方々と新たにご縁を結び、そのご縁を温めていく力を養うことは、これからの住職に必須の要件と言えます。寺院運営の力とは、財政的な基盤を作ることや本堂など施設や設備の管理能力だけではなく、これまでご縁のなかった方に信心をいただいてもらうところまでの門信徒育成力が求められるということです。聞薫習のご縁を重ねていただくところに護持の力が生まれて来ると思います。

次に教師資格更新試験ですが、似たような制度に教員免許更新制度と言うものがあります。教員免許更新制は、その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。新免許状には10年間の有効期間が付されます。有効期間を更新して免許状の有効性を維持するには、2年間で30時間以上の免許状更新講習の受講・修了が必要です。

 5年ごとに行われる本山の教師資格更新試験は、全年齢が対象となり、筆記、勤行、法話(15分)、門徒による僧侶としての資質・人間性の定性評価となっています。

実現するためには、乗り越えなければならない壁がたくさんありますが、教師の資質向上に向けて制度化することが望ましいと思われます。

 

[文化の視点]

「一緒性」に代表される、真宗文化の積極的な棚卸し・評価

テーマを見ても非常に分かりにくい表現となっていますが、浄土真宗の場合は個人と教義とが直接結びついているような形になっており、その中間に属する文化的なものが育っていないという指摘です。他の宗教では、仏像や仏画があったり、宗教的絵画や宗教音楽が社会的に認知され文化となっているということです。浄土真宗は御同朋御同行という言葉で示されるようにみんなが一緒に同じ作業をするという特徴があるので、それらを文化に育てる努力をしようと言うことです。

それは報恩講でのお斎を一緒に作り、一緒に食べるということであったり、仏具のお磨きをみなさんと一緒に行なう、境内の清掃をみなさんと一緒におこなうことなどです。その他真宗文化の特長としては、本堂の造りであったり、門徒式章をつける作法であったり、本堂で落語を聞く文化があったりしたことにあります。そういう文化を大切にしないと真宗の教義も広まらないという問題提起だと感じました。

 

[技術の視点]

ホームページの無いお寺は、世の中に存在しないお寺として見なされる

現在はホームページの無いお寺が圧倒的多数です。

 企業がホームページをつくる場合、目的は大きく分けて2つあります。

 一つ目は、広報宣伝活動です。その企業について知りたい人に、ホームページを通して詳しく情報を提供するということです。もう一つは、営業・販売のためです。ホームページを通して、店に来てもらったり、商品を買ってもらったりするということです。どちらにせよ、ホームページが得意な分野は、不特定多数を対象にした活動です。

 例外的には、すでに顧客になっている人に対して、紙媒体で送るべきものをホームページで閲覧してもらったりすることや、会員向けにダウンロードできる書式や音源、画像などをホームページで、保管する場合があります。

ですから檀家制度に乗っかって活動する場合は特に必要のないものです。しかし檀家制度が崩壊し、誰もが自由にお寺を選べる時代になると、自分のお寺がどんなお寺であるかを世間にアピールして行かなければならなくなります。

その時に備えて今から準備しておきなさいということだと思いますが、それより先にすべきことがあると思います。それは自分のお寺の特長を捉えたパンフレットを作ることだと思います。そうすることで自分のお寺の特長やっ進むべき方向が明確になります。

自分のお寺にホームページがなくとも心配することはありません。誰かがお寺の比較サイトを作ると思われます。 今の価格コムやぐるなびみたいなものです。そしてサイトによっては、お寺に☆☆☆を付けることになるかも知れません。例えば評価項目はこういう感じです。@お寺の敷居の低さA設備の充実度・使いやすさB通夜・葬儀のやりやすさC接待・サービスの充実度D研修会など教化活動の充実度Eイベントの豊富さF会計の透明性G情報発信の豊富さH寺院の永続性I住職の人柄など多数考えられます。

 一旦こういうサイトが出来ると、お寺としては手の打ちようがありません。そういう意味では、今からこれらに対して準備をしておく必要があるということです。先日問題となったDeNAのように、偽物を寄せ集めたようなサイトもありますので、見極める目を持つことも必要です。

 

僧俗の仏教知識の差は劇的縮小、伝達の技法や儀礼性の質にこそ僧侶の存在意義が表出

インターネットによる情報検索の普及により、僧侶と一般人の仏教の知識差は劇的に縮小しています。僧侶には知識以上に「法味」が伝わる力が重要になります。法味とは食事をするとき舌で味わうように、仏法を心で味わうことです。自分の味わった法味を伝えるには、日常生活の中に仏法を伝える例えを見出す力も必要になります。

