. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 39 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。慰める者を待ち望みましたが、見つけることはできませんでした。」                            詩篇69:19〜28 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .「私はひどく病んでいます」(20節)―ダビデは、神が「打たれた、傷つけられた」ことを自覚しています。それだけで十分心が痛んでいるのです。それなのに、敵対する者たちは「そしり」、「侮辱」し、「食物の代わりに苦味を与え」ています。そのような中で、ダビデは「同情者」・「慰める者を待ち望みましたが、見つけることができませんでした」(20節)。

. .憐れみのない者に対して、ダビデは自分の怒り・憤りをぶつけるのではなく、神が、その「怒り」・「憤りを彼らの上に注いでください」と祈るのです。そして、「彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書き記されることがありませんように」(28節)と神に訴えます。ダビデを憎む者たちは神の義の中に、すなわち、救いの中に加えられることがないように、ダビデは祈っているばかりか、この地上においても「彼らが栄えるときには、それが落とし穴と」なるように、彼らの陣営は荒れ果てて住む者がいなくなるように祈っています。

. .ダビデは「同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません」と言いましたが、使徒パウロも同様の経験をしています。「私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました」(Uテモテ4:16)。しかし、そのような情況の中で、パウロは「しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいまいた」と言うことができたのです。ダビデはどうでしたでしょうか。ダビデにとって主に祈ることこそが、彼の力の源だったのです。この詩篇の次の部分を見るとそのことが判りるでしょう。

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高知県・越知町の大樽の滝


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