AKIRA8




『江崎亮君へ

塾にいきます。

君は優しくするなと言うけれど、それを叶えて上げられそうにはありません。
昨日は、鞄も置きっぱなしで飛び出していったので戻ってくると思っていました。
塾が閉まる時間まで教室で待ったけれど、キミは帰ってこない。
深夜も近いのにうちに電話しても繋がらなかった時の僕の心境は、担当講師としての責任だとか、同情だとか・・・少なくともキミが思っているような物ではなかったことだけは分かってください。
キミのことが心配だった。だから、探しました。
あんな状態のままで家に帰す事も、僕にはできなかった。
一人の人間として、キミを放っておく事が、僕にはできないようです。

避けていた事を謝ります。
キミの思いがどれだけ真剣なのか、分かっていなかった。

例え気持ちには応えられなくても、これからはキミとちゃんと向き合う事を約束します。


遠野 慎一郎。』




「・・・バカ。ちっともわかってねぇよ、センセエ・・・。」

オレがどんなにあなたを好きなのか・・・全然分かっていない。

それでも、伝わってきた。
あの眼差しと、同じ色の気持ち。
何度も書きなおして、修正した跡があった。
いいかげんな扱いなんか、されてない。
一人の、人間として、慎一郎が一生懸命考えて、これを書いてくれた。
おれに、書いてくれた・・・。

ずっと忘れていた。


うれしくても、涙が出るっていうこと・・・・。

悲しい涙も、うれしい涙も・・・あなたがオレに、教えてくれた・・・。









「おはよう。」

何気ない挨拶。

「おはよ、センセイ。」

自然と浮かぶ笑顔で答えて、自分の席につく。
ちゃんと、目と目が合う。
穏やかな微笑すらうかべて、慎一郎はオレに接してくれるように、なった。

その、代償ではないけれど、オレは好きだという気持ちを伝えようとするコトを止めた。

最低と呼べる関係を知っている。
だから、高望みなんてできない・・・。
そう思えば、普通に声をかけてもらえる状況で満足できると思っていたのに・・・
オレの本能は、したたかにその先を望んでいる。

オレだけを見て、オレだけを、想って・・・。
かわす視線に混じってしまう。

好きで好きでたまらないのに、この気持ちは届かない。
分っているならもう、やめてしまえばいいのに、好きでいること。
おはよう、って、声を掛けられるたびに嬉しくて笑顔になる。
質問に答えてくれる静かな声や、わかる?って問い掛けるように覗きこんでくる瞳に、新しい好きの気持ちが毎日毎日募っていくのだ。
まるで、消えない雪のように、音もなく・・・けれど確実に。

溶かしたい・・・。
慎一郎の体温で。
募っていく気持ちを二人で溶かし合いたい・・・。
そう願い、いつしか積み重なった気持ちで、自分がおしつぶされそうになっていた。

一方通行の想いに、今日も何度目かのため息をこぼした。
そのため息が机に落ちたのと同時に、前から回されてきたプリントには・・・。


『夏季講習・特別合宿のお知らせ』

と書かれていて、

引率・遠野慎一郎・・・の一文を見つけたオレは、無条件に『出席』にマルをつけた。










家族旅行等に縁遠い生活を送ってきたせいで、バッグに着替えや勉強道具を詰め込むだけで、胸が弾むのを止められなかった。
そして、初めての合宿。
バスで着いたその場所は、時間がそんなにかからなかった割には随分なヤマの中で、合宿所はその中にぽつんとたっていた。

楽しかった。
初めて、友達ってこんな感じなのだろうかと思える奴らと、好きな人に囲まれて。
慣れない環境なのに、ずっとここに居たいと思うほど、楽しかった。

1週間の合宿の最終日は、午後から勉強のコトは忘れて、合宿所のウラにあるキャンプ場で飯盒炊飯のカレーを作った。
不器用な子供ばかりで作ったそれは、ジャガイモが大きすぎたりにんじんがちょっと生だったりして、お世辞にもいいできだとは言えなかったけれど、美味くないと言いあいながら、その場のみんなからも、オレからも、笑顔が絶える事は無かった。

