このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「こうして彼らがギドンの打ち場まで来たとき、ウザは手を伸ばして、箱を押さえた。牛がそれをひっくり返しそうになたからである。すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。彼が手を箱に伸べがからである。彼はその場で神の前に死んだ。」. . . . . . . . . . . . . . .歴代誌第一・13:1〜14
■ 井戸を掘りましょう:
. . 「ウザ打ち」と言われるこの出来事の記録。「何故、主がウザを打たれたのか」と誰しも疑問に思います。聖書は「彼が手を箱に伸べたからである」と説明していますが、これだけでは納得いく説明にはなっていません。「振り落とされそうになった箱に手を伸べて押さえ、落下を防いだことが何故悪いことなのだろうか」と言う疑問が依然として残ります。
. .私たちの人生にも「何故なのですか」と問い糾したくなるような出来事が、きっと起こりますでしょう。「何故、私の愛する幼い子どもが、難病で苦しまなければならないのか」、「何故、私は間違ったことをしていないのに、誤解を受けて、人々から排斥されなければならないのか」、「、、、」。正に、様々な「何故」が私たちの生涯には渦巻いています。
. .「何故」と問ってみたところで、納得のいく解答は得られないのです。解答が得られないまま、私たちは「何故」という疑問が、心のうちで膨らんでゆくのを許しますでしょうか。それとも私たちは、すべてを善にして善である神に委ねて「何故」という益々心の中で重たくなってゆく疑問を自分からは手放し、神の御手の中にそっと投げ出しますでしょうか。
. .神は、すべてにおいて完全なお方、そのなされることにおいても、私を愛される愛においても、、、なのです。この事実に留まりつづけましょう。
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☆. ダビデの生涯/0016:「繰り返される信仰の試練」
☆. ダビデの生涯/0015:「信仰者と人間関係」
☆. ダビデの生涯/0014:「信仰の試練と忍耐」
☆. ダビデの生涯/0013:「みこころを求め続ける生涯」
☆. ダビデの生涯/0012:「人・悲しい存在」
☆. ダビデの生涯/0011:「二つのタイプの指導者」
☆. ダビデの生涯/0010:「信仰者と偽りのことば」
☆. ダビデの生涯/0009:「真の愛は行動する」
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☆. ダビデの生涯/0002:「主がこの人とともに」
☆. ダビデの生涯/0001:「人・霊的な存在」