. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第41講
■ 今日の「井戸掘り」
「まことに、いと高き主は、恐れられる方。全地の大いなる王。」 詩篇47:1〜10
■ 井戸を掘りましょう:
「恐れられる方」は、漢字制限上、やむを得ず「恐れ」が用いられていますが、「畏れられる方」でなければなりません。第一節には「喜びの声を上げて神に叫べ」とあり、「恐れ」では、「喜び」と調和できません。しかし、「畏れ」であるならば、理解できます。恐れながら喜ぶことはできませんが、畏れかしこみつつ喜ぶと言うことはあり得ます。第10節には「神は大いにあがめられる方」とあります。
日本には氏神という概念があって、神は、ある地域の守り神として、その地域の住民によって拝まれています。この概念は、多くの国々においても同様で、それぞれの国に、その国の神があるとされるのはそのゆえです。しかし、イスラエルの神は、この詩篇でも歌われているように「全地の大いなる王」であり、神は「国々を統べ治めておられる」お方です(2、7節)。神がイスラエルを選ばれたのは、ある目的があってのことでした。
神は先ず、イスラエルの民にご自身を啓示なさり、イスラエルの民を介して、全世界にご自分を知らせようとされたのでした。しかし、イスラエルは、神のそのご目的を理解しませんでした。選ばれたことへの誇りが、彼らの眼をふさいでしまったのでした。
新約時代に入って、イスラエルに代わって、アブラハムの霊の子・信仰の子である教会が、その使命のために立てられたことを、私たちは自覚しなければなりません。