■ 今日の「井戸掘り」
. . 「いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。」 詩篇41: 1〜13
■ 井戸を掘りましょう:
. .ダビデが病いに陥った時の詩です。ダビデの敵は、彼は「もう二度と起き上がれない」、「いつ、彼は死に、その名は滅びるだろうか」と囁いて、その死を期待しています。それに対して、ダビデは「主よ。あなたは私をあわれんでください。私を立ち上がらせてください」と祈っています。
. .それにしても、ダビデが祈り求めていることは「私のたましいをいやしてください」ということであって、単に肉体的な病いからのいやしではありません。ダビデは何らかの理由で、自分の病いが、彼の犯した罪と関係があることを感じているのです。ダビデは明らかに「私はあなたに罪を犯したからです」と告白しています。
. .ダビデのように明瞭な罪の自覚があれば、それを認めて悔い改めることが必要ですが、そうでない場合、すなわち、漠然と、ある病気が罪の結果ではないかと不安に思える場合は、病いを罪と結べつけることは賢いことではありません。すべての病いが罪の行為の結果、あるいは、罪の行為への刑罰とは限らないのです。聖書には「あなたが愛しておられる者が病気です」ということばがあるように、肉体の病気は、必ずしも、罪の行為に対する刑罰とは限りません。
. .聖霊の光を受けて、明らかに、具体的な罪を想い起こせる場合を除いては、病いを罪への刑罰と結論付けることは早計です。神は、他の意図をもって、私たちが病いに陥ることを許されることがあります。使徒パウロの場合がそうでした。
. .ダビデが病いからの恢復を願うのは、彼の心の願望が「いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください」と言うことにあるからです。詩篇16篇では、ダビデは「私はいつも、私の前に主を置いた」と詠いました。ダビデは、神の臨在の意識をもって日々を生きることを願っていたのです。私たちは、どうでしょうか。