. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 77 講
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「ああ、イスラエルの救いが、シオンから来るように。神が御民の繁栄を元どおりにされるとき、ヤコブは楽しめ。」 詩篇53: 1〜6(その2)
■ 井戸を掘りましょう:
. .人は、この詩篇の前半に記されているように「だれもかれも腐り果てている」のです。それゆえ救いは、必然的に神から来なければなりません。
. .神は、アブラハムにおいて、イスラエルを異邦人世界に救いをもたらす管として選ばれました。ここに旧約聖書も新約聖書と並んで、キリスト教会の正典となる理由があります。アブラハムの末裔として生まれたキリストは、イスラエル・神の選びの民の望み、また、異邦人の光でもあったのです。
. .しかし、イスラエルは、神のそのようなご計画・意図を理解しないで、神の選びを自民族の特権と受け止め、異邦人を顧みないで、反って軽蔑し、退けました。イスラエルは律法を表面的に解釈して、その真意を理解しませんでした。その結果、彼らは度々神の背き、神の刑罰を受けて敵国に破れ、捕囚の地に連れてゆかれました。
. .この詩篇には、そのようなイスラエルの繁栄が祈られています。「ああ、イスラエルの救いが、シオンから来るように。神が御民の繁栄を元どおりにされるとき、ヤコブは楽しめ。」 シオンとは、イスラエルの首都エルサレムが建てられている山です。神殿がそこに設けられたゆえに、神の臨在の場所として、救いはそこにあるものと考えられていました。