. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第99講
■ 今日の「井戸掘り」

    「もしも私が『私の足はよろけています』と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私を支えてくださいますように。」                   詩篇94:1〜23A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   この節の前には「もしも主が私の助けでなかったなら、私のたましいはただちに沈黙のうちに住んだことでしょう」とあります。悪を行う者どもが横行する中で、正しい者の唯一の拠り所は、主にあるのです。「私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。」

   正しい者は、単に主に依り頼んで、悪を見過ごしているのではありません。「まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません」と主の干渉を確信しています。それですから「さばきは義に戻り、心の直ぐな人はみなm、これに従うでしょう」と言い得たのです。

   「だれが、私のために、悪を行う者に向かってた立ち上がるのでしょうか。だれが、私のために、不法を行う者に向かって、堅く立つのでしょうか」と訴えていますが、その答えを、この詩篇の作者は、持っていないのではありません。主が立ち上がってくださる、とのことを確信しても自問自答なのです。

   「主は彼らの悪をその身に返し、彼らの悪のゆえに、彼らを滅ぼされます。われらの神、主が、彼らを滅ぼされます」と言う句で、この詩篇は締め括られています。

高知県・越知町の大樽の滝


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