ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

この国が異常だと思っているのは、君だけじゃない

麻生幾の小説『宣戦布告』より


 1998年に刊行された小説『宣戦布告』の台詞より。『宣戦布告』の著者である麻生幾は安全保障や危機管理、防諜・諜報などに深い見識を持つジャーナリストで、本作が小説デビュー作だった。1996年6月に韓国で発生した江陵(カンヌン)浸透(しんとう)事件――北朝鮮の潜水艦の座礁、乗組員・工作員の逃亡・潜伏、韓国軍・警察による2ヶ月にわたる掃討作戦――に着想を得て書かれた作品である。舞台を日本に、石川県の敦賀半島に北朝鮮の工作員が侵入するという内容。強力な武器を装備した特殊工作員の侵入という未曽有の事態を前に、露になる警察力の限界、自衛隊の出動や武器使用に対する各省庁の縦割りの弊害や政治家の認識不足、国内での外国勢力によるスパイ活動に対する有効な法がない現状、有事における法の未整備、といった日本国が抱える安全保障の問題に強い警鐘を鳴らした小説になったいる。刊行された直後に北朝鮮による長距離弾道ミサイル発射(テポドン・ショック)が起こり、国民の危機意識を大きく揺さぶったこともあり、話題作となった。

 表記の台詞は、敦賀での工作員掃討を果たしたとはいえ自衛隊、警察、民間人に多くの犠牲が出てしまったことに対し、諸橋総理大臣が辞意を固め、その記者会見の場で出てきたもの。発言を終え、会見場を立ち去ろうとする諸橋総理に、集まった記者たちはさらにコメントを求めるが、総理はこれを無視する。しかし、ある記者が発した「たった一隻の潜水艦が座礁しただけでアジア全域が緊迫し、一国の元首が辞任する事態にまで追い込まれるとは、この国は、どこか異常だと思いませんか」という問いを、諸橋総理は無視できなかった。総理自身、この前例のない事態に向き合う中で、何度も感じたことだったからだ。発言した記者を指さし「安心したまえ。この国が異常だと思っているのは君だけじゃない」と返す。

 この国の抱える異常――それは、著者がこの作品を書くにあたり、感じたことでもあったのだろうと思う。戦後、この国が決して危機と無縁だったわけではない。しかし、政治も、行政も、一般の国民も、それを対岸の火事として、他人事として扱い続けてきた。もちろん、危機が起きるたびに新たな装備品が調達されたり、法の改正がなされたりはしてきているが、国民の意識という点では如何なものであろうか。もっとも、この台詞を総理大臣に言わせるのか、とも思う。無責任で危機意識が希薄な政治家や官僚と、その無責任の割を食う現場という単純な構図にするのは嫌いだが、作中、諸橋総理は、現地で指揮を執る福井県警本部長が下したゲリラへの射殺許可命令を、政治を優先して撤回させる場面がある。政治闘争やパワーバランスの中にどっぷりつかって、それを当然のものとしていた人が、いざ危機が起こると、「なぜ出来ないんだ」を繰り返す。それは、あなたたちが法整備やら何やらを怠ってきたからでしょうが、と思うのである。同時に、今の日本を異常というのなら、正常とは何なのであろうか。今でも戦火の中にある国や地域は数多い。それは正常だから戦争になるのか。異常だから戦争になるのか。自分はどちらでもないと思う。重要なのは「考えたくないことを考えること。最悪の事態を想定し、それに備えること」なのではないだろうか。

創作物のセリフから