ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

空飛ぶ広報室(2013年)

DATE

2013年4月〜7月 TBS系列TVドラマ

原作:有川浩  脚本:野木亜紀子  音楽:河野伸  演出:土井裕泰  山室大輔  福田亮介  プロデューサー:土井裕泰  磯山晶

キャスト  稲葉リカ:新垣結衣  空井大祐:綾野剛  柚木典子:水野美紀  片山和宣:要潤  比嘉哲広:ムロツヨシ  槙博巳:高橋努  阿久津守:生瀬勝久  鷺坂正司:柴田恭兵




内容にはネタばれを含んでいます。  解説・感想  ストーリー  映画の中の自衛隊


【解説・感想】

   原作は有川浩の同名小説。2013年4月から7月にTBS系列で放送された。報道を志していたが畑違いの部署に回され航空自衛隊の担当になった若いディレクター・稲葉リカと、ブルーインパルスに乗ることを目指して辛い訓練に耐えてきたにもかかわらず事故によってパイロットの道を断念した元パイロットの空井大祐。2人が出会い、新しい生きがいを見出し成長していく姿を中心に、航空自衛隊広報室の個性的な面々を通して、自衛隊の役割を世間に伝える広報・報道対応という仕事を描いている。

 原作では空井大祐を中心に物語が展開していくが、ドラマ版では稲葉リカを主人公に、原作では曖昧なままで終わった2人の恋愛話も深く掘り下げられている。また、原作には出てこないオリジナルキャラクターが、原作に最初から出演しているかのようにしっくりと馴染んでいて、ドラマを盛り上げている。

 自衛隊の全面協力によってテレビ画面に映し出されるF-15JやC-1輸送機などをはじめとす様々な自衛隊装備品の数々。戦闘場面のある自衛隊の戦争映画ではなかったとはいえ、これほどまで自衛隊を前面に出したドラマがゴールデンタイムに放送されるとは。時代が変わった、ということなのだろうか。

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【ストーリー】

   報道部で不祥事を起こしてバラエティへと遷されたディレクターの稲葉リカ。企画で航空自衛隊を取り上げることになり、航空自衛隊幕僚監部広報室に取材に訪れる。そのことに不満を抱いていた上に、自衛隊に対して知識も興味もなかったリカは、担当となった空井大祐二尉を不用意な発言で激怒させてしまう。空井が元戦闘機乗りでありながら不慮の事故によって航空機を下りることになったことを知ったリカは密着取材と称してカメラを回すようになる。しかし、自衛隊という特殊な環境で働いている人たちであっても、決して特殊な人たちではないことを気づいたリカは自衛隊への偏見から離れ、素顔の自衛官たちと向き合うようになる。

 一方、失意のどん底から抜けられずにいた空井も、リカとの出会いを経て、憧れだった航空自衛隊の戦闘機やブルーインパルス、何よりも現場の自衛官たちを広報の立場から知ってもらおうと、まずはリカの広報官になろうと決意するのだった。

 自衛隊広報という仕事を通じて惹かれあっていく空井とリカの恋愛模様を中心に、広報室の個性あふれる面々を中心にして物語が展開していく。リカのデジタルビデオのファインダー越しに映る自衛隊という組織の中で生きる人々。そして物語は運命の2011年3月11日を迎える――。

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【映画の中の自衛隊】

 物語の舞台となるのは防衛省航空幕僚監部総務部広報室広報班/報道班ではあるけれど、広報室の目的が自衛隊の活動を広報することにあるのだから、入間基地、百里基地、防衛大学校、浜松基地、松島基地と全国の基地・部隊がストーリーに関わってくる。かといって、マニア向け、オタク向けのドラマなどでは全くなく、ごく普通のドラマの中に自衛隊ネタがを随所にちりばめた優しい作りになっているのが嬉しい。それこそ、ブルーインパルスが戦闘機だと思っていたり(実際には現在のブルーインパルスが使用している機体はT-4練習機)、基地と駐屯地の区別がつかないような(答えはドラマの中で)、自衛隊に関心がなかったような人たちでもすんなり入っていけるドラマになっていると思う。とはいえ、国家機密の塊のような自衛隊基地・防衛省内部を当たり前のようにハンディカメラを構えて撮影しているリカの姿は何だか違和感を覚えた。まぁ、計算された上の演出だったのだと思うし、その演出は、それはそれでよかったと思うが。

  ブルーインパルスやF-15J戦闘機などの空撮映像を始めとした航空自衛隊全面バックアップの映像が素晴らしい。そしてこれが日曜9時というゴールデンタイムで映し出されたことも、やはり時代が変わったと改めて思う。とはいえ、自衛隊の微妙な立ち位置を示す場面も多く取り入れられており、興味深い。例えば、作中、航空自衛隊のPVを作る話が持ち上がり、空井がF-15Jによるスクランブル(緊急発進)を前面に押し出したPVの製作を提案するが、先輩の片山一尉が“格好良すぎる”と難色を示す場面が出てくる。格好良さが好戦的、戦争賛美と受け止められる可能性もある。気にし過ぎ、と思わないでもないし、航空自衛隊は我が国の領空侵犯に対する警戒任務を日常的に行っているのだから、それを前面に押し出さないでどうするのか、と思えるが、領空侵犯機を撃墜することを可哀想と言い出す人間もいるのだから、慎重になるのも仕方ないのかもしれない。……そんなことを言い出す人間に限って自衛隊の任務を理解しようとする気もないのだが。

 かつて、吉田茂元首相が防衛大学1期生の卒業アルバム編集にあたり、

『君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。』

という言葉を贈ったそうだが、それもまた事実だろう。しかし、国民の無理解が自衛隊の行動を大きく制限するのも事実だ。リカが自衛隊広報の意義について問う場面があった。自衛隊について広報しようとしまいがやることは一緒なのだから、広報する必要はないのではないか、という意見だ。その解答は明確だ。いざという事態に対して自衛隊の行動に対しての理解があるかないかは大違いなのだ。1995年1月の阪神大震災では県庁自体が被災し、自衛隊の出動要請が行われたのは4時間も経ってからだった。阪神大震災をきっかけに、自衛隊の出動を市区町村や警察署長からも要請が出来るようにするなど、危機管理体制が抜本から見直された。とはいえ、人の命を救うシステムがたくさんの血が流れてからでなければ構築されないというのは哀しいことだ。

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