. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第90講
■ 今日の「井戸掘り」
「まことに、私たちはあなたの御怒りによって消えうせ、あなたの激しい憤りにおじ惑います。」 詩篇90:1〜17B
■ 井戸を掘りましょう:
モーセは、そして、多くの人々は、自分の死が、神の怒り・憤りに結びついて言うrことを意識しています。生けるものにとって、死は不可避であり、自然であると思いながらも、そこに不自然さ、やるせなさを感じているのが人です。
神の御怒りがなかったなら、死は不可避ではないことを、なんとなく意識するのです。「あなたは私たちの不義を御前に、私たちの秘めごとを御顔の光の中に置かれます。」すなわち、死は、私たちの行った不義と深くかかわっていることを、人は意識します。しかも、その不義・罪は、「秘めごと」とあるように、表面的には、道徳的であり、人格者と言われていても、神のみが知る秘めごとがあることを意識しています。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ」ません、とパウロはローマ人への手紙に書きましたが、罪を、表面的にではなく、心のレベルで捉えると、すべての人は、罪人であるの事実から逃れられないのです。彼らは神の御怒りのもとにあります。そして、その事実が死をもたらすことを、彼らは頭では否定しながらも、心の深奥では気づいているのです。