. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 67 講
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「ほむべきかな。主。主は包囲された町の中で、私に奇しい恵みを施されました。」」 詩篇31:14〜24
■ 井戸を掘りましょう:
. .「私には苦しみがあるのです」(9節)と告白したダビデでしたが、この詩篇の締め括りの部分には「ほむべきかな。主。」と言うことばが見出されます。苦難の中での懇願は、喜びの賛美と変わったのです。何がその秘訣だったのでしょうか。
. .ダビデは苦しみの中にあってもたじろがないで、「あなたこそ私の神です。」と告白します。そして、自分の「時は、御手の中に」あることを頷いたのです。「あなたこそ」―そうです、主である神が「私」の神、であり、その主である神の御手の中に自分の人生が確り握られていることを頷くことほど幸いなことはありません。そこにこそ苦難を乗り越えて凱旋的に生きる秘訣があるのです。
. .ダビデの願いは「御顔をあなたのしもべの上に照り輝かせてください」と言うことです。モーセに関して、ヘブル人への手紙の記者は「目に見えない方を見るようにして、忍び通したのです」と書きしるしています。「目に見えないお方を見るようにして」―そうです、信仰の目は目に見えないお方を見ることのできる目です。私たちは神の御顔の輝きを目の当たりに見ていますでしょうか。そうしているかいないかが、私たちの苦難の時における力・忍耐がどのように顕されるかにおいて大きな差となるのです。
. .今日も一日、「あなたこそ」私の神」と告白して、そのお方を見上げて、どのような環境におかれていようとも、そこにあって力強く、忍耐深く生き抜こうではありませんか。