ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

抑圧された映画マンたちのエネルギーの爆発

ゴジラ――1954年『ゴジラ』より


 1954年11月に公開された『ゴジラ』は、900万人を超える観客動員を記録し、当時としても異例の大ヒットとなった。現在まで続くゴジラシリーズの原点であり、未もゴジラシリーズの中で最も高い評価を受けている作品である。

 そのような高い評価を受けるのは、反戦・反核という強いメッセージ性をバックボーンとしているからだろう。戦争終結後の日本は、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を基幹とした日本憲法を制定し、ソ連・中国といった一部の国を除いた連合国と1952年にはサンフランシスコ講和条約が締結され、7年にわたる占領政策の時代は終わりを告げた。しかし、朝鮮半島では1950年に朝鮮戦争が勃発し、GHQは日本の治安悪化を懸念し、再軍備の指示を出す。このとき発足した警察予備隊は現在の自衛隊となり、現代では核兵器や大陸間弾道ミサイル、戦略爆撃機と言った他国攻撃能力は有していないとはいえ、世界トップクラスの軍隊”と認知されている。今なお、世界から戦争がなくならずその道筋も見えず、実際問題として軍事力に対する有効な対抗力が軍事力以外に存在しない以上、日本の再軍備は歴史の必然であった。ゴジラが世界の矛盾と戦う存在になるのは、最初から自明だったのかもしれない。

 しかし、『ゴジラ』が興行的に成功したのは、その娯楽性の高さにこそあったのは間違いない。観客たちは怒りをむき出しにして暴れまわるゴジラに興奮し、悲壮な最期を遂げるゴジラに悲哀を抱いた。

 1945年9月のミズーリ号の甲板で、日本側の政府全権代表・重光葵外務大臣が連合国との間に交わされた降伏文書に調印し、正式に日本は敗戦。アメリカを中心とした連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による統治を受け入れることになった。GHQは日本統治の中で、GHQを批判したり、戦争中の原爆や空襲による被害などを報じるような記事を書いたり放送したりすることを禁止し、検閲を行った。また、日本の非軍事化を進めるために法的な整備を日本政府に進めさせると同時に、明治時代から続く社会思想の破壊にも務めた。その内容は映画などの娯楽にも及び、例えば、時代劇などでは刀を振り回す場面のある映画は軍国主義的であるとか、仇討ちをテーマにした作品はアメリカへの復讐心を芽生えさせるなどとして禁止された(いわゆるチャンバラ禁止令)。

 そんな時代を生き抜いて、1952年のサンフランシスコ講和条約の締結により日本の独立とともに、GHQによって禁止されていた時代劇や戦争映画が解禁され、これまで規制にがんじがらめにされてきた映画マンたちが思う存分辣腕をふるえる時代を迎えた。黒澤明監督などが国際的な映画賞を受賞し、日本の映画が世界レベルでも高い評価を受けることになった。映画が娯楽の王様として君臨する時代の到来であり、映画産業は黄金時代を迎えた。1954年の『ゴジラ』もそんな時代の一本である。現在見ても、技術云々ではなく、もの凄いエネルギーを感じるのは、そんな時代の作品だからだろう。

ゴジラとゴジラの敵たちの時代