. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 112 講
■ 今日の「井戸掘り」

 「私をひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。」          詩篇 17: 1〜15A  

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .私たちは、目前にものが迫ってきますと自然に目を閉じて、瞳がそのものによって傷つけられることを避けようとします。それは本能的な動きです。この詩篇には、神が、私たちを瞳のように守ってくださることが語られています。神は、瞳が私たちにとって大切なように、私たちを大切な存在としてみ、また、扱ってくださるのです。

. . 初めて教会の集会に出席して、聖書からの罪の糾弾のメッセージに接した時、聖霊の働きが顕著でない限り、多くの場合、人々は怒ります。勿論、その怒りを露わに出す人と、心に秘めておく人と、様々でしょうが、、、。彼らは、罪人呼ばわりされて、蔑まされたと感じたからです。キリスト教は人様をなんだと思っている、、、と言うことになります。

. .神は、人を侮辱して、罪人と断罪するわけではありません。神は、人を愛するがゆえに、その人に滅びをもたらす罪を憎み、その罪を手離さないことを残念に思っておられるのです。問題は、罪の自覚が人々の心に中々生じないことにあります。なぜなら、彼らは自分の心を偽っているからです。

. .神にとって、人はひとみのように大切なものなのです。神は何とかして、その愛する・大切な人が罪によって傷つき、滅びへの道へとまっしぐらに進んで行かないようにと願っておられます。

高知県・越知町の大樽の滝


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