ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

ゴジラの逆襲(1955年)

DATE

1955年劇場公開

監督:小田基義  特技監督: 円谷英二  原作:香山滋  

キャスト   月岡正:小泉博  山路秀美:若山セツ子  山路耕平:笠間雪雄  小林弘治:千秋実

内容にはネタばれを含んでいます。  解説・感想  ストーリー  映画の中の自衛隊

【解説・感想】

   1954年11月公開の『ゴジラ』の成功を受け、続編の製作が決定した。原作は『ゴジラ』と同じ香山滋氏。監督には1954年公開の『透明人間』で監督を務めた小田基義氏。また、『ゴジラ』で特撮が高く評価されたことを受け、特技“監督”として円谷英二氏の名がクレジットされた最初の作品となった。

『ゴジラ』から5ヵ月後に公開された『ゴジラの逆襲』は、反戦反核のメタファーであった前作から一転、むしろゴジラによって破壊された都市で、希望を失わず生きようとする人々の姿を描いている。また、本作では敵怪獣としてアンギラスが初登場。怪獣映画史上初めての怪獣同士の戦いを描いている。

 全体的な作品の出来自体は練りこみ不足という感じがある。第1作で東京がやられたから第2作は大阪というのは申し訳ないけれど安易なぁ、と思わないでもないし、せっかくのゴジラとアンギラスの戦闘も中盤で終わってしまって消化不足の感が強い。……アンギラスって初登場のときからかませ犬だったんだなぁ。それに、民間人が自衛隊機(本作では防衛隊と呼称されている)に搭乗するストーリーも首をかしげる。第1作にあった反戦反核の思想はなりを潜めたようにも思えるが、作品自体は十分に面白い作品だったと思う。それだけに、残念な部分もいろいろ目に付いた。せめて、製作期間が1年あれば……と思ってしまう。

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【ストーリー】

   不時着した「海洋漁業KK」のパイロット・月岡は、海上でトラブルに見舞われて岩戸島に不時着した小林の捜索に向かった。無事再会した2人は、その島で2体の巨大怪獣が争っているのを目撃する。片方は、かつて東京を蹂躙し廃墟にしたゴジラに酷似していた。もみ合ったまま海へと消えた2体の怪獣。2人は急ぎ本社がある大阪へ戻り、その事実を報告する。

 報告を受けて大阪市警視庁(1947年(昭和22年)12月に旧警察法に基づき設置された自治体警察。1954年(昭和29年)7月の新警察法の施行されたことで6月に廃止。7月から1年間、大阪市警察本部として存続した後、1955年(昭和30)年7月に大阪府警察に統合)で開催された会議には、東京での対ゴジラ作戦にも関わった山根博士も招かれた。その会議の中で、月岡・小林の両名が目撃したもう一体の怪獣はアンギラスと呼称されることになる。しかし、ゴジラに対しては、東京湾でゴジラを葬り去ったオキシジェン・デストロイヤーはもはや存在せず、物理的に倒すことは不可能と結論付けられる。唯一分かっていることは、ゴジラが水爆実験により蘇った影響からか強い光を嫌い、攻撃的になるということだけだった。

 会議の結果から、ゴジラの接近が予測される場合には徹底した灯火管制を敷き、ゴジラを市街地に近づけないようにするという対応が確認された。そして、防衛隊の探索によって紀伊水道のはるか南方にゴジラらしき姿が発見される。追撃に向かうフリゲート艦。一時は「紀州および紀伊水道沿岸」への上陸が予想されるが、ゴジラはその後進路を変え、阪神地区から離れていった。その報告で安堵する大阪。月岡は、婚約者の社長令嬢の秀美とダンスホールであわただしさから離れたつかの間の休日を過ごすが、ゴジラは再び進路を変え、大阪湾へと向かっていく。緊急警告に騒然となるダンスホール。大阪の街は灯火管制が敷かれ、水上警察に結集した防衛隊による決死の上陸阻止作戦が決行される。

 防衛隊の特車部隊による攻撃と、ジェット戦闘機部隊による照明弾投下による誘導で、沖合いへと離れていくゴジラ。作戦は成功したかに見えた。しかし、同じころ、護送中の囚人たちが搬送中の刑務官を襲って脱走した。囚人たちはタンクローリーを奪って逃走を図るものの、ガソリンの貯蔵施設に迷い込み、貯蔵タンクに突入する。たちまち辺りは火の海になり、その火に誘われてゴジラが大阪に戻ってくる。防衛隊の抵抗をものともしないゴジラの前に今度はアンギラスが出現。二大怪獣の激しい戦いは、大阪城でゴジラに軍配が上がる。アンギラスを白熱線で焼き殺したゴジラは、大阪を破壊し尽くして去って行った。

