ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

自衛隊からの救援食料はもらわないように


   1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、自衛隊の役割と存在が大きくクローズアップされ、自衛隊に対する国民のイメージが大きく転換された災害であった。それと同時に、若者たちによるボランティア活動も大きく注目され、ボランティア元年などとも言われる。大型の災害に対しての行政の役割の限界と、市民によるボランティア活動の可能性が示された出来事でもあった。

 ネット上では、阪神大震災において、某市民団体と後に国会議員になり閣僚経験もある女性代表の振る舞いが取り上げられている。曰く、「救援物資も持たず印刷機のみを持ち込み、市民団体のPRのビラを擦りまくった」。その中には「自衛隊は違憲です。自衛隊から食料を受け取らないでください。」「ミルクがなくても我慢しましょう」 などと書かれていたという。

 その市民団体が擦ったビラというのは、現在でも縮尺版が国立国会図書館などで閲覧可能なのだそうで、実際には震災の状況下での生活支援情報であり、市民団体の連絡先と活動内容が小さく載っていたに過ぎないという。また、自衛隊から食料云々というのは明確なデマであると、女性代表はブログ上で明確に否定している。事実であるという証明はそのビラが一枚出てくればすむ話だが、それが出てこないということは、つまりはそういうことなのだろう。もともと、自衛隊に批判的・否定的な人物・団体であり、社会的地位もある著名人であったため、デマのやり玉に挙げられたのだろう。

 とはいえ、被災した人の中にも自衛隊は無くせと声を上げていた者もいたはずである。警察嫌いの人間が事件が起こっても警察に助けを求めるな、などというのは暴論だと思うが、存在自体を否定していた人は、どんな感覚で自衛隊の支援を受けたのだろう。

自衛隊・安全保障をめぐる言葉