. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第98講
■ 今日の「井戸掘り」
「復讐の神、主よ。復讐の神よ。光を放ってください。地をさばく方よ。立ち上がってください。」 詩篇94:1〜23
■ 井戸を掘りましょう:
この詩篇、また、他の聖書の箇所においても「復讐」と言う語が用いられる時、この詩篇の第2節に見るように、それは「さばき」と言う概念に関わっています。「高ぶる者に報復してください」と言う祈りを捧げている人々にとって、神の裁きが復讐となるのです。神がご自身のために復讐されると言うことはありません。
また、復讐を願う心は、個人的なものではなく「主よ。彼らはあなたの民を打ち砕き、あなたのものである民を悩まします」という神との関係においてです。悪を行う者どもが「主は見ることはない。ヤコブの神は気づかない」と言っていることに対してなのです。
このような冒涜のことばに対して、詩篇の作者は「耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、ご覧にならないだろうか」と反論します。「主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる」のです。