. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 36 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「彼らは悪事に凝っています。語り合ってひそかにわなをかけ、『だれに、見破ることができよう』と言っています。彼らは不正をたくらみ、『たくらんだ策略がうまくいった』と言っています。」.                            詩篇64:1〜10 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .この詩篇を含めて、ダビデの詩篇には悪者についての描写が数多くあります。迫害と苦しみの中にあっても、ダビデが余裕をもって悪者の行動を観察していた様子が伺われます。

. .「はかりごと」(1節)、「たくらみ」、「策略」(6節)といったことばは、悪者が、如何に計画的に悪事を企てているかを語っています。またそれは「隠れた所」、「不意に」(4節)、「ひそかに」(5節)、「人の内側のものとこころ」(6節)といった表現が示しているように、人の気づかないように巧妙に仕掛けられています。それで、彼らは「だれに、見破ることができよう」と誇って、悪事を行っているのです。

. .しかし、どのように悪者たちがその悪しき計画を誇っても、不正・不法を好まれない神は、正しい者たちのために応戦してくださるのです。悪者たちが「苦いことばの矢を、全き人に向けて、、、射掛け、放つ」(3、4節)時、神もまた「矢を彼らに射掛け」(7節)られます。そのようにして「彼らは、おのれの舌を、みずからのつまずきとし」(8節)ます。

. .その結果、「正しい者は主にあって喜び」益々「主に身を避けます」(10節)。ここに「正しい者」とは、単に、その行動において正しいということではなく、「心の直ぐな人」のことです。「人の内側のものとここは深いもの」(6節)ですが、その善につけ悪しきにつけ、神はすべてご存知で、その思いに相応しく報いてくださるお方なのです。

高知県・越知町の大樽の滝


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