. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 76 講
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「愚かな者は心の中で、『神はいない』と言っている。」 詩篇53: 1〜6
■ 井戸を掘りましょう:
. .使徒パウロによって、ローマ人への手紙3章に引用された良く知られたみことばです。神の存在を否定することは、愚かな所業だと聖書は断言しています。すべての知恵の源は、創造主である神にあります。その創造主を否定することは、知恵・知識の元を否定することの他なりません。ですから、それは愚かなことになるのです。
. .真の神を否定する姿勢は、必然的に道徳の退廃を招きます。愚か者は「腐っており、忌まわしい不正を」行うようになるのです。人には、自分が理想とする崇高な倫理性を、自分の力だけでは維持することができないのです。道徳的な退廃は、十戒をイスラエルの民に与えられた霊なる神を見失う時、人の心の中で、必然的に始まります。
. .神学の用語ですが「全的な腐敗」とは、人がアダムの背きの罪ゆえに、その全人格、すなわち、知情意のすべての分野においてその罪の影響を受けていて、道徳的にどうにもならないこと、また、そのような腐敗が、全人類に及んでいて、例外がないことを示すものです。「だれもかれもが腐り果てている。」「善を行う者はひとりもいない。」
. .ここにキリストによる贖いの必要がありました。キリストは、イスラエル民族の中から興されたのです。ダビデは「イスラエルの救い」として、そのことを表現しています。「イスラエルの救い」であるメシヤ・キリストは、パウロによれば「異邦人の望み」でもあるのです。救いはイスラエルから出ますが、イスラエルが独占できるものではありません。キリストは全世界・全人類の救い主です。