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| □簪〜かんざし〜 あらい新さまがこのイラストからお話を紡いで下さいました。 ご堪能くださいませ・・・ ================================ 簪(かんざし)(唯月 一氏に捧ぐ) 日本橋孔雀屋の弓月(ゆみづき)って言えば、結構名の知れた色子さね。 色白く髪長く、容顔真に優れけり・・ってね。これは女の褒め言葉だがな。 なに、知らない?そいつァ浮世の大損ってヤツさ。お前さんもいっぺん手合わせ してもらうといい。 女が華を売る吉原と並んで、男が色を売る町「芳町陰間宿」。 婀娜(あだ)な空気を纏ったこの街角で、今ひとりの青年が男に責めたてられて いた。 「いいじゃねえか・・・何処でやったってお前にはいっしょだろ、弓月」 壁にがっしりと縫いつけられた格好で、弓月と呼ばれた青年は息を荒げて必死で 抵抗を続けていた。 絡げた裾から、男のいかつい指先が乱暴に脚の付け根をなぞり上げる。 「なにしやがる!」 「徒商売してんだろ。客に聞くクチじゃねえな、ええ?」男が細い顎をぐいと乱 暴に引き上げた。 「何が客だ!俺を買いたきゃ孔雀屋の暖簾をくぐってからにしな!こんな御天道 さんの下でテメェみてえなサンピンに犯られるほど、 俺は安かねぇよ!」 「なにを・・・このっ」 振り上げた男の拳を覚悟して眼を閉じた弓月は、次の瞬間目の前に立ちはだかっ た背中を見て唖然となった。 「兄さん、孔雀屋の看板代わりにキズ付けちゃぁいけねえヨ。用心棒の兄さん連 中に、川に沈められちまうぜ?」 見れば振り上げた拳は男の腕にがっしと掴まれ、行き場を無くして震えている。 狼藉を働いた男はうう、と低く唸って未練がましくその場から逃げ去った。 「礼は言わねえぞ」青年はふて腐れた様に男に向かって吐き棄てた。 「んなモン欲しくてやったんじゃねえ。お前さんを一目見てえと思って来たら、 まさかそちらから出向いててくれてるとはな」 そう言って楽しげに笑う男を見て、弓月はかっと顔に朱を昇らせた。 「客なら、ウチの三和土(たたき)踏んでからそれなりの扱いしてやる。来いよ 」 羽根を広げた鳥の意匠を大きく染め抜いた紺の布が、店先ではためいている。 孔雀屋というのは、この辺ではかなり大きな家構えの商売屋であるようだ。 階段を昇って二階の奥まった座敷が弓月のために設えられた部屋だった。 廊下を過ぎてゆく合の間からは、密やかな喘ぎや客との噺(はなし)を楽しむ色 子たちの声が聞こえてくる。 二間続きの奥の間には、いかにもといった風情で枕をふたつ並べ、眼に鮮やかな 紅の床が延べてあった。 勧められるままに腰を下ろした男は彼に向かってこう言った。 「弓月ってのは風流な名前だな。俺は吉三(きちざ)だ」 「聞いてねえよ、あんたの名前なんざ。覚えやしねえし」 「覚えなくって構やしねぇ。お前が覚えるのは、俺の体だ」 あからさまな挑発の言葉に弓月の顔色がすぅっと変わった。そこに現れたのは、 手管に馴れた色子の表情であった。 弓月は男の視線をしっかりと捉えたまま己の着物の前をくつろげ、するすると帯 を解きながら手招きをした。 「・・・客をあしらうのに素っ裸になることもねえ。来な・・・極楽見せてやる よ」 誘うように広げた脚の合間を吉三に向けて、弓月は薄く口元で嗤って男を見つめ ていた。 「色子勤めも5年になりゃァ、もう大年増さ。浮世の夢を捨てたワケじゃねえが 、こんな俺を誰が好んで身請けしてくれるってんだか」 今宵の色事が全て終焉した後、細い顎を枕に落として弓月はぽつりと呟いた。男 はじっとそれを聞いている。 「まあ、筍(たけのこ)と色子は初(うぶ)なウチが食い時、ってサ。当たって るよ」 はは、と軽く笑って弓月は正面を見据えて黙り込んでしまった。 行灯の油芯がじじ、と音を立て燃えさかる度、部屋の灯りが揺らめいて二人を照 らす。 どこからか微かに謡いの声が聞こえてきて、彼等の上を静かに通り過ぎていった 。 女とまごう睦事の柔らかさ、その馴れた手管に酔ったのか、吉三はそれから足繁 く孔雀屋を訪れ弓月を買った。 弓月の方も、いつの間にか吉三の訪ないを指折り数えて待つ様になった。 吉三が孔雀屋に通い始めてひと月が過ぎたころ。 「なんだ。それ」 吉三の袷の懐から覗く紙の包みを見て弓月は訊ねた。