街の明かりがないだけで、星がこんなにきれいに見えることを知ったのも、その夜だった。
名残惜しいけれどみんなで囲んだ焚き火も、時間と共に小さくなって、消えてしまう。

生徒に部屋に戻るように言って、慎一郎は使わなかった薪を抱えてキャンプ場の脇の小屋の方に歩いていく。
持ちきれなかった数本が残っているのを見つけて、オレは思わずその背中に声をかけた。

「せんせ、手伝うよ。」

振り向いた目に見つめられた瞬間、断られる・・・とどこかで怯えて体が竦んだ。
けれど・・・

「ありがとう。助かるよ。」

言われて、嬉しくて駆け寄った。
「そこにあるの、持てる?」
「ん。このくらい、平気。」

数本を腕に抱えて、慎一郎の隣に並んだ。
ほかの生徒がみんな合宿所の中に入ってしまったせいで、さっきまでのにぎやかさがすべて夢だったんじゃないかと思うような、静かな空間。
遠くで微かに聞こえるみんなの声と、周りの草むらから絶え間無く奏でられる虫の鳴き声。
そして、歩幅を緩めてくれる慎一郎が、ここにいる。

湿気を含んだ夜気にまじる、彼の匂いを近くに感じて、言葉も交わさないうちに心臓が騒ぎ出す。


「楽しかったでしょう。」

ふいに右上から掛けられた声に、トクンと小さく胸がこたえる。
口元に静かな笑みを浮かべた慎一郎の顔は、星明りに照らされて蒼く、今まで見るどの時よりキレイだと思いながら、俺はコク、と頷いた。

「いい顔、してましたよ。すごく。」
そう言われて、もしかしてオレのコト?と視線で問い掛けると、慎一郎はふっと笑った。
「自覚、あったでしょう。今日なんて、ずっと笑ってたし、僕もうれしかった・・・」
「オレが、笑顔だと、センセイはうれしいの?」
「うれしいよ。」
「・・・そう、なんだ。」

恥かしくて目をそらした。
そんなふうに、真っ直ぐにくすぐったいセリフを言わないで欲しい。
あまりに、普通に接してくれるから、油断してまた、口にしそうになる・・・

好きだよって、今にも声になってあふれそうなのに・・・

薪小屋が近づく。
二人きりの短い時間が、終わってしまう。

「ここでいいよ。」
小屋の手前に無造作に置かれた薪のヤマに、慎一郎は腕に抱えていた束をドサっと下ろした。
それに習って、同じ場所に薪を下ろそうとした瞬間、
「イっ・・・っ」

手首の内側に鋭い痛みが走って、オレの手からガラガラと数本の木の板が落ちた。
慎一郎の腕がすっと伸びてきて、その手首を掴んだ。

腕の痛みより、心臓が苦しいほど縮んで、無意識に手を引きかける。
「・・・トゲがささってる。ごめん、注意しとかなきゃいけなかったね。」
二人の間の距離が、縮まった。
慎一郎の体温が、掴まれた手首からオレに伝わって・・・
「先が出てるから、抜けそうだ・・・。ちょっと、我慢して・・・。」
暗がりでそこを見るために慎一郎が手を顔に近づけた。
指先に、彼の吐息が触れて・・・

だめだ。
コレ以上、そばにいたら、おかしくなる。

掴まれた腕を、引いて、一歩離れた。


「ゴメン、・・・痛かった?」

的外れなことを言う目の前の想い人の本心を、探るように、見上げた。
自分でも、分かる。
潤んでる両目で・・・・

「・・・あ、・・・えぇと・・・。」

見つめるオレの意図を汲んだ彼の視線が、一瞬うろたえて宙を泳ぐ。
気まずそうに自分の髪を掻き揚げて、慎一郎はまるで自分自身を落ちつけるかのような深呼吸を、一度、2度、とくりかえして、ゆっくりとオレをその視界に戻した。

