. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第93講
■ 今日の「井戸掘り」

    「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神』と。」                   詩篇91:1〜16E 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   私たちは「いと高き方の隠れ場」を知っているでしょうか。「全能者の陰に宿る」とは、どのようなことか、体験しているでしょうか。詩篇46篇の作者も、「神はわが避け所・わがとりで」と詠いましたが、この詩篇でも同様に真理が詠われています。神を避け所・とりでとすることは、神を信頼し、神に依り頼んで生きることです。

   神を信頼して生きるとき、神が、その信頼を裏切ることはありません。「主は狩人のわなから恐ろしい疫病から」そのような人を「救い出されるからで」す。「神はご自分の羽で」そのように信頼する人を「おおわれます。」そして、その人は「その翼の下に身を避ける」ことだできるのです。神は真実なお方であって、その真実さこそ、依り頼む者たちの「大盾・とりで」なのです。

   神は「苦しみのときに」信頼し、依り頼む人と「ともにいて」、その人を「救い、ほまれを与え」てくださいます。それのみか「長いいのちで満ち足らせ」てくださるのです。

   問題は、そのようにならない時で、ヨブのように、信仰にたっていても、現実の苦しみを体験する時、どのように振る舞うかです。

高知県・越知町の大樽の滝


Copyright2004 PZH
Allrights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる