■ 今日の「井戸掘り」
「私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」 詩篇 32: 1〜5
■ 井戸を掘りましょう:
. .「幸いなことよ。」で始まるこの詩篇、ダビデの詩篇の中でも代表的な詩篇と言えますでしょう。ダビデがこの詩篇で語っている幸いは、神にその背きの罪を赦されることの幸いです。罪を覆い隠していた時には、ダビデは、神の御手が重たく自分の上にのしかかっているのを感じていました。そして、彼のいのちの活力を吸い取って、彼は「夏のひでりでかわききった」ようになりました。それは、惨めな、苦しい経験でした。
. .しかし、そのような状態の中で、ダビデは神の御前に罪を隠すこと(本来、神の御前に隠しおおせるものは何もないのですが、、、)を止め、自分の罪・誤ちを認め、言い表すことをしました。神の御前に罪を認め、告白することによって、彼は神の赦しを確信したのです。
. .人に対してなされたすべての罪は、神へのそむきの罪です。人を憎み、傷つけることは、すべての人を愛し、善を行うように命じておられる神のみこころの蹂躙に他なりません。「罪」は、対人的な概念ではなく、基本的には、対神的な概念です。それに対して「犯罪」は、国家に対するものであり、その法律の定めるところへの違反です。また、人に対してなされた悪は、法律に反しようと反しまいと、それは道徳の問題として正邪が判断されます。人が罪を犯すのは、正確な意味では、神に対してであって、それゆえ、人に及ぼされた悪でも、当事者である人に詫びると共に、神の御前に告白する必要があります。
. .神は、悔いて罪を告白するものを蔑ろにはなさいません。御子であるキリストの十字架の功しによって、すべての罪を赦してくださるのです。