ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

どうか耐えてもらいたい

1957年3月26日――吉田茂 元内閣総理大臣


 昨今の安全保障状況の変化や海外への派遣、集団的自衛権の議論。自衛隊を取り巻く状況が変化している。そんな今だからこそ、1957年(昭和32年)3月の、防衛大学第一期生の卒業に際して、吉田茂元内閣総理大臣(在任1946年5月〜1947年5月、1948年10月〜1954年12月)が卒業生に送った言葉が再び注目されている。

『君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。』

 真理といえば真理である。人は万が一に備えて様々な準備をする。保険をかけたり、護身術を学んだり、警備会社と契約したり。しかし、それらを使うことがないならないに越したことはない。自衛隊は日本国が持ち得る最後の切り札である。だから軽々しくこれを用いることは許されない。ところが、それを使うことがないまま時間が過ぎると、それが当たり前になり無用と考えるようになる。金の無駄と罵られ、税金泥棒と軽蔑の言葉を投げかけられる。哀しいかな、それが平和ということなのかもしれない。

 やがて、楽観論が現実にとって代わる。最悪に備えるということを無意味と考えるようになる。日本が世界有数の災害大国であることも、隣の半島は内戦中であることも、隣の国と領海を争っていることも、その国が莫大な軍事費をつぎ込む核保有国であることも、現実ではなくなってしまう。しかし、ある時、それは現実のものになる。その時に、自衛隊を活用するための議論もなく、手順も分からないのでは話にならないし、自衛隊側にもスムーズに動けないようでは目的の達成は困難である。自衛隊が歓迎されるような状態が良くない状況であるのは事実だと思うが、それが、自衛隊を国民の目から隠したりないことにする、というのでは本末転倒であるように思う。

自衛隊・安全保障をめぐる言葉