. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 36a 講
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「人の内側のものと心とは、深いものです。」 詩篇 64: 1〜 10
■ 井戸を掘りましょう:
. .近代に入り「心理学」が様々な展開を見せています。心理学では、人の内面の動機などを探ろうとしているわけですが、人の心は大変深く、心理を探ることは困難で、結局、心理学の探求は、目に見えない心と言うよりは、目に見える行動の観察に止まっていると言われています。ダビデは、この詩篇に「人の内側のものと心は深いものです」と語っています。
. .そのように深い心の内部を知ることができるのは創造主である神のみです。神は、その人本人が自分いついて知っている以上にその人のことを弁えておられます。それですから神の委ねることが、人にとってできる最善のことなのです。知っていてくださる神に任せきるのです。
. .私たちは、自分にとって何が最善であるかを本当には知りません。自分で自分が何をも望んでいるのか判断できないことがしばしばあります。それですから、神が最善のものとして提示されたことを理解できないことも、疑問に思ったりすることが起こるのです。しかし、神はすべてをご存知であり、私たちは、例え、自分自身のことでさえ、部分的にしか分っていないことを悟る時、神の道を選び取ることが最善であり、賢いことであることに気づくのです。
. .「私には、自分のしていることがわかりません」とは、使徒パウロの有名なことばですが、パウロだけでなく、私たちはすべてそうなのです。「人の内側のものと心とは」あまりにも深く、自分にもわかりません。それを弁えていてくださるのは、創造主である神のみです。