月明かりしかない夜の木立の影に、濡れたような彼の瞳。
もったいなくて、目をそらせない。
なんて、キレイだろう。
なんて、夜が似合う人だろう・・・。

そんな風に見とれながら、絡まる視線は、それだけでオレの体温を上げるのに十分なほど、扇情的で、艶やかで・・・・・


「江崎君は、今でも・・・、僕のことが好きなの、かな?」
半信半疑と顔にかかれたような表情で、問われて、オレは迷わずうなずいていた。

「言っても、いいの?いいんだよね?」

この話題をふったのは、あなたなんだから・・・、言ってもいいんでしょ?慎一郎?

「好きだよ。」

声に出すことを許されたオレは、精一杯の気持ちを込めて祈るように呟いた。

「好き。センセイが、誰よりも好きだよ。」

告白に体が熱くなった。
その熱がちりちりと体内を侵食するかのように、甘く広がる。


「こんな、おじさんの、どこがいいの?」

苦笑を交えた声で、ちょっと飽きれたように返されて、オレは、とんでもないと首を左右に大きく振った。
「センセイは自覚したほうがいいよ、すごく、ものすごく・・・いい、と、オレは思うから・・・。」

そのすべてが、オレを引きつけて放さないのだと、どう言えば、この人はわかってくれるんだろう。
これまで生きてきた十数年間で学んだ言葉では、うまく表現しきれなくて、もどかしさが余計に視線を熱くした。


見つめる眼差しの先で、彼はちょっとうつむいた表情のまま、ひどい事を言う。
「江崎君、趣味が悪いよ・・・」
「なにそれ。誉めてんだから素直に喜んでくれたっていいだろ?!」
「視力検査。今度してあげようか?」
くすくすと笑いながら慎一郎がふざけてオレの目を覗きこんできた。
「いらないよっ、そっちこそ趣味悪いよ。こんなにカワイイ生徒が想いを寄せてやってんのに!」

切り取られたような、二人きりの夜の中。
こんな風に恋してることを隠さずに笑って伝えられるなんて・・・
夜空に穴があいたような真っ白い月と蒼い木々の合間で、非現実感が空気に混じっている・・・そんな気がして・・・
「好きだよ・・・。」
もう一度声にして、じゃれるように彼の胸に顔を寄せた。

笑い声が途切れて、虫の微かな鳴き声が静寂を際立たせる。

動悸が、切なさを乗せて、4回。
血を身体に送り出した時・・・

「・・・トゲ、早く抜かないとね・・・。」

はぐらかされて、大人しく身体を離した。
「・・・そうだね。」

距離を置いて、合宿所へ戻る途中、くやしまぎれの冗談でオレは口にした。
「オレの大事な手首、傷物になっちゃったよ。センセイどうやって責任とってくれんの?」
「・・・そうだねぇ・・・うーん。」
付き合って悩んでくれる声に、笑いながら申請してやった。

「しょうがないね。デート一回でチャラにしてあげるよ。どう?」

数歩前を歩いていた慎一郎の歩幅が、ちょっとだけ縮まって、オレに並ぶ。
今度はどんな冗談で返してくるだろうといたずらっぽく見上げていると・・・

「・・・いいよ。」

一瞬耳と目を疑った。
オレの耳には、今、承諾を意味する返事が、聞こえた・・・。
前を向いたまま答えた彼の顔は、冗談を言っているようには見えなくて・・・

歩く事も忘れて立ち止まって固まるオレに、慎一郎は振り向いて、繰り返した。

「いいよ。デート、しよう。」
「うそだ・・・。」
ふざけて言う分には笑って流せるのに、そんなセリフを真顔でいうのは、あまりにも残酷だ。
顔をそむけたオレの視界に、慎一郎の右手の小指がすっと差し出された。

「うそじゃないよ。約束しよう。」

小さい頃からこんな風にする友達も居なく、両親と遊んだ記憶も少ないオレには、産まれて初めての指きりのような、そんな気がした。
そして。

黙ったまま、小指を絡めた。
痛いほど、きつく、絡めた。




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