. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 40 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。それは雄牛、角の割れたひずめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。」                            詩篇69:29〜36 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .「神よ救ってください。水が、私ののどにまで、はいって来ましたから」で始まったこの詩篇69篇は「主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。」とのことばで締め括られています。祈りが確信へと変化したのです。

. .さて、冒頭に掲げました31節には、主が何を喜ばれるのかが表明されています。この節では、雄牛のいけにえにも勝って、神の御名を賛美し、感謝することだと言われています。バテ・シェバとの出来事の後には、ダビデは、神の喜ばれるものは、全焼のいけにえにもまさって「砕かれた霊・悔いた心」(詩篇51篇17節)であると詠いました。

. . 神が何を喜ばれるかを見出すために、新約聖書は「心に一新によって自分を変えなさい」と言っています。「自分を変える」のですが、「自分で」変えるのではありません。「自分で自分をかえること」は不可能に近いでしょう。聖書は「主の御霊のあるところには自由があります」を教え、また、「鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(Uコリント3:17、18)と明言しています。

. .この詩篇で、ダビデは「神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ」と勧めていますが(69:32)、ダビデ自身が「神を尋ね求める者」でした。心の貧しい者、傲慢でない者、心の謙った者が主を尋ね求めます。そして「主は、貧しい者に耳を傾け」てくださいます。ですから「貧しい者は幸い」なのです(マタイ5:1)。

高知県・越知町の大樽の滝


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