 大阪の本社機能を失った海洋漁業KKは、当面の間、北海道の支社を中心に業務することになり、小林が現地に飛んだ。北海道での業務は順調に進み、恋人もできて、公私共に充実した日々をすごす小林のもとを、月岡と秀美が訪れる。小林は歓迎の料亭で月岡に遭わせたい者がいるという。月岡を待っていたのはかつて旧軍時代の戦友、田島と池田だった。彼らは今は航空防衛隊の隊員であった。再会を喜ぶのもつかの間、海洋漁業の船がゴジラらしき生物に沈没させられた。航空防衛隊とともに、海上捜索に向かった月岡は、千島列島の神子島でゴジラを発見。月岡の搭乗する機は燃料が限界に来ていたため、小林が志願し現地に向かう。小林は攻撃隊が到着するまでの時間稼ぎを努めるが、ついにゴジラの白熱線にやられ帰らぬ人となる。最後まで小林と交信を続けていた秀美は、海洋漁業社長の父に泣きながら告げる。
「小林さんはもう帰ってこない……」
 事務所の机には、小林の恋人の写真が残されていた。

 しかし、小林の死は無駄ではなかった。小林の機が墜落した雪山で雪崩が発生したことをきっかけに、人工的に雪崩を発生させゴジラを生き埋めにするという作戦が立案されたのだ。その作戦には大きな危険を伴う。だが、ゴジラと果敢に戦った民間人を前に、恐れる隊員などいない。月岡は直談判の末、攻撃部隊に参加することになる。かくして、命がけのミッションが幕を開けた。

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【映画の中の自衛隊】

   本作はゴジラ対アンギラスという怪獣同士の戦いが十分に生かせなかった側面はあったが、第1作ではゴジラの引き立て役に過ぎなかった自衛隊(作中では防衛隊と呼称されているが)が、自然を利用したとはいえ初めてゴジラを無力化することに成功した作品である。

 ゴジラとの最終決戦においてF-86セイバーの編隊が次々とゴジラに向かっていく様は圧巻。F86は第一世代のジェット戦闘機の最高傑作のひとつであると改めて感じる。と同時に、最終決戦に挑む現役の防衛隊員の田島や池田(もちろん作戦に参加する月岡も)が元旧日本軍のパイロットであったという設定も興味深い……というより、興味深いと感じるのが現代の感覚なのだろうな、と思う。終戦と連合国による統治に伴い、旧軍は解体されたものの朝鮮戦争をきっかけに警察予備隊が発足し、保安隊を経て自衛隊創設に至る道程に、旧軍の人間の力は必要不可欠のものであり、戦争を知らない人間が第一線に立つにはまだ時間が足りない。そんな時代の映画なのだなぁ、と感じる。なお、経済白書に戦争の復興期を終え高度経済成長の時代に入ったことを印象付ける「もはや『戦後』ではない」という言葉が記されたのは、映画公開の翌年の1956年7月のことである。

 前作『ゴジラ』でも今作『ゴジラの逆襲』でも、ゴジラ殲滅に向かう軍艦のことをフリゲートと呼称している。軍艦は駆逐艦(destroyer)や巡洋艦(cruiser)など大きさや用途によって多様に分類されており、駆逐艦と巡洋艦の間の小型の軍艦がそう呼称されるようだ。ちなみにフリゲートに対応する和訳はない。戦後の自衛隊では軍艦は全て護衛艦と呼称している(もちろん、サイズや用途によって、DDとかDDHとか艦種記号を用いているが)。現在の海上自衛隊にフリゲートに当たる艦種記号はないが、創設期の海上自衛隊は、1953年にアメリカから18隻のタコマ級哨戒フリゲートを貸与され、くす型護衛艦として運用している(艦種記号:PF 1972年までに全艦除籍)。「海上自衛隊の護衛艦が〜」と言うよりも、「海上自衛隊のフリゲートが〜」と言う方が、当時の感覚ではしっくりくるものだったのだろうか。

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