■ 今日の「井戸掘り」
. . 「私は呼ばわって疲れ果て、のどが渇き、私の目は。わが神を待ちわびて、衰え果てました。、、、神よ。あなたは私の愚かしさをご存知です。私の数々の罪過は、あなたに隠されてはいません。」. 詩篇69:1〜12
■ 井戸を掘りましょう:
. .ダビデは、自分の愚かさ、罪過を意識しています(5節)。それでも彼は神に呼ばわっているのです。しかも、その呼ばわり方は尋常ではありませんでした。神に「呼ばわって疲れ果て、のどが渇き」、「目は衰えはて」るほどでした(2節)。それほどまでして神に叫ばなければならなかった情況とは、どのようなものだったのでしょうか。
. .「そしり」、「うわさ話」、「物笑いの種」、「のけ者」、「よそ者」、「侮辱」、「泣き悲しみ」などのことばが書き連ねられています。しかも、そのような思いは「自分の兄弟たち」、「母の子ら」(8節)のダビデに対する冷淡な態度によるものでした。彼らは神をそしるがゆえに、その神に対して熱心なダビデをもそしったのです。ダビデが断食すれば、それをそしり、荒布を身に纏えばそれを物笑いの種にしました。酔っ払いさえも、ダビデを卑しめて、戯れ歌の材料にしたのです。
. . ダビデの心には、そのような侮辱は自分に対するものだけで十分、と言った思いがあります。それで「万軍の神、主よ。あなたを待ち望む者たちが、私のために恥を見ないようにしてください」、「イスラエルの神よ。あなたを慕い求める者たちが、私のために卑しめられないようにしてください」と祈るのです。
. .「私は大水の底に陥り、奔流が私を押し流しています」というような、自分のことだけでも精一杯と思える厳しい状況の中にあっても、ダビデの心ににあったのは同心の友たちのことだったようです。自分のことを考えるに勝って、ダビデは友のことを気遣っているのです。ここに主により頼む者の強さがあります。愛があります。