男は微笑んで包みを取り出 し、弓月の目の前で開けてみせる。 それは上物の鼈甲の簪だった。柔らかな甘い色を帯びてすっと通った切っ先に、 珊瑚玉と思しき深紅の珠が飾られている。 「お前の髪は真っ黒で強(こわ)いからな。こんくれェの色のが似合うだろうと 思ってよ」 「これを・・俺に?」仰天した風に弓月は問うた。 客はあくまで金子で色子の身体を買うことしかしない。こんな想いの通じ合った 念者のような扱いを受けることに、弓月は慣れていなかった。 「はン・・・鼈甲(べっこう)とか言っても、どうせ馬の爪なんかの安モンだろ うよ」 憎まれ口を叩きながら指先で簪を弄ぶ弓月の気持ちは、それでも決して憎々しい ものではなかった。 「・・・ありがとう。安かろうが高価かろうが、本当は・・すげえ嬉しい・・」 こんな洒落た物を寄越す上客なんか、俺みてぇな陰間につくはず無ぇのに。 弓月の手から簪を取ると、吉三はきつく締められた元結へそっと軸を挿した。泣 きそうな子供のような顔をして吉三を見上げ、弓月は男の次の言葉を待った。 「・・・似合う。見立て通りだ」 男がそういうと弓月ははにかんだように笑顔を見せた。それは頑なな花の蕾みが 綻ぶ様にも似ていた。 「お前・・・だけだ、これっきりだから・・・」肌からすっかりと衣を落として 、羞恥に耐えながら弓月は言った。 夜気に晒した肌が引き締まるのが判る。弓月が客に自分の裸身を全て晒すのは、 これが初めてであった。 「綺麗だ、」 「嘘が巧いな」 吉三に近付くと弓月はそっと男の脚に跨って下身を合わせた。勃ち上がりかけた 弓月のものが、太腿に当たる。 「・・・誰でも、どんな客でもこんな風になるんだぜ・・俺は。・・汚ねえだろ ・・・」 「お前は、きれいだ」 吉三は同じ言葉を呟いて弓月の唇を吸った。その意外な甘さに脳髄が痺れるよう な錯覚を感じて、弓月は夢中で男の首に腕を回した。 「滅茶苦茶に、して・・・」 返事の代わりに男の手が弓月の腰を力強く捉え、そのまま細い体を布団へと倒し 込んだ。 翌朝、弓月が眼を覚ますと男の姿は消えていた。冷えた褥が指先に淋しく伝わる 。 なんだ・・もう帰りやがったのか・・・ だるそうに二、三度身を返して、弓月はようやっと身を起こした。 「若衆のォ、親にも言われぬぅ夢をォ見た・・・と」 下卑た都々逸の文句を口ずさみながら階段を降りてきた弓月に店の世話女が鉢合 わせした。 「ああ、はつさん。あの男、何時帰った?」 だるそうな弓月の問いに、はつと呼ばれた女は忙しげに額を拭って答えた。 「ええっと、夜が明けてすぐのお帰りだったヨ。・・そういや、しばらく来れな いようなコト言ってたけど」 「・・・え、」 しばらく来れない。 その言葉を聞いて弓月の顔がほんの一瞬強張った。それに気付かなかったのか、 はつは更に続けて言った。 「なんだか今日じゅうに舟で上方へ行くらしいね。でかい仕事して、たっぷり金 子を稼いでくるんだってさァ」 「金子を・・・」 「『どうしても欲しいモンがあるんだ、他所へ遣りたくねえモンなんだ』とか言 ってねえ。マァ、どんなコトをしたいのやら」 女はからからと笑って弓月を残し、廊下を歩いて行った。 彼は言うべき言葉を失って、今しがた降りてきた階段を再びゆうらりと上がって いった。 襖を閉めて窓際へゆき、枠にもたれかかって弓月は外を見遣った。 部屋の中は、昨晩の情交の跡が未だ艶かしげに漂っている。 煙管の代わりに簪を咥えて町並みを見下ろせば、延々つづく屋根の瓦に初夏の陽 射しが跳ね返って、弓月の白い顔を照らした。 あの男はもうここには来ないかも知れない。いや、もしかしたら・・・・ そんな淡い期待と漠然とした予感が弓月の胸を薄く焦がして去っていった。 それでも、俺はあんなあったけえ肌は初めてだったんだ。忘れねえよ、旦那。 「屏風越しのォ、恋は届かずゥ、聞くや如何にィつがいつがいの恨み言ォ・・・ ・」 細い声で謡う弓月の頬をすい、と一筋の涙が零れた。誰も聞く者の居ない部屋に 彼の小さな言葉が溜め息混じりに零れる。 「・・・夢、見さしてくれてあんがとよ」 紅い唇に咥えた簪の珊瑚玉が小さく震えて、ぽとりと畳の上を転がって落ちた。 <了> |
| あらい様ありがとうございました。 こんなにイメージどおりのお話を魅せてくださって・・・! 感激っ・・・・・!! |