. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第116講
■ 今日の「井戸掘り」
「あなたが御顔を隠されると、彼らはおじ惑い、彼らの息を取り去られると、彼らは死に、おのれのちりに帰ります。あなたが御霊を送られると、彼らは造られます。また、あなたは地の面を新たにされます。」 詩篇104:1〜35B
■ 井戸を掘りましょう:
「あなたが、、、彼らの息を取り去られると、彼らは死に、、、」とあります。詩篇第90篇で、モーセは「まことに、私たちはあなたの御怒りによって消えうせ、あなたの激しい憤りにおじ惑います」と詠いました。生き物の死、そして、人の死も、現代人は、自然と思っていますが、決して自然ではないのです。生死と言う厳粛な出来事は、創造主である神と密接に関わっていて、神のみこころと無関係に起こるものではないことが語られています。
創造主である神は、天地を創造されただけではなく、その後の運行に、日ごとに深く関わっておられます。神が創造し、その後、宇宙の運行は、自然界のもろもろの法則にゆだねたと考える考え方は、理神論といって、18世紀の英国で、ジョン・ウエスレーの時代に風靡したものです。理神論は、やがて、近代スピリットと言われる啓蒙主義と出遭って、無神論へと転げ落ちて行ったのではないでしょうか。
この詩篇の作者は「私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう」とこの詩篇を締め括っていますが、彼のいのちは、神によって生かされているいのち、そのいのちある日々は、神によって与えられた日々であることを意識しているからです。