. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第146講
■ 今日の「井戸掘り」
「主よ。私は、あなたのさばきの正しいことと、あなたが真実をもって私を悩まされたこととを知っています。」 詩篇119:1〜176I
■ 井戸を掘りましょう:
人は、その創造主の似像に従って創造されたと、聖書は教えていますが、主の似像の一面は、人格にあります。「人」格と言われていますが、本来は、人格は、神に備わった特質です。神人格をお持ちなので、神に似せて創造された人も人格を有しているのです。
さて、ここに人格は、知情意と言う三つの要素から成り立っていると言われています。この詩篇の現在の分節には、人格の3要素が、それぞれ言及されています。「私があなたの仰せを学ぶようにしてください」―人格の知的な面です。「あなたのみおしえが私の喜びだからです」―人格の情緒的な面です。「私を生かしてください」―人格の意志的な面です。それらに加えて、もう一つ、人の霊的な面も言及されています―「私は、あなたのことばを待ち望んでいるからです」。「待ち望む」と言う姿勢は、人格のすべての要素より更に深い「霊的な」レベルでなされなければ意味がありません。神への真の待望とはなりません。
第75節の「主よ、私は、、、あなたが真実をもって私を悩まされたことを知っています」と言う句は、大変興味深い句です。人生における悩みの第一義的な原因が神にあるといっているのです。私たちの悩み・苦しみには、環境的な側面、人為的な側面、、、と様々なこと、また、人々が関わっていますでしょう。しかし、究極的には「神が、、、悩まされた」のです。神が、それを許されたのです。しかし、それは悪意を持ってではなく、「真実をもって」でした。