. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第40講
■ 今日の「井戸掘り」
「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。」 詩篇46:1〜11C
■ 井戸を掘りましょう:
「ヤコブの神」。「ヤコブの神」によって表現された真理の第一は、「万軍の神はわれらとともにおられる」とあるように、ともにあってくださる神、との真理です。故郷を旅立ち、ハランに向かったヤコブが、あのベテルで体験した真理です。「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう」(創世記28:15)。神の臨在・同行こそが「ヤコブの神」との表現によって意味されていることです。神の同行には、神のみまもりも意味されています。
「ヤコブの神。」この句によって意味された真理の第二は、答えてくださる神、との真理です。ヤコブは、ラバンの許で過ごした歳月を越えて再びベテルに戻ろうとしていた時、「私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう」と言っています。呼ぶときに応えてくださる神、それが「ヤコブの神」です。
そして、もう一つ、「ヤコブの神」によって意味されていることを心に留めましょう。「ヤコブの神。」それは、「羊飼いであられた神」です。人生の大路・小道を、過ちなく安全な道へと導いてくださる神です。ダビデにとってそうであったように、ヤコブにとっても、神は「緑のまきば、いこいの水辺」へと導いてくださるお方でした。