また、勤行、立ち居振る舞い、真宗らしい宗教的感性などの宗教儀礼性の質の高さが、門信徒のみならず一般の生活者からも直截的に問われる時代となります。また、知識そのものに関しても、誤った知識や俗説が流布しないよう僧侶が適切に門信徒や生活者の理解向上に関与して行く必要があります。

 

教学と社会問題が乖離しないことの論理構築と、宗内の連携体制作りが重要

教学と社会問題は本来は繋がっているものです。例えば医療倫理・生命倫理について宗教はどう考えるかということを宗門として発信し、現代社会の不安に応える必要があります。また、大きな社会問題となっている原発事故や再稼働の問題も宗門として応えなければならない問題です。前門様が著作の中でいくつか問題提起しておられますが、宗門としての発信とまでは行きません。

宗教は心の問題、政治や科学とは関係ないと位置づけてしまうと、人の悩み・苦しみに寄り添うことは出来ないと思います。浄土真宗は大乗仏教ですので、すべての人を救う教えです。社会問題と乖離した教えでは、人々の心に届かない教えになってしまいます。宗門としての理論化は、六条円卓会議や宗門教学会議に任せますが、僧侶も常に社会問題に関心を寄せる姿勢を持つことが求められると思います。

 

[環境の視点]

「自然」「身体性」を伴う宗教体験が求められる趨勢に対して、真宗らしい対応の必要性

若い人にお遍路さんが流行ったり、パワースポットで人気が出たり、マインドフルネスということで瞑想や座禅、写経などがブームになっています。答申も「自然、身体性を伴う宗教体験が求められる趨勢に対して、真宗らしい対応が必要」と言っています。

 親鸞聖人が自力修行を限界まで行い、その結果他力に帰するという境地に至ったのに対し、現在の真宗僧侶は自力を経験せず他力を教義として概念的に理解しようとしているのではないかと考えられます。浄土真宗の特長は門信徒そろっての聴聞にありますので、一般向けの法座体験会を、どこの寺院でも気軽に出来るような仕組みを作って行く必要があると思います。

 出来る住職だけが先行するのではなく、浄土真宗のお寺であればどこに行っても体験出来ますというようなイメージを定着させる必要があるでしょう。また、真宗寺院では抵抗があるかも知れませんが、若い人の足をお寺に向けるため、仏教入門編として瞑想やヨガ、写経、写仏、仏像彫刻などの体験教室を取り入れることも考えなくてはなりません。

 今までのお寺のイメージである葬儀・法事は非日常であり、それだけではお寺に足を運ぶ機会は数年に一回程度です。それではお寺を身近に感じることはなく、いつまで経っても敷居が高いままです。お寺を日常的に感じていただくためには、このブームを利用しない手はありません。

 要するに法話会や講を中心に置きながら、誰もが日常的に足を運びやすい催しを考えればいいということです。子育て支援の一環として本堂を託児所として開放したり、フィットネスクラブやジムを開設いている寺院もあります。寺カフェは一般的になりましたし、コンサートは多くのお寺で取り組んでおられます。

しかし一方ではそういうものには一切関知しないというお寺さんもあります。これからもそれで成り立って行けば問題ないのでしょうが、気づいた時には手遅れということもあります。

 

災害時における都市部・過疎地寺院の連携可能性

ここでは、都市部で大災害が起こった場合を想定して都市部寺院の疎開先として過疎地寺院が考えられていますが、大災害は時と場所を選びませんので、一方的な連携では済まないと思います。大災害が発生した場合はインフラの整っている都市部の方が壊滅的打撃を受けるだろうことは間違いありませんが、都市部・過疎地を問わず被災寺院に支援の手を差し延べることは必要です。災害時には寺院間の連携だけでなく、一般の方に対してお寺が避難所としての役割を果たすことがあります。鳥取大火の時避難所になった寺院もたくさんあります。

普段から自治体や自治会と話し合いを行ない、災害時の避難所としての位置付けを確認しておくことも必要だと思います。場合によっては非常災害時の避難所としての協定を結んでおくことも有用です。そのような行動が地域に密着したお寺という安心感を生むことにつながります。

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