AKIRA7



熱いシャワーを浴びながら、やっぱりこれは夢なんだろうと疑う気持ちを、どうしても消せずにいた。


慎一郎の部屋は、電車でフタ駅乗り継いだところの静かな住宅地にあった。
まずはココ、って押しこまれたはじめて見るバスルーム。
着ていた服は洗濯機に入れるように言われて、従った。

ここで、毎日慎一郎がハダカで、こうやって、今の俺と同じくシャワーを浴びてる・・・。
そう思ったら、バスタブや、壁すら、愛しく見えてきて・・・そっとあちこちを指で辿ってみた。

それから、さっきまでの行為の跡を、残さず消したくて、借りたタオルで体中を痛いほど擦った。もう、知られているのに、それでもキレイになりたかった・・・。
頭から足の指先まで、必死でこすって、カラダの中に残されたモノも、そっと指を入れて掻き出した。
全身をしっかり洗ってから、やっぱりもう一度・・・と思ってボディソープに手をかけたけど、止めておいた。
あまり長くオフロを占領してるのも、悪い気がしたから・・・。
スライド式のドアを空けると、正面の洗濯機の上に、慎一郎の白いシャツが置いてあった。半そでなのに、俺には大きくて、袖がひじまで隠してしまって、パジャマのズボンは、長すぎたから裾を折ってはいた。

彼の服を、着てる。
そっと自分で自分の体をぎゅっと抱きしめた・・・。
たったこれだけで、あんなに空虚だった胸の中が、幸せな気持ちでいっぱいになる。
彼の物だっていうだけで、ただのシャツがこんなにも俺を暖かいきもちにしてくれる。だけど、そういう気持ちを隠さなくてはいけない。
こんなに迷惑をかけてしまった。
あんなに汚れた俺のことを、しっかりと背中におぶってくれた。
足を抱く腕には、ためらいがなくて。
おぶってもらっているオレの方が、申し訳無さで、しっかり抱きつくことをためらっていた。
例え理由は気持ちになくて、大人の責任からの行動だったとしても、乱れた髪や荒い息から、本気で俺を探してくれてたコトは痛いほど理解できたから・・・。
これ以上彼を不愉快にさせないために、この感情を、できるだけ出さないようにしながら、俺は脱衣室のドアを開けた。

エアコンの効いた心地いい空気が体をつつむ。
「センセイ・・・?」
呼んでみたけど、慎一郎の姿はなかった。
玄関脇の個室と、リビングに隣接した和室も、そっと覗いたけれど、見当たらない。
湧き上がった不安で、シャツの胸元を握り締めたとき、玄関のドアが開いた。
コンビニの袋を手に入ってきた慎一郎を、思わず駆け出して迎える。
「どうしたの・・・?」
静かに問いかけられた声が、じわっと胸に染み込む・・・。
「ひとりに、されたかと、思った・・・っ。」
ようやくそれだけ口にして、気恥ずかしくて俯いた。
「・・・キミは、ほんとに、よく泣くなぁ・・・。」
めじりに溜まった雫を、親指で拭ってくれて、冷蔵庫へむかう慎一郎のあとを、素足をぺたぺた言わせながら追いかけた。
冷蔵庫の中のもの勝手に飲んでいいから、と言って、彼はバスルームに消えたけど、そんなこと、できそうにない。
どこに居ればいいのかも分からなくて、俺は彼が上がるまで部屋のすみに膝を抱えてしゃがみこんでいた。






「おうちの方には留守電に連絡いれといた。塾の子数人で僕のうちに泊まりにきたことになってるからね。」
「・・・あ、あの、ありがとう・・・。」
テレビの前のテーブルに向かい合って座らされて、勧められた冷たいお茶を飲んだ。
オフロあがりの慎一郎は、いつもと違っていた。
濡れた髪がゆるく後ろに流れてて、細く額に落ちた束が、なんだかすごく艶っぽくて、俺は目を上げられなくなった。
押さえようと思っても、動悸は止まらない。
喉からいまにもせりあがりそうな心臓を押さえるために、グラスにいっぱいだったお茶はあっというまに空っぽになってしまった。
「・・・いつも、こうなの?」
「え・・・?」
ふと、顔をあげて、胸がかき乱されるほど好きでたまらない瞳に、自分が映されているのを見た。
はずかしさでどうにかなりそうな気持ちを静めるために、ほんとうはずっと見つめていたいその顔から、目線をはずしてまた下を向く。
「おとうさんと、おかあさん。帰りが随分おそいみたいだから。」
穏やかな声に、まるで誘われるように、俺の口が動いた。
「そんな、めずらしいことじゃないんだ。いつも、仕事で忙しいから、晩御飯も一緒に食べれないのが、ほとんどだし、俺、なんか、すっごい信用されちゃってて、変だよね?こんな、めちゃくちゃなこと、してんのに、・・・今日だって、普通に帰ってても、きっと誰も気づかないんだ。」
オレを見てる人なんて、誰もいない・・・。
語尾が、掠れて、消えた。
同情されるのが溜まらなくイヤだから、隠してきた事実。
それなのに、促されて俺は自分でも恥ずかしいほどたやすく口にしてしまっていた。
本当は、聞いて欲しかったんだ。
誰かに、・・・違う、慎一郎に。



慎一郎は何も言わずに、空になったオレのグラスに新しいお茶を注いでくれた。
「あり、がとう・・・」
消え入りそうな声でお礼をいうと、慎一郎は自分のグラスにも注ぎ足しながら、優しい声で静かに言った。
「・・・いいよ。ここでは、気を使ったりしなくて。」
彼のまとってる空気が、たまらなく柔らかく、オレを包みこんだ・・・。
これは・・・夢・・・?
声に抱きしめられたような気がして、性懲りもなく、また涙が零れそうになるのを、一生懸命がまんした。
それとも、昼間のあの突き放された時の声が・・・夢だったのだろうか。
オレのこと、キライなんじゃないの・・・?
迷惑な生徒だって、思ってるんじゃないの・・・?
それとも、かわいそうな子供を・・・放っておけなくなった・・・。それだけの、こと・・・?

