. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第101講
■ 今日の「井戸掘り」

    「きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」                   詩篇95:1〜11A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   この詩篇は、7節の後半で、突然調子を変えて、警戒のことばを発しています。「きょう、もし御声を聞くなら、、、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」 イスラエルは、二重の意味で神によって創造された民でした。世界の創造のときに、被造物の一員として造られたとともに、イスラエルは、民族としても神によって造り出された民でした。

   それなのに、イスラエルはメリバで、また、荒野のマサでと、度々、神に背いたのです。神は、それで「確かに彼らは、わたしの安息に、はいれない。」と宣言なさいました。彼らは、神のよって選ばれ、目的のために立てられた民としての特権を失ったのです。彼らは「心迷い」、「心をかたくなにし」、神を「試み・ためした」のです。しかも、彼らは、神の御「わざを見ていながら、、、」なのです。

   先祖たちのそのような歴史を振り返って、今、詩篇の作者は自分と同世代の者たちに、先祖たちのようであってはならない、彼らを見習って、再び、心をかたくなにしてはならないと、警告のことばを発しているのです。

高知県・越知町の大樽の滝


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