. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第172講
■ 今日の「井戸掘り」
「私のたましいは、夜回りが夜明けを待つにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つにまさって、主を待ちます。」 詩篇130:1〜8A
■ 井戸を掘りましょう:
たましいの凝仰・欣仰が描かれています。「主を待ちます。」イスラエルでは、夜回りは、夜明けの最初の暁光をとらえて、それを告知する使命を与えられていました。それは大切な使命でした。それですから、夜回りは、見張り台に立って、地平線の一点を凝視して、暁の最初の光がそこから照りだすのを待ったのです。
この詩篇の作者は、同様の熱心さ、真剣さをもって主を待ち望んだ、と証ししています。朝の最初の光を見逃すまいと、張り詰めて地平線を眺めるように、主の語り掛けの最初の一言も逃すまいと、張り詰めた気持ちで、主を待ったのです。
そのような凝仰・欣仰の祝福は、何でしょうか、どのようなものでしょうか。それは「主には恵みがあり、豊かな贖いがある」ということを深く知ることができることです。主を待ち望むたましいは、その待望をむなしく締め括ることはありません。主は、必ず、待ち望むたましいに臨んで、語り掛けなさいます。そして、主の語り掛けに接する時、私たちのたましいは、この上なく満足し、平安を見いだすのです。これこそが、主を待ち望むことの祝福です。