整理しきれない今日一日のコトを思い返して、消えない疑問符を胸に溜めこむ。


「ただ、これだけは言うけど・・・」
慎一郎のヒトコトに体がこわばった。

「反省は、しなさい。」

その言葉が耳に入った瞬間、反射的にトイレでのあの声が耳に甦って・・・

「ご、ごめんなさい!今日あんなふうに、キスしようとして・・・オレ、体が勝手に動いてっ。二度と、あんな事、しないから!センセイに嫌な思いなんて、もう、絶対にさせないように気をつけるからっ・・・・!!」

パチンと、乾いた音が左頬で鳴った。
慎一郎の右手がオレの左のほほを軽くたたいた音。
「・・・っ」

決して痛いわけじゃなく、背筋がビクっと震えて、恐る恐る目線を上げて、彼を見た。
予想していなかった、悲しそうな顔・・・。
頬に右手で触れたまま、慎一郎が口を開いた。

「・・・バカ。誰がそんな事を反省しろっていうと思う・・・?」
きっと、オレの錯覚だけど、愛しむように指が頬を撫でた。
「自分を、大事にしなさいって、言ったんだよ・・・」
そのまま大きな手が耳を掠めて、髪をすいて・・・


撥ねあがる動悸。
熱くなる目元。
震え出す、指先



「さわら、ないで。」
「・・・?」
アタマの横で止まった慎一郎の手を、左手で押し返した。

「さわらないでよ、センセイ。」

行き場を失った彼の手が、宙に止まる。

「忘れたの?俺、センセイの事好きなんだよ?好きってどんな気持ちか、わかんねぇの?・・・苦しいんだよ。ものすごく、苦しいんだよ?」

こんなこと、言いたくない、だけど、止まらなかった。

「センセイは気持ちわるくないの?オレが・・・、オレがどんな風にセンセイを思ってるか、知ってるだろ。だから、だから今日、トイレであんなふうにオレの事突き放したんだろ?そうじゃくたって、ずっとずっとオレの事避けてたくせにっ・・・!気持ち悪いからなんだろっ・・・?なのに、・・・それなのに、大人の責任だとか、変な同情なんかで、優しくなんかすんなよっ・・・!」

一息に口にして、堪えていた涙がまた溢れて頬を流れ落ちていく。

「分かってるのに、どきどきしちゃうだろっ・・・!そうやって俺がどきどきしてんのが伝わったら、またセンセイを気分悪くさせる。だから、気づかれないように、悟られないように、隠そうって頑張ってるのに、・・・できねぇよ。そんな、器用じゃないし、・・・好きだからっ・・・誰より好きだからっ・・・・・・・。オレと同じ気持ちじゃないくせに、オレに優しく触ったりなんかするなよ!!」



タン・・・と机に落ちだ涙の雫が音をたてた。
それっきり、部屋からすべての音が無くなってしまったような気がした。
慎一郎は、身動きもせずに正面に居る。
視線が、まっすぐにこっちを見てるのが感じられて、だけど、もう顔を上げるだけの気力もなく、オレは声を殺してただ、泣くばかりだった・・・。









夢を見た。
起きていた時と同じく、オレは泣いていた。
小さな子供のように軽々と抱き上げられて、柔らかい布団の上にそっと下ろされた。
細胞の端までがしっかり覚えてる、コレは、慎一郎の指の感触・・・・

前髪をそっと掻き揚げられて、涙でぐちゃぐちゃになったまぶたに落とされたのは・・・
小鳥の羽が触れたような・・・キスだった。


まだ、こんな夢を見てしまうなんて。
どうして自分の気持ちなのに、自分の思う通りになってくれないんだろう。
なにもかも、忘れてしまえたらいいのに。
慎一郎に出会わなければ、良かったのに・・・。

そうやっていくら思っても、初めて見たときのあの笑顔がもうオレの一部であるかのように鮮明に脳裏に甦る。



欲しい・・・、欲しい。
それが、欲しい。
ずっと遠くの届かない存在に向かって、渇望に震える手を、伸ばしだところで、目がさめた。





ふと見ると隣にはきちんとたたまれた布団があって、そこに慎一郎が眠っていた事をオレに教えてくれた。
窓からはもう随分高くなった日差しが入ってきている。

ゆっくり体を起こして、記憶を辿るけど、どうやってこの布団に入ったのか覚えがなかった。
オレ、・・・座ったまま眠ってしまったのか・・・。
自分で思っていたより、ずっと張り詰めてたんだ・・・。



伸ばされた手を、自分から跳ね除けた。
望む形じゃなくても、あんなに欲しかった手が差し出された・・・それなのに。
俺はそれに縋る事ができなかった。
どんなに傷ついたって、本物の気持ちでなきゃ、欲しくない・・・。
頑なな自分の信念を疎ましく思う一方で、それこそが、俺が彼を好きでいる気持ちの誇りなのだと、
自分にいいきかせた。


時計は、12時を過ぎたところを指している。


だるさが抜けない体を起こして、布団を隣のものと同じようにたたんで、リビングへの引き戸を開けた。
慎一郎は居なかったけど、エアコンがついたままだった。


机のうえに、キレイな字の書置きを見つけて、恐る恐る、手に取った。

まるで、最後通告を受けるような・・・そんな心境で、文字に目を走